たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

学振に落ちたら

2015-10-18 04:33:28 | 自然科学の研究
 なんか研究ネタばっかり続きまくってますが、これもついでに書いておこうと思います。

 学振ってのは、正式に言うと、学術振興会特別研究員のことで、ガクシンって言った場合は、普通、博士課程1年生から3年間月額20万円貰えるDC1と、博士課程2年生もしくは博士課程3年生から2年間月額20万円貰えるDC2のことを言います。学術振興会自体は、別にそれだけの組織ではなく、基盤研究や若手研究などの予算を出していたりするのですが、なぜか学振って言った場合は、DC1とかDC2のことを言うことが多いです。学振にはPDもあるのですが、その場合は、学振PDと言うことが多い気がします。

 っで、たかはしけいは、学振とってたの?
 いいえ。いっさい。これで話を訊く気が無くなった方は、どうぞ戻るボタンを押してください(笑)。博士課程在学中にDC2を2回出しましたが(D1とD2のとき)、一度目は不採用Bで、二度目は面接になって補欠になって落ちました。

 最初のDC2のときは、素直に自分って実力ないんだなぁと思って落ち込みました。二回目は、DC2なのに面接に回されて(かなり少数派です)、それから12月には結果がでるって聞いてたのに補欠で、2月に最終結果が来ると言われ待たされた挙句、2月の最後の週の前半に採用者向けの通知が届き、どういうことなの?っと思って学振に電話で連絡してみると、かなり待たされて一言、手違いですって言われて、結局不採用でした。

 これのせいで、結構、精神的に不調でした。
 っで、この不調を癒してくれたのは、最初のDC2のときは、教職の介護等体験のデイサービスで出会った職員の方とおじいちゃんおばあちゃん達。自分に実力なんて無くても別に良いや、って思わせてくれたのは、DC2落ちて直ぐに伺った介護施設にいる人たちだ。あの時期に介護体験で本当に良かったと思う(文科省の政策に踊らされてる?笑)。そして二回目のDC2のときに癒してくれたのは、STAP事件(笑)。

 で、落ちるといろいろな人が、いろいろ無意味なことを言ってくれるわけですが、研究業界の人たちは、ごめんなさい、正直、誰のどの言葉も、まったく俺に響いていません。助けてくれたのは、他の人たちです。まぁ、悩みを打ち明けたりしてるわけでもないんだけどね。

 二回目のときは待ち続けるだけの現状に、けっこうイライラしていました(ただ、あの時期は他のことでもイライラしていたので、必ずしも学振だけでも無いけど)。それは、採用不採用の決定が引き伸ばされ続けていたからだと思っています。学振を否定することも肯定することもできませんからね。落ちたとき、1週間休業宣言をして休んでいましたが、そのときが一番スッキリして、いろんな意味で楽しんでいたかも。

 落ちて、例えば、「文章の書き方を、誰にでもわかりやすく、書けるようにならなくちゃいけない」とか「業績項目を増やすために、とにかく論文を出さなくちゃ」とか、よく言われていますが、それに対して俺が『でも、そんなことをするために、大学院に来たわけじゃないでしょ?』というと、たいていの良識ある大人な方たちは「お金を貰うんだから、それは仕方ないでしょ?」的なことを言います。
 たぶん、ここで思考を止めるのは少々もったいなくて、ぶっちゃけ博士課程にいる人って、そんなにお金に困っていないでしょ?本気で緊迫している人って、います?そりゃ俺も例外は幾つかは知ってるけど、学振取らなきゃ、って思うのは、大多数はお金の問題じゃない。よく、科研費をとるときの話を引き合いに出す人もいますが、これも的外れで、研究にしか使えないお金と、自分が完全フリーで使えるお金は、まったくの別物である。

