ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

”うちの嫁”こればっかりはご勘弁!

2015-05-18 10:57:30 | アート・文化
 以前書いたコント台本に、何気なく、「メルアド」って使って、若い役者に渡してから気付いた。今じゃもう、「メアド」なんだよな。役者は当然気付く、でも、彼女ら優しいからね、今時「メルアド」はないでしょ、なんて突っ込んだりしない。台本通り、メルアドで通してくれた。もっとも、時々うっかり「メアド」が出てきたりしてたけど。

 ごく普通の年寄りなら、若者言葉がなんだ、昔はこう言ったんだ、これが正解だ、とでかい面してふんぞりかえってればいいわけだけど、台本書く人間としてはねえ、いい加減にはできないんだ。別に若者言葉に媚び売るつもりはないけどね。

 でも、どうにも違和感が大きくて、聞くたんび、耳の中がこそばゆくなるのが、「嫁さん」だ。あるいは、「うちの嫁」だ。

 最初に気になったのは、職場の同僚が結婚披露宴で「うちの嫁と発言した時だった。ようやく?もらったお嫁さんをなんだ!「うちの嫁」呼ばわりとは。彼は優秀な男で、日頃一目も二目も置いていただけに、こりゃ許せん!注意してやらにゃならんぞ、これは。誠心誠意、親切心から強く決意した。

 だいたい、嫁という言葉の意味はなにか。辞書には「息子と結婚した女性を親の側から言う語」または、「結婚する相手の女性」のことであって、結婚後、夫が妻を指す言葉では断じてない。

 しかも、この言葉、家つくりが付いているように、結婚は家への従属あるいは帰属の意味が大きく、女性を家の付随物とする前時代的な呼称なのだ。戦後女性の解放は、まさに、この「嫁」からの脱却の道筋であったと言っても過言でない、かな?

 戦後民主主義の申し子とも言える我ら団塊世代にあっては、「嫁」はもっとも忌むべき言葉なのである。なーんて、世代を一括りにすると無理があるけど、ともかく「うちの嫁」には強烈な違和感があるのだ。

 いつ注意すべきか、いつ諫言すべきか、時を見計らっていたら、なんと、他の既婚男性職員たちもしきりに使っているではないか!!

 以降、少し気をつけて聞いていると、タレント連中なんかが盛んに使っているってことがわかった。ははーん、おおかたこんなところが出所なんだろう、過去のいきさつを知らぬ愚か者めら。

 思うに、新婚ほやほやのデレデレ夫が、「僕のお嫁ちゃん」なんてやにさがっているのが、なし崩し的に結婚経過年齢に関わりなく使われるようになっていったんだろう。

 もう一つ深読みすると、「家」というものの希薄化という時代趨勢の影響がある。三世代、四世代同居とか、代々受け継ぐ家名なんてのがおよそ人気がなくなり、若者の意識の中では、もはや緊縛力としての「家」はなく、パパがいてママがいて子どもがいる核家族こそが「家」と意識されているということなのであろう。

 だとすれば、女性の「家」への従属は解消したわけで、まっ、時代とともに言葉の使われ方もかわるんだ、うん仕方ない、年寄りは黙っていようってことになる。

 それでもなお、「うちの嫁」には抵抗感がある。やっぱり「家」はついているのであって、妻あるいはパートナーは家に居る者、家を守る者のとの意識が発言する夫の側に濃厚にあるように感じるからなんだ。その証拠は「嫁」の反意語である「婿」だ。妻が夫の呼称として「うちの婿」と言うことはほぼないだろう。

 夫も妻も対等のパートナー、家庭は二人で共に手を携えて築くもの。どっちかに「家」を押しつけるなんて、これから風ではないと思うのだ。仮に夫婦間で役割の分担をするとしても、それはあくまで互いの了解の上でのこと。あらかじめ決められているものではない。

 なっ、だからさ、「うちの嫁さん」って言うなよ。

 じゃあ、なんて呼べばいいのさ?はっ!これが実に、まったくもって、いやはや、問題なのであって、奥さんて柄じゃないし、母ちゃんは幼児的だし、家内じゃ嫁さんと同じになるし、妻も固いし、と、迷いに迷って、「神さん」なんて言ってはいるんだが、これもまた、違和感ありには違いなく、結局、この言い表し方の難しさが、「うちの嫁」の使用頻度を上げることにもなっているのだろうね。

 結論、やっぱり、「うちの嫁」は嫌だ!

 
コメント
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