ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

大会おまけ旅:水戸黄門漫遊マラソン

2016-11-01 09:03:20 | ランニング

 さて、水戸黄門漫遊マラソンで書くのはこれが最後。今回は前日のおまけ旅の報告だ。

 まず、列車旅。鈍行、慣れてきて、ワクワクドキドキ感、なくなってきたなぁ!人間、何にだって順応しちまうって、大切な能力だけど寂しくもある。最初の時は、奥羽本線峠駅の「峠の力餅」売りにだって感動したもんなのに。しょうがない、本でも読んで過ごすか、幕末水戸本の2冊目を読み続けて、早!郡山。時間がさっさと過ぎるてのは、慣れのプラス効果だ。

 ここで乗り換えは水郡線。水戸まで、なんと3時間半の長距離直通、急行とか快速、なんかじゃない、正真正銘の各駅停車なんだ。珍しい。各駅停車の場合、だいたい1時間か1時間半で乗り換え、次々乗り継いで目的地に着くって線がほとんどだもの。まっ、各駅普通列車の場合、通勤、通学用が主体、途中幾つかの地方都市を結ぶ形だから文句は言えない。たまに乗せてもらうもの好き旅行者だもの。

 のんびり行こうぜ。途中、なんかとても懐かしい光景が続いている。両側はさほど高くはないが丘陵、というよりこんもりとした森が広がり、その合間の沢筋に張り付くようにして集落がぽつりぽつりと点在する。田んぼも、区画整備されたものなんかまるでなし。地形に合わせてぐにゃりと変形した二三畝程度のちっぽものばかりだ。しかも、取り付けの農道も無かったり。そんなはずはない。こんな小規模稲作でも、収穫はほとんどコンバインだもの。途中、地方都市的な町は、まったくない。交差する鉄道もなし。なんか時計を巻き戻したような沿線風景だ。それが延々3時間近く続く。いい列車に乗れたなぁ、このおまけなかなかのめっけもんだった。

 さて、水戸だ。

 おお、黄門様御一行がお出迎えだ。大会の幟旗も数メートルおきに翻って、いいよ、いいよ、やる気満々だね。

 嬉しいね。郡山の10マイルレースなんか、旗はもちろん、標識もまったくなかったもの。えっ、こんなもん列車乗って来る奴いるの?ってあんた、お邪魔感が丸出しだった。気持ち良くして、まずは歩く。リュック背負って。駅前から伸びる中央道路、これが明日のレースのスタート地点だ。この道を真っすぐ2キロほど先の千波湖を目指すが、なかなか現れない。途中シャッター商店なんかもあって、こんな中心街でかよ!アーケードのある商店街も人通り、極端に少ない。ハローウィンのしけたイベント、ごめん、でスタンプラリーを巡る親子ばかり。うーん、ここも悩める地方都市のお仲間なんだろうな。きっと、郊外に大規模店なんかあってその周囲が賑わってるんだよ。

 昼飯、食うとこないか?できればこの地の名物、この地のお店。ないなぁ、イタリアンにラーメンに、なんだぁ、大阪串揚げ?宮崎名物?おいおいおい!おおアンコウ料理店、あった。でも、アンコウ苦手だからパス。他に名物は、けんちんそばってのがあるらしいんだが、見当たらない。どうも、水戸ってところは食に強い愛着を持つってる町じゃないみたいだ。駅ビルの中もほぼ全国チェーンが軒並べてるし。まっ、千波湖に行けば、好文茶屋とか好文カフェてのがあるらしいから、そこでもいいか。

 ようやくたどり着いた千波湖、広い!都市の真ん中にこんなに大きな湖って珍しいんじゃないか。よく、埋め立てようとかしなかったもんだ。ともかく広い。山間の観光地なみに白鳥ボートが浮かんでいる。ほれほれ本物の白鳥も黒鳥も鴨もその他いろんな水鳥達。いいねぇ、街中に鳥たちのオアシス。