 学振取れないと怖いっていうのは、博士課程というある種のモラトリアムだと世間から思われていることに対して、月額20万円を一過性ながらも安定的にゲットできるという、世間体から来るもの、かつ、有能である自分を認めてほしいという気持ち、だと思う。
 よくよく考えてみると、俺はどちらも要らないので、そう思えたときに、やっと吹っ切れた。もちろん、どうとも思っていないと言ったらウソであるけど、こうしてブログに書けるくらいには、どうでもよいのは本当であると思う。

 学振というのは、まぁ、審査は杜撰だと思うし、だいたいDC1に至ってはM2の5月とかに書くわけで、研究室を変えてストレートで行こうと思ったら絶対に無理だし、論文書いてたら有利って言うけど、学部4年生とM1で論文書いてるって、よほどの天才か、よほど要領が良いか、よほど言われたことをやってる奴隷か、そのどれかだろ。で、よほどの天才の割合は5パーセントに満たないと思う。
 学振の悪口なら(おそらく俺じゃなくても)いくらでもでてくるが、一番大きいのは、そもそも1年後の研究計画を書くって、どうよ?

 「で、この○○の話っていうのは、どう関係してくるわけ?」
 『いや、この式は、そういう意味じゃありません。ここがこうなって、こっちの影響がこれくらいでるだろう、という式です(っていうか、俺、そもそも一言も○○って言ってねーぞ、こいつ俺の話聞いてたのか?)』 
 「じゃぁ、それはいい!!では、□□については、知ってるんですか?」
 『(ぜんぜん関係ないじゃん!俺、そんなことについて、全然何も話してないんだけど?)えーっと、□□については、うろ覚えですが、△△ではないでしょうか?』
 「違う!」

 みたいなやり取りが学振の面接で行われた。学振の複合領域の面接官に選ばれる教授は、高校生程度が理解できる数式を理解しようともせず、ただ自分の知識だけで押し通してくる、知識自慢のバカでも選ばれるのか、と思っていると、なんと他の2人の審査員がコメントする時間がこのバカのせいで無くなってしまった。
 無能な人間に審査されながら、自分の研究を最大限よさげにアピールし、老眼の先生にも見えるくらいの文字の大きさと図の大きさで申請書とスライドを作ることが、月20万円に直結している。

 それを、くだらない、と思うのも、お金は大事だ!、と思うのも、俺次第。

 あれから、本当にいろいろなことを考えた。民主主義の問題性、考えることを諦めたバカが大多数である場合に、本当に重要な研究を遂行していくことは難しいだろう。多数派が正しいということにはならないのがフロンティアラインを広げる行為をしている研究の難しいところで、「医療」って言ったり「環境」って言ったりしてればキャッチーになるかもしれないが、実際問題それを突き詰めたときに、どうなってしまうかをまったく考えていない。キャッチーであるということが、わかりやすい、ということになっているのだ。
 俺は、これはいつも言ってることだが、物事を考えることを停止させた人間に自らの研究内容を一生懸命にプレゼンテーションする必要はない、ただし、考えていることを諦めていない人には自分の研究内容を絶対にわかってもらうようにプレゼンテーションしなくてはいけない。しかし、国の研究の最高機関であるはずの学振の、その未来を担うであろう特別研究員の審査員であっても、物事を考えることを停止させた人間は確実に存在している(俺の審査にいた人のことだけを言っているのではなく、それ以外のあの世代について言っている)。

 それに、そもそも、俺らは、何か(論文や申請書)に「書ける」というために、科学者を志しているわけではないだろう!
 「書ける」「書ける」と繰り返し、それが得意技能、ましてや文章作成能力こそが研究者として必要不可欠なスキルだと得意げに語っている姿は、本人たちが思っている以上に滑稽だ。情けなく語るならまだ良いが。

