マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

スヤ612001:鉄道労働科学研究所試験車

2012-01-31 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
スヤ612001:鉄道労働科学研究所試験車


今日は国鉄の鉄道労働科学研究所持ちの試験車「スヤ612001」の画像をアップします。



昭和53年10月頃 品川客車区にて

スロ61改造の試験車で、乗務員の労働環境改善のため人間工学的見地から椅子や運転台の乗務環境を研究する目的で改造されたもの(らしいです)。
外観は種車のスロ61と余り変わりませんが、こちら側だけ幅1mの引き戸が付いているところに特殊性を見出せます。(反対側には無いようです。)
分割民営化される昭和62年に廃車となってしまいました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

209系:京浜東北線(その2)

2012-01-30 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
209系:京浜東北線(その2)


先日(その1)をご紹介いたしましたが、今回は(その2)として走行写真を中心にご紹介いたします。



平成19年9月16日 田町駅にて

地元では見ることができない、「快速 大宮」の表示。





平成20年2月3日 蕨~西川口

地元で久し振りの大雪?
こんな日は頑張って撮影に出るのがセオリーです。
その後、209系の引退までこのようなシーンを撮ることができませんでした。





平成20年2月3日 川口駅にて

この年は降りましたね。ただ、雪は殆ど残らず。
「北斗星」の後部を撮ろうと思ったらカブってしまったので、敢えてこんな構図にしてみました。



平成20年2月10日 大宮駅にて

昼間では見ることのできない大宮駅での並び写真。これもまた雪でした。



平成20年7月12日 蕨~西川口間にて

209系とE233系1000番代のすれ違いシーン。世代交代を予感させます。



平成20年11月2日 西川口~蕨間にて

朝日のイメージ。



平成20年11月22日 西日暮里駅にて

青空がキレイだったので記念写真。



平成21年5月2日 蕨~南浦和間にて

ここは新規開拓地でした。



平成21年5月2日 蕨駅付近にて

強引に流し撮り。



平成21年7月20日 西川口~蕨間にて

もうかなり運用数が少なくなってました。見たら撮る!くらい貴重な感じ。


平成21年10月11日 西日暮里駅にて

また青空に惹かれ。

編成数も最後は2本に。そして、209系も短い活躍に終焉を迎えようとしています。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

東京都交通局:都電6000形&装飾電車

2012-01-29 00:30:00 | 公営鉄道(地下鉄・路面など)
東京都交通局:都電6000形&装飾電車


平成23年10月、都営交通100周年を記念して花電車が運転されました。33年振りだそうです・・・というか、その33年前のとき、つばさ少年は都電荒川線沿いに居ました。

何で情報を得てその場に行ったのかは全然記憶がありません。当時は鉄道誌か大きなニュースであれば新聞にでも情報が載らない限り、埼玉県民には知る由もありませんから。

時間も分からず現地へ行くと、沿線にはかなりの人出があったように記憶しています。撮影地を探すためにとりあえず都電に乗ると、なんと後から花を飾った電車がついてくるではありませんか。せっかくお金を払ったのですが、1区間しか乗らずに飛鳥山で下車。
※撮影は、全て昭和53年3月です。





飛鳥山電停にて 6189

これが後をついてきた装飾電車。
この踏切、遮断機がなかったのかな?今見ると恐ろしいポジションです。





飛鳥山交差点にて 6191

同じ車両だと思っていたのですが、見ると番号が違いましたので、2両が装飾されていたのでしょうか?
横にいる都バスや乗用車も懐かしいです。



王子駅前電停にて 6191

これが最後の締めで撮った写真でしょうかね。

写真を撮った当時、これが花電車だと思い込んでいたのですが、翌々月くらいに発売された鉄道ファン誌に正規の花電車が載っており、非常にガッカリしたものです。

「ながい間ご愛用ありがとうございました」なんて書いてあるので、まるで荒川線が廃止されそうな感じにも見えるのですが、イベントの趣旨は完全ワンマン化実施に当たっての企画のようです。
ツーマン仕様で改造の実施予定の無い6000形は全廃、7000形はアコモ改造によりワンマン化、7500形はワンマン装置の取り付けによる改造が実施されることにより、事実上の「6000形さよなら運転」という見方が正しいようです。





