たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

本末転倒でも

2012-01-22 04:48:48 | Weblog
 基本的に優しくされないと優しくできない。っで、物理的に考えてみると、その総量って、一定なんじゃないかって思えてくる。

 優しくしすぎると一人で何もできなくなっちゃうとか、甘えすぎてしまうとか、なぁなぁになっちゃうとか、そんなことを思ってる人は、誰からも本当の意味で優しくされてきてないんだろうし、されてたとしても感じとれてないんだと思う。
 人は優しくされて初めて強くなれるし、守られているから自分を全部露呈できる。

 ただ、この総量が、結局増えないような気がしてしまうと、そんなキレイゴトも言ってられなくなってしまうかも。
 例えば、誰かから3もらって、また別の誰かに10くらいあげることはできるんかな。

 毎日の生活の中で、どうしても、自分中心で考えちゃう。自分の利益を一番の優先順位にしてしまいがちだ。
 誰かどーでもイイヤツが学校やめるかもって危機に瀕してたとしても、たった自由科目2単位のための提出期限が近づいてる自分のレポートについてのほうが遥かに心配してしまうだろう。どーでも良くは無い、好きな人であっても、その人がボールペンをどっかやっちゃったってことよりも、上司から自分に来てるメールにどう返信しようかということのほうが大事になってしまったりする。

 だから自己犠牲が必要、なんて、結論にはしない。俺の答えは、だから、なるべく器用にならないといけない、だ。
 自分が忙しい時でも、大変な時でも、器用に振る舞って、どれだけ、相手のために、誰かのために、みんなのために、2人のために、グループのために、今出来ることが考えられ、実行出来るか、それが大切であると思う。

 お金や能力で解決できるような部分は、そういう即物的なコトで解決したら良い。能力で優しくできるんなら、こんなに手っとり早いことはないから。
 そして、仕事や大きい集団じゃないときに、ちゃんと優しくしたい時は、本気を出せばいいんだと思う。実質的に片手間になったとしても、それは片手間にはならないはずだ。

 なんのために、頑張っているのかを、今一度、確認してみた方がイイ。
 自然科学は、自然科学そのものを理解するために研究するものではなく、それを通して得られた技能を使って、人に優しくするノウハウを確立するためにある。そうじゃなきゃ、優秀とは言えねーんだよ。

 他で得られた技能を本質に活かすことで、優しさの総量を増やすことができる。3もらって、10返せる。
 意義ある頑張り方をして、なるべく実質的に頑張らないようにすることが、本末転倒にならないようにする一番の方法であり、そういうことにさえ気が付いてしまえば、楽しく過ごせるんだと思っている。早い話が、不真面目に生きて、マジメに生きれば良いのだ。

 まぁ、だーれも、そんなに上手くはいかないけどね。少なくとも俺には無理かな。
 だから、そのために一歩近づこうと努力すること、つまり、そもそもの真面目さ、かつ、どうにか相手へ出来ることを探そうとする気持ち、が同時に存在していれば、全然ダメじゃない、めっちゃくちゃおっけーだって思う。
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