 だがしかし、すべての怒りは、自分の能力に向けられている、と言われるが、あの時の俺も、自分の能力に対して怒りが向けられていたのだと、しばらくして悟る。

 それは、論文を1本でも書いていれば、とか、文章作成能力が、とか、ましてや研究遂行能力が、とかではなく、俺自身が、自分で金を稼いで、それをサイエンスとして運用するという独自の経済的な原則の必要性をいっさい無視して、誰か(この場合、学振や指導教員)にこの部分を丸投げして誤魔化して、自らの経済原則を確立させようと努力していなかった、ということだ。そういえば忘れていたが、俺は、これに気が付いてから、とりあえず、簿記を勉強し始めた。

 今、論文が3本あると、周りからの評価のされ方が全然違うことに、はっきり言ってムカついている。それまでの俺と、今の俺と、テメー程度が見えている実力については、そこまで変わっていない。

 というわけで、学振をとってるから優秀だとも思わないし、学振をとってるから優秀じゃないとも思わないし、学振をとってないから優秀だとも思わないし、学振をとってないから優秀じゃないとも思わない。
 研究業界にいる、ほぼすべての人間が、国の予算の奴隷であり、そこに縛られている以上、誰もが優秀ではなく、まだまだ、ただのバカだと俺は思う。

 いま学振PDと同じかそれ以上くらいの額を貰っていて、間接的に学振のお世話になっているからこそ、吹っ切れられているのかもしれないが、、それ以上に本心として、自分や誰かが、優秀か優秀じゃないかとか、どうでもいい。そんなことよりも、みんなで楽しく、ものづくりを楽しみたいなと思っている。
 そして、また違う風が吹き始めようとしていて、それが好転すれば、周りからの評価もまた上がるだろう。それが好転しようが暗転しようが、もちろん好転すれば今よりも理想に近くなるであろうが、根本的な問題が何か解決されるわけではない。

 『あの、はっきり言いますけど、あなたたちの手違いによって、俺の学術は、今日、いっさい振興されていませんし、むしろ邪魔です』

 と電話口で言い放ったとき、研究において、いや、自然科学において、独自の経済原則を確立させられるまで、多くの学術は正しく振興されないだろうなぁ、と思った気持ちを、俺は忘れてはいけないと思う。

 今、あなたが学振に落ちて、何らかの形で傷ついているなら、気持ちはそれぞれだろうし、何かの気持ちを汲んであげることはできないが、俺はこう言葉をかけたいと思う。
 『とことん思い悩め!考えつくせ!』

 それが未来を創るし、そこに価値があると思うし、俺自身、その部分にとても期待している。

 (あと、今日はかなり身を削ったはずなんで、アクセス数期待してます笑)

(2016.8.10 追記)
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33 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:ご挨拶 (KeiT)
2018-10-17 21:41:21
コメントありがとうございます。
そして、DC2採用おめでとうございます。

企業行ってからアカデミックも良いですよね。企業で学べることもそれなりに多いと思いますよ。重要なのは、自分が歩んできた道・歩んでゆく道をとにかく肯定して、楽しむことですよね。
色々な選択肢があると思いますので、ゆっくり考えたら良いと思いますよー。
返信する
ご挨拶 (お麩)
2018-10-17 15:07:06
はじめまして

Twitterでの杉本幸太郎先生とのやりとりからこのブログに飛んで参りました。そして、この記事を拝読していて既視感を覚え、昨年DC1に落ちたときに読んで救われた記事だと気付きました。お世話になりました。ありがとうございます。

私はいまD1で、先日、春に出したDC2 の内定を頂きました。その上で今後の進路に迷っております。

博士号取得後、1度企業で働いてからアカデミアに戻るというキャリアについて、どう思われますか?
返信する
ロッキーさんへ (KeiT)
2018-02-04 16:24:46
ロッキーさんへ