王子駅前電停にて 6129

これが装飾の無い6000形の真の姿です。古き時代そのままのスタイルですね。

この後、6000形は動態保存として金太郎塗装で長く生き残りましたが、先頃惜しくも引退しています。
都電が各都道を網の目のように走っていた頃、この6000形は主力車両として23区内を駆け巡っていましたが、車掌さんの業務とともにその人生に終りを告げました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

キハ56+キハ22:急行「大雪」

2012-01-28 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
キハ56+キハ22:急行「大雪」


石北本線といえば、当時日本で唯一のカタカナ特急「オホーツク」と長躯函館~網走間を往復していた「おおとり」が花形であった訳ですが、両列車とも1往復のみの設定で、庶民としてはやはり急行「大雪」がメジャーな優等列車であったと思います。

昭和55年の時刻表を見ると、1日5往復の「大雪」が設定されており、4往復が昼行のディーゼル、1往復が寝台車を連結した夜行急行でした。テツとしては昼間のディーゼル急行よりも夜行列車を多用した、と言いますか、夜行しか乗ったことがない方も多いのではないでしょうか?

急行「大雪」は、その多彩な運用面からも大変興味深い列車です。1往復は釧網本線経由で釧路~旭川~札幌を走破し、下りでは名寄本線の興部行き、さらに驚くことは、上りの名寄発~名寄本線~遠軽~札幌なんてとんでもないコースを走破する列車もありました。
さすがに好んで乗るような列車ではありませんが、ちょうど9時間も掛かるこの列車は通しで乗る人なんてまず居なかったのではないでしょうか。



和56年3月 遠軽駅にて 急行「大雪4号」?

右側のキハ56とキハ27の2両編成を組んだ急行ですが、あまりにもショボイ編成ですので、『うさぴょんのマル鉄回顧録』でアップしたときは急行「天都」かもしれない、としていました。しかし、昭和56年の時刻表を確認したところ、この時期には既に急行「天都」は廃止されていました。
そこでさらに時刻表を追ったところ、
渚滑線の乗りつぶしから遠軽へ戻ってくるのが9:40。
特急「おおとり」と特急「オホーツク」が10:50を前後として交換が行われるのでこれを撮影。
駅へ戻ってから列車に乗ろうとすると、網走方面、旭川方面とも12時を過ぎるまで列車が無い。

網走発の558Dが遠軽12:11着。折り返し12:42の網走行き559D。
名寄発の1623Dが12:02着、そのまま12:38に旭川行き514D「大雪4号」となります。
そのときの私の行動と時刻表上の時間の相関がピタリと一致しました。
つまり、写真で言うところの左側が558D~559D、右側が急行「大雪4号」。

さらに、昼行の急行「大雪」はほとんどがグリーン車連結であるのに対し、この旭川行き「大雪4号」のみグリーン車は連結されていません。

以上のことから、全ての状況が一致し、写真のローカルな急行列車が「大雪4号」であることが判明いたしました。

ヘッドマークの無い気動車急行と言うのは、私的には撮影対象外だった筈ですが、北海道と雪景色、極寒の風景は、普通の気動車ですら魅力的に感じさせてしまうんですね。
ですので、本州ではあまり撮影実績の無い一般型車両たちも、沢山記録に残すことができたのだと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

73系:東金線

2012-01-27 00:30:00 | 旧型国電
73系:東金線


千葉県内、大網~成東を結ぶ東金線。
全線電化が昭和48年と遅く、電化当時より113系が運転されていたようですが、私が始めて房総地区へ脚を踏み込んだ頃、まだ73系の運用が若干残っていたようです。



昭和51年2月15日 大網駅にて 折り返し待ちの73系東金線普通列車

小学校6年生の終わり頃、初めて自主的に遠出(もちろん、親には内緒で)したときに、何故か大網駅を訪れています。そのときに撮った東金線の写真です。
その頃は状況を全く知る由もありませんが、大網駅は移転とともに外房線スイッチバック解消の工事が行われたばかりのようで、新しい駅にこの茶色が妙にミスマッチだったことを思い出します。

お断りとして、ポケットカメラのネガからのプリントですので、非常に画像が荒く見づらいと思います。また、色調が経年劣化で恐ろしい色に変化しつつありますので、スキャニング後に色調加工をしておりますのでご了承願います。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