 周囲は遊歩道。もちろん、ランニングコースでもある。走ってる、走ってる。明日のレースに出る人たちかな。ぐるっと1/3周してたどり着いた茶屋とカフェ、お目当ての名物料理などとはほど遠く、ソフトクリームにパスタ。ダメだ、こんなとこで、せっかくの空腹を満たすわけにゃいかん。こうなりゃ、見学が先だ。

 幹線道路を渡って、偕楽園に。ここは見事に整備されている。お客さんも多い。でも、もちろん、梅には季節外れ。まず、光圀公と斉昭公の事跡を紹介した義列館を見る。

 説明文はすでに学習済の内容に加えるようなものは少なかったが、烈公斉昭の書の見事さには驚かされた。詩作の数々や自作の茶器なども展示されている。尊王攘夷の過激派ってばかりじゃなかったんだ。結構、風雅な人だったんだなぁ。そうそう、その後見学した好文亭もかなりの美意識の高さと文化への傾倒を見せてくれたっけ。その後の学習で、斉昭の奥方は公家出身の方で、二人で合奏なんかも楽しんたってことだった。大きな政治的な浮き沈みを経験しながらも、この優雅な暮らしぶり、ただものじゃあない。

 展示物でおおっ!と感動したのは、直径2メートルもの大太鼓。斉昭が好んだ追鳥狩(模擬戦闘訓練)で合図として打ち鳴らされたものだそうで、これドンドンと打たれたら、こりゃ、若い奴らの血も滾ったことだろう。自家鋳造の大砲も展示されていたが、これはたしか、天狗党と幕府軍艦が那珂湊で撃ち合った時、幕府軍艦の砲はばんばん届くのに、陸地の自家製は途中でぽしゃりぽしゃりって書かれてた、あれじゃないかな。もちろん、説明にはそんな恥ずかしいこと、書いてない。どうしても、地元の資料館や展示館てのは、手前贔屓になるものだ。そりゃ仕方ないさ、歴史研究とは違うんだから。

 好文亭は、一応入ってみたが、こういう殿様の趣味道楽に付き合う歴史散歩がしたいわけじゃないので、さっさと切り上げ、県立歴史館へ。入場料600円高!と思ったら、特別展示「三昧塚古墳とその時代」てのやってたからだった。ただ今の関心事ではなかったが、払っただけは元取ろうと、ざっと見学。かなりの豪族が支配してたんだぁ、なんてありきたりの感想を抱いて、常設展示へ。さすが、県立。原始時代から現代までの茨城県の姿が、とても見やすく展示説明されていた。しかし、水戸攘夷派、天狗党関係の詳細については、維新後、一時追放された穏健派が水戸に取って返し、弘道館で一戦あったってことを教えてもらえたくらいだった。

 そうか。水戸に天狗党関係の資料館や顕彰施設がそれほど多くないのは、つい100数十年前、藩を二分しての血で血を洗う抗争が未だに人々の間にわだかまっているってことなんだな。互いに徹底的に弾圧しあったらしいから。その子孫たちだって、心の底じゃ許し合ってはいないってことだ。で、僕が知りたいのは、そういう人たちの思いなんだってことに気が付いた。でも、そんなのはこんなおまけ旅の通りすがりに許されるわけがない。せいぜい、その地に足を運んで、往時を偲ぶしかないってことだな。

 偶然、レース前日の朝日新聞の「be」に天狗党が特集されていた。天狗党が降伏し一時収容された敦賀、そこに天狗党の記念施設が残されているってことだった。なるほどな。いつか、行く機会あるかな?ないだろうな。

 歩いた、歩いた!なんとガーミンの歩数計は30000歩ほ超えちまったよ。足はともかく、背負ったリュックが肩に食い込み痛い。食事処も見つからず、うろうろ。もう、どこでもいいよ!ってことで、駅前の居酒屋で、納豆のから揚げとあん肝豆腐で一杯。ふー、効いたぁぁぁ。てことで、またもや飲みすぎ。やれやれやれのおまけ旅、満足度50%の疲れ旅だった。明日は大丈夫か?

コメント
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