コメントありがとうございます。よかったですね。
なかなか不遇な環境でやり続けるのは大変だと思いますが、続けていれば報われるものなのかもしれませんね。

私からコメントがあるとすれば、「勝って兜の緒を締めよ」です。
勝ってしまっている時こそ、負けている時の自分の思考回路を思い出すことが重要だと思います。

では、また
返信する
続・学振に関して (ロッキー)
2018-02-03 23:27:19
どうも、ご無沙汰しております。しぶとくイギリスで研究を続けております。真っ暗闇だったD3から、その後イギリスに来た経緯、近況などを報告します。僕と同じように暗闇を感じている博士課程の学生の参考になればと思います。
僕はDC1、DC2に落ち、ついでに海外学振も落ちたD3の11月、卒業後の進路未決定(アカデミック希望)、奨学金の返済900万円弱を抱えて社会に放り出されるという状況にありました。因みに同じ研究室にDは3人おり、同期はDC1、後輩はDC2に採択が決定しておりました。この時ばかりは楽天的な僕も沈みきっており、何のために研究しているんだろうとか虚しくなったり、実験の合間に大学の裏に流れる川の畔で1時間ぼーっと水流を眺める事もありました。それでも歯を食いしばって博士課程修了まで研究をやり遂げました。
さて、そんな真っ暗な状況に徐々に転機が訪れます。11月下旬に大学院の授業料全額免除の通知(初申請)、12月には上原記念生命科学財団の海外留学助成に採択されました。これにより大学院修了後、イギリスの大学に博士研究員として行く事になりました。その前後で、日揮実吉奨学金と自大学の奨学金に採用され、80万円ほどを手に入れました。なお、上原財団の助成は1年間、340万円で、VISAの申請費(10万円ほど)、渡航費(17万円)などは全て自腹のため、900万円弱の奨学金は重く、全く気は浮かれませんでした。
その後、無事に博士号を修得し渡英。
渡英して1ヶ月が経過した頃、学生支援機構から、博士課程における奨学金返還の全額免除通知が実家に届きました。これで博士課程で借りた288万円がチャラになり、借金は600万円弱。それでも到底返す見込みが立たず、また来年度のポジションも未定という、あまり楽しくない状況で今年を迎えました。この時、帰国後はコンビニでバイトでもしようと決意してました。
ところが、先週、イギリスの大学から申請していたマリーキュリーフェローシップに採択が決定しました。これはEUで最大の助成金で、期間は2年間、年収はバッファローマンほど貰えるそうです。これで完全に真っ暗な状況を脱却できます。

本当に何があるか分かりません。大切なのは、無理だと思っても申請書は出す。申請書が落ちても自分を責めない。精神的にキツければ川の流れを見たり、散歩するのも良い。でも最終的には研究室に戻ってくること。全部やってダメだったらコンビニバイトでも良いんじゃないか。そんな風に思います。
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Unknown (KeiT)
2017-05-15 23:00:16
コメントありがとうございます。

第一印象としては「いや、そんだけ業績あれば、面接免除で普通に通るだろ。D1よりもD2が通りやすいみたいなこと訊くし」と思ったのですが、あまり期待せずに待っているのが良いと思いますよ。正直、私がD1やD2で出した時は、(出身研究室のすべてや共同研究先のすべて、学生が業績を出すということに全然協力的ではなかったので笑)論文はおろか、国際学会も一つもない状態でしたが、、逆に言うとそれでも面接になるということは、学生や若手が気にするほど、そこまで業績は重要じゃないのかもしれません。自分で言うのもなんですが、私は文章力ありますし、アイディア出すのとそれを論理化するのが得意なので。ただ、こればっかりは、あなたが出そうとされている分野に依るとしか言いようが無いのですが。
面接と書面の審査をされてる5人の先生は同じだと思います。あくまで私のときの印象としては、「業績無いけど、これは面白いから通すべき」という2人くらいと、「業績も無いのになんで面接まで呼んだんだ?だから、僕がこんな朝からこんなところに来なくちゃいけなくなっちゃって・・・」という3人くらいの派閥に別れていたと思います。(まぁ、これくらいはそろそろ時効でバラしてもいいかなぁ笑。何名か名前も覚えてますが笑)。

ちなみに、もし私が審査員で、それだけの情報を頂いて、昨年から業績(特に学会)がそれだけ増えていると分かったなら、その質がめちゃくちゃ気になるので、めちゃくちゃ調べます。大した進捗が無いのに業績だけ増やそうとして、やたらめったら学会に出てるんじゃないかどうか、もしかして論文も?、実質的にはどれくらい研究が進捗したのだろうか?と。しかし、そういう審査員は(どーせ)少ないので問題ないと思います。

もし、何か詳細に訊きたいことがありましたら、いつでもメールください。そのほうが便利かもしれません。DC2通るといいですね。
宜しくお願いします。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-05-15 11:28:27
今年もDC提出の時期が近づいてまいりました
私は今D2です
昨年のDC2は不採用Aでした。
(研究計画3.85、業績3.75(当時全部以下筆頭、査読英語論文1本、国内学会4、国際学会3、ポスター賞1、財団支援30万、奨学金免除(半額か全額か分からない段階)))、将来性3.5(評価基準不明?)
でした。
今年は研究計画は箇条書き風に書き直して、リベンジします。明後日提出です。
業績は倍くらいに増えた(全部以下筆頭、査読英語論文2本、日本語解説査読2本のうち1本査読無)、国内学会8、国際学会7、ポスター賞1、財団支援1、奨学金”全額”免除でした)
単純に考えるとD1よりD2の方が皆さん業績も増えていると思いますので、DC2はD2の方が有利なのか、それとも学年に応じて業績の規格化を図っているのかはわかりませんが、2回目のDC2で面接まで行かれたたかはし様的にはどのようにお考えでしょうか?
正直上の文面を拝見する限り、面接は面接官次第の運ゲー要素が多そうなので不安でいっぱいです。
もちろん面接まで駒を進めればという贅沢なお話なのですけれども。
研究者としての将来性というのも意味がわかりませんし、今回は面接免除目指して提出することにします。
もし高橋様と同じように面接に行けましたら、面接内容についても詳しくお聞かせください。
(さすがに昨年の評価不採用Aを下回ることはないと信じたいです)
長分失礼致しました。
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皆様へ (KeiT)
2017-04-27 22:32:30
 えっと、これまで無意味な煽りも消さずに載せてきましたが、俺に言うのはともかくとして、他の方にも失礼になるような行為は管理者として見過ごせません。短文での意味のない煽りは削除しました。ご了承ください。
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Unknown (KeiT)
2017-04-25 00:06:25
>>ゆずさんへ

コメント有り難う御座います。

そうですね。喩えるなら現代のアカデミックは「沈むことが決まってしまった船の上で、『自分のほうがまだ安全だ!』『ここのほうがまだ水が来てない』と叫んでる人たちが沢山いる」状態ですから、カネが欲しいだけなら船から抜け出して(さっさと就職して)、豊かな奴隷になってしまうのが得策でしょう。まぁ、学振とれても同じようなもんかもしれません。

ですから、気楽に頑張ってみてください。ただし、(あなたも仰ってるように)学振に通る気で頑張ってくださいね。学振は参加することに意義がありますから、安心して全力で「今できること」をしてみてください。では。
返信する
Unknown (ゆず)
2017-04-24 15:46:14
こんにちは、初めて投稿させていただきます。
私はD2で今年DC2を申請します(今作製中です)
DCとれない=研究者としてダメと思い込み、とても憂鬱な気分で申請書を書いていたのですが、ブログを読んでかなり救われました。(これで安心してはいけないというのは重々承知しています)。
思えば、学振とっても普通の企業に就職した方や学振とってもいまだに安定した職についていない方もいれば、学振とらず大学教授になっている方や研究者として大きな功績を残した方もいるなぁ、学振がすべてではないんだなぁと思うことができました。
あきらめず、ただあまり気負いせず頑張ろうと思います。
返信する
コメントありがとうございます (KeiT)
2016-12-25 23:02:06
>>ロッキーさん

