ステージおきたま

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菜の花座8月公演は『お遍路颪』その一

2015-05-28 10:43:00 | 演劇
 8月公演の台本がようやく上がった。いつもながらなかなか辛い作業だったけど、今回は特別苦しかった。

 タイトルは『お遍路颪』、秩父の34ケ寺を巡礼するお遍路に託して、秩父事件を題材に書いた。史実を対象にして書くのは初めて、それもたかだか百数十年前の出来事だ。当事者はともかく、3代前、4代前の縁者なら今も存命だ。事件に深い関心、愛着を感じている人たちも少なくない。事実にどこまで即し、どこまで自由に想像の翼を広げられるか、なかなか難しい課題だった。

 一般に知れ渡っている事実なら、ある意味楽な部分もある。少なくとも史実の概略は前提として省略できる。でも、秩父事件となると、聞いたこともないって人も少なくないはず。となると、事件そのものも伝えなくてはならない。演劇として歴史的事実を伝えるのは結構難しい作業なのだ、学者の講演会じゃないわけだから。しかも、事件の全容を伝えたり、その評価を表現するのが目的であるはずもない。その先の、事件を生きた人たちの苦しみ、恨み、憎しみ、寂しさ、誇り、様々な感情に分け入って、何かしら僕なりの新しいものを生み出さなくてはならない。

 かなり以前、そう、昔って言っていいほど前から、この題材で芝居を作りたいと思っていた。日本でもっとも革命らしい革命。パリコミューンにも比肩される民衆の蜂起と権力掌握。それが、秩父の山深い地で呻吟していた貧困民を担い手として勃発したのだ。彼らは秩父困民党を名乗り、革命軍と称して、町場の高利貸しを焼き討ちし、官庁を占拠し、わずか三日間ではあったが、大宮郷(今の秩父市)を自由自治の地として解放したのだった。明治17年11月1日、彼らは自由自治元年とその日を呼んだ。名主層や自由党員に率いられた困民軍は、緊急に派遣された憲兵師団や近衛師団の最新軍事力の前にもろくも粉砕され、首謀者の多くは死刑、その他懲役刑や罰金刑に苦しむ者多数を生み出し、地域からも日本の歴史からも、長い間、歴史の闇に葬られて行った。

 と、ブログの記事でさえ、概略説明が必要なわけだ。もちろん、彼ら困民党に依った人たちの意気や志にも深い感動を覚える。でも、それなら、数々の関連著作に、もう十分に書き表されている。僕が書くとしてたら、一時の熱気や歓喜の後に来た苦難の時間だろう。中でも、残された妻や母、女たちの生き様は、複雑に絡み合い屈折して、生きることの辛さ、苦しさ、それらを乗り越える尊厳を教えてくれるように思うのだ。

 だから、登場人物は一人を除き、全員女だ。そのただ一人の男も女性が演じる。女たち10人で、秩父事件を伝え、事件の中で呻吟した女たちの苦闘を語らせたいと思っている。
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