ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

"戦争は犯罪だ"、考えてみた。

2022-04-07 14:30:43 | 世の中へ

 "戦争は犯罪"、"戦争犯罪"、たって一つ助詞がはいるかどうかで、言いたいことはかなり変わるよなぁ。

 次々暴露されるキーウ周辺での残虐行為、完璧な実証はまだだけど、まっ、ロシア軍の仕業で間違いないよな。この市民、非戦闘員に対する殺害、拷問、略奪を見て、これは犯罪だ!戦争犯罪だ!って声が上がってる。当然だ。

 だが、SNS上では、時に、"戦争自体が犯罪"、って悲痛な訴えも聞こえてきたりする。実はうちの神さんもその考え方だ。人が殺し合うことは、たとえ国家間であろうと許されるもんじゃない。人を殺せば殺人、国家間の殺し合いだって殺人行為で、それは犯罪だ、って思いだ。そうだなぁ、たしかに考えてみれば、国がお墨付き与えりゃ、敵を倒すことは許されるどころか、時に英雄として賞賛される、おかしな話だぜ。兵士だって、人間、それぞれに家庭があり、愛する人がいて、大切にする暮らしがある。戦いだ、殺されたって仕方ない、とは割り切りにくい。

 戦争そのものを無くそうって意思はとても大切で、世界の究極の目的だと思う。それは崇高な目標で、常に実現に向けて努力を積み重ねて行かねばならない。まったく異議なし!だ。

 ただ、なぁ、だからって、"戦争犯罪"を十把一絡げに"戦争は犯罪"の中に覆い尽くしちまうのは違うと思うんだ。

 ほんの少し歴史を遡っても、人間って奴は戦いに明け暮れている。第二次大戦以降、アメリカはベトナム、イラク、アフガニスタン。ロシアもアフガン、ただしこれはソ連としてだが、チェチェン、シリア、そしてウクライナ。他にもイスラエルとパレスチナ及び支援国家との戦い。旧ユーゴスラビアやルワンダの民族浄化の残虐行為・・・。俺の乏しい知識でさえ、すぐにこの程度は上げられる。

 人間とは戦う動物!殺し合う生き物!って、決めつけたくなるくらいだぜ、やれやれ。だったら、せめて、ルールくらい決めようじゃないか。ボクシングなら体重制があり、3分間の試合時間とラウンド数が決められている。細かくみるなら、ローブローや意図的なクリンチはダメとか、いろいろと取り決めして、無制限の殴り合いからスポーツとしてのボクシングが確立した。戦争だって、やりたい放題、残虐目一杯はダメじゃないか。こんなに頻繁に、性懲りもなく戦われるなら、せめて壮絶な皆殺しにまで至らぬよう、取れ決めをしようじゃないか。

 何言ってんだ、殺し合いしといて、とも見えるが、これが拙いながらも人間がやっとたどり着いた到達点なんだ。第一次大戦で毒ガスが多くの兵士を苦しめた経験から、これが禁止された。細菌兵器についてもそうだし、さまざまな戦いを経るごとに、こりゃ酷ぇぞ、って武器や戦い方が正規?の戦闘ルールから追放されてきた。ロシア軍のクラスター爆弾や白リン弾の使用もやり玉に上がっている。

 戦い方についてもルールが決められた。市民、非戦闘員は攻撃の対象にしない、逮捕、処罰する時は必ず裁判が必要だ、とか、捕虜を虐待してはならないとか。

 愚かな人間が、膨大な犠牲の上でようやく手に入れた賜物?これが戦争ルールなんだ。

 ただ、残念ながら決めてみたところで、みながみな守るわけではなかった。手痛い過去、現実があまたあった。ロシアに関して言うなら、今回ウクライナで見られた虐殺行為は、チェチェンでもシリアでも経験済みなのだそうだ。(CNN:ロシア軍に深く根付いた「残虐行為の文化」)ただ、その糾弾の声は、世界に広く届くことがなかった。

 今回、ウクライナで初めて世界的規模で、庶民レベルで、これら残虐行為が戦争ルールの違反だという認識が行き渡ったってことだ。そうか、戦争犯罪ってものがあるのか!ってちょっとした驚きが、悲惨な映像や情報への圧倒的な驚愕とともに、人々のもとに届いた。国際司法裁判所とか国際刑事裁判所なんてものもあるってことも多くの人が知った。

 そうか、だったら、この際、ロシア軍やプーチンの行いを犯罪者として裁こうじゃないか、でなきゃウクライナの犠牲者、やってらんねえよ!これが今、声高に戦争犯罪という言葉が叫ばれている理由だ。

 だから、"戦争は犯罪だ"って恒久平和の理念で一般化、抽象化するのは、ちょっと待った!ってことなんだ。少なくとも今じゃない。

 せっかく、戦争についての規範?が浸透しかかってるならこれをもっと広く深く追及して行ったらいいんじゃないか。戦い方はもちろん、武器についてもだ。究極の非人道兵器、そう、核兵器の禁止だ。各国は核兵器禁止条約の締結に向けて今一歩のところまで来ている。今回、プーチンが使用をちらつかせたことで、この破壊兵器の空恐ろしさ、世界が終わる!が実感させられた。

 いい機会だぜ、戦争のルール違反の中に、核兵器も取り込むことができる。そうやって、ルールを厳しくし、厳格に順守する世界の目を育てて行く、その先にかすかに戦争は犯罪だが見えて来るんじゃないいかねぇ?

 下手に戦争できねえぞ、世界の目がぐっと光ってきたからな、と自重するような意識、日ごろから話し合いを大切にすることだ戦争しないためには、そんな外交の常識を広めて行くように取り組み、それが平和を望む国のあるべき姿だろうぜ。一部、亡国の政治家たちが叫び出した核共有とか、敵基地さらには中枢までも攻撃の視野に入れるなんておバカな発言は、時代の趨勢ってもんを見誤った見当違いのトンチンカンってもんなんだぜ。

 

コメント
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