 どうも面白い情報を有り難う御座います。(他の皆さんも面白い話があれば、ぜひ体験談を書き込んでくださいね。私から簡単にコメントしますよ〜)

 なかなか不運でしたね。あなたの指導教員の先生は、あなたに(もう少しくらいは)教育方針を説明する義務があるように思います。
 たとえば、理想を言えば、博士課程の理系学生であれば、最初から自分でアイディアを出してきて自由に研究して、何らかの成果を発表するのが好ましいですが、一般に、実験系のラボの場合、なかなか難しいのも現実的だと思います。できることが、極端に限られていますから。

 なので、与えられたテーマに対して研究をしながら自分の価値観の色をつけていくのが一般的だとは思いますが、、まぁそういう雰囲気でなかったり、指導教員にここの部分の理解がないと不幸ですよね。
 ただ、教育というのは本来、「自分が無価値であると思っていることについて、とにかく言われたことをやってみたら、最終的に新たな価値観を得た」という何かの事柄を体系的に学ぶ場ですから(それが博士課程でも適応されるかどうかは議論が分かれるところですが)、この先生についていってみるのも案外悪くないかもしれませんよ?あなたの指導教員があなたのテーマについて本当に"空洞"なのかどうか、私たちには判断できないほどに、高みにいらっしゃるのかもしれませんし。

 ここが信じきれない場合は(学生に対してこの部分を信じきれるようにさせられるのが、大学教員として"プロ"なのですが)、あなたはどうにかして、与えられた研究テーマに自分の色をつける必要があるかと思います。
 これは、私がこれまでに研究会などで何度か言っているセリフですが、「すべての研究テーマには意味があると思います。研究遂行者が優秀な人に変われば」。

 だから、自分の賢さと実力を信じて、お互い、ガチの実力(を向上させること)で新たな知見が得られ、最終的に成果があがるように(さらに新しい価値観が得られれば最高)、頑張りましょ。
 それから本当に必要であれば、カネはどこからか降ってきますから、そこは無理にアジャストしなくていいと思いますよ。

 では、また。
返信する
学振に関して (ロッキー)
2016-12-25 14:23:54
僕もDC1、DC2ともに落ちたものです。
ちょっと面白い話があるので聞いてください。

僕はDC2の申請書を書いてる時に、自分の研究の価値について疑問を抱いたんです。
そして指導教員に素直に伝えました
「考えれば考えるほど、この研究の価値がわからなくなりました。この研究は意味がないんじゃないですか?」と。

そしたら指導教員は
「意味はあるだろ!◯◯だから⬜︎⬜︎だろ!!」って言われました。

なので申請書には◯◯が達成できると⬜︎⬜︎に拡張できる、的なことを書いたんです。そして指導教員に見せたら
「全然面白くない、あなたは◯◯を達成して何がしたいの!博士課程なんだからもう自分で考えろ!!」

って怒られたので、⬜︎⬜︎の具体的な内容を頑張って書きました。
一応、指導教員からOKを貰い、学振を申請しました。
まぁ結果はもちろんダメでした。でも面白いのはここから。

今年、指導教員が科研費の申請する時期だったので、僕の研究内容を主軸に書くということで、その申請書を見せていただきました。

そして絶句、僕のDC2の時に面白くないと全否定された最初の内容とほぼ同じ内容でした。なので率直に言いました。
僕「こんなんで科研費とれるんですか?」
指導教員「だよね」

と言って僕の研究内容を申請書から全削除しました。

面白いからやれ!とひたすら言われてるんですが、指導教員も結局、どう面白いのか、とかは全くの空洞、何も考えていないってことがわかり悲しくなりました。

そんな程度で「やれ!」って言われた研究で学振は取れず、今順調に奨学金の返済額が増えていってます。


博士課程に行く人は指導教員と研究内容を達成した先の展開について、その重要性を理解してしっかり議論するのがよろしいかと。もし指導教員が全くの空洞なら研究テーマを見直す良い機会かもしれませんよ。

長文失礼します。



返信する
コメントありがとうございます (KeiT)
2016-12-02 16:00:31
>>ケンタロスさんへ

貴重なコメント有り難う御座います。
最初は正直「だったら読まなきゃいいじゃん」と思ってしまいましたが、私がこういう感情ではいけませんね。あなたのような反感を持たれた方にも、このブログに出会って良かった、と思われるような文章を今後も書いていきたいと思いますので、また是非ご覧になってください。

おそらく、あなたは、とても重要な研究をされているのだと察します。想像ついでに申し上げておきますが、おそらく分野は生物系で、かつハードワーカーなのではないでしょうか?
重要な研究をしていれば、成果がなかなか上がらず、報われない場合もあるかと思いますが、お互い泥臭く頑張りましょう。

ここの文章にも書きましたが、"すべての怒りは、自分の能力に向けられている"はずです。ブログで鬱憤を書いて自己満足をしている私のような人間の人生なんかに、あまり感情的に口出ししないほうが良いかと思います。もちろん、私自身はそのようなつもりだけで、これを書いたわけではありませんが、確かにその一面が無かったとは云えません。この感情を見抜いていることはとても良いポイントだと思いますよ。

では、また。
返信する
色々とこじらせてますね (ケンタロス)
2016-12-02 02:25:12
学振で検索して、たまたま読みました。

色々なことをこじらせてますね。

日記を公開して自己満足に浸る時間があれば、研究してください。そして、論文書きましょう。それができないなら、いつまでもしがみついてないで、さっさと別の仕事をしてみたらどうですか?

あなたのような面倒な研究員を雇いたいと思う人は少ないし、取り返しがつかなくなる前に、人生やり直してみては如何ですか?

なんてことを言っても、通用しないでしょうね。ポス毒問題の申し子みたいな日記を読んで、学振の審査はきちんと機能してるんだと思いました。

君は落ちるべくして、落ちてるよ。
返信する
はい (KeiT)
2016-10-20 13:41:45
はい。もちろん、"100%正確に"というのは絶対に無理ですけど、今よりマシにすることは容易だと思います。俺なんかじゃなくても、俺の周囲にいる若い人はみんな優秀なので、そういう人が審査員にいてくれれば、もう少しは変わると期待していますよ、割とガチで。
返信する
Unknown ()
2016-10-20 12:44:06
あなたが審査員をすれば
提出された書類から誰を合格させるべきか間違わずに決定できると思いますか?

返信する
返信ありがとうございました。 (tira)
2016-10-16 16:51:55
そうですね。
実際自分の分野であっても「流行りに乗らない」テーマはやはり受けにくいです。
文章力とか以前に「面白い」と感じる心が共有できない審査員に当たったらもう終わりですもんね。
現在の心境としては学振にも科研費にも僕個人にとっては大して意味がないものだということですね。
キャッチーな学術を振興するのが学振なのかなと思ってます笑
ビジネスやる上でも多数派を相手にするのが売れる原則なので、学術系ですら資本主義の流れから逃れられないんですよ。
そこから逃れるには、文科省の奴隷でない研究者になる必要があるわけです。だから起業。
まだまだこれからどうなるかわかりませんが、僕はしっかり自分の力でお金を獲得する生き方を選びます。
一つの新しい生き方を示せればいいなと思います。

twitterでの宣伝ありがとうございました!
僕が役に立てるかはわかりませんがもしビジネス系にも興味があれば相談に乗ります!
これからもお互いにがんばりましょう!
ありがとうございました!
返信する
コメントありがとうございます (KeiT)
2016-10-15 21:47:33
>>まことさん

どうもです。
文章を書くスキルは、そら高めた方がいいし(研究以外でも)、人に説明できないと精緻じゃないのはそのとおりだと思いますが、、私が問題視しているのは、「審査側」の能力の問題です。たとえば高校数学もままならない人間が、(銅鉄じゃなく、ユニバーサル性は低いが、重要な)最新の研究(やその計画)などをきちんと評価できるわけがないのに、それができる、と思っていることが問題だ、と思うのですよね、私は。つまり、ある程度"きちんと"勉強しないと、価値観を判断できるようにならないわけです。

論文の数と質に関しても、「普通、このくらいは〜」「このくらいの年月経てば、普通ー」の"普通"が("物理学"や"生物学"など大きな意味としても、"低温物理"や"脂質生化学"など小さな意味としても)分野によってかなり変わります。卒研からD論作成まで継続して1つの研究室にしかおらず、その後も大きく分野を変えていないにも拘らず、頑に「私の"普通"は正しい」と思っている人も多くいます。この点が問題だと思うんですよね。

それからついでに言っておきますが(これは全体にむけても)、評価する側の人間(教授たち)が、自分たちが博士課程の学生だった当時は、「学振なんて無かった」というのも問題だと思っています。まぁ、もちろん、自分たちはなかったけど、今はあるのだから、きちんと評価せなアカン!、と思える優しい人が多ければ、ここまでクジ化しないと思いますから、その意味では、人格者の割合が(極端に)少ないのが問題の本質かもしれません。一概には言い切れませんが。

そうですね。確かに、博士課程の学生が全員無条件で給与がもらえるようになるようになるとイイと思います。確か、理科大は、博士課程は無料だったと思いますが、東大京大が変わると、また少し、変わると思うんですけどね。。
返信する
お久しぶりです。 (KeiT)
2016-10-15 21:29:20
>>tiraさん
お久しぶりです。

まぁ、やっぱり学振はクジ的な要素が強いもんとして認識しておけばイイと思いますから、きちんと考えたら、後はあまり気にしないほうがイイと思いますよ。
tiraさん自身は、儲けているわけですし、それでイイと思います。というか、それって、かなりの人にとって、理想なんじゃね?、っと思いますし、俺も参入させてもらいたいなぁなんて思いますよ笑。

ブログ開設されたんですね!TwitterでCMしておきますよ。
どうも、ご報告有り難う御座います。執筆者としてはモチベーションがあがります。
返信する
書くスキル (まこと)
2016-10-15 15:51:09
いろいろな配慮を含む大変丁寧なご返信ありがとうございます。

確かに私の誤解だったのかもしれません。私が奇妙に感じたのは、たぶん以下の部分です。

> 落ちて、例えば、「文章の書き方を、誰にでもわかりやすく、書けるようにならなくちゃいけない」とか「業績項目
> を増やすために、とにかく論文を出さなくちゃ」とか、よく言われていますが、それに対して俺が『でも、そんなこと
> をするために、大学院に来たわけじゃないでしょ?』というと、たいていの良識ある大人な方たちは「お金を貰うん
> だから、それは仕方ないでしょ?」的なことを言います。

>それに、そもそも、俺らは、何か(論文や申請書)に「書ける」というために、科学者を志しているわけではない
>だろう! 「書ける」「書ける」と繰り返し、それが得意技能、ましてや文章作成能力こそが研究者として必要
>不可欠なスキルだと得意げに語っている姿は、本人たちが思っている以上に滑稽だ。情けなく語るならまだ
>良いが。

私の理解では、自身の頭の中の理解・ロジックをきちんと言語化できなければ、その内容をきちんと理解している
といえないと思っています。逆を言えば、理解を進めるためには、ロジックを文章に起こして、第三者的に結果を
俯瞰することが重要であると思います。なので、きちんとした文章を書くスキル、ってのは非常に重要であるという
のが私の意見です。頭の中で完成したロジックなんてのは信頼できるわけありませんし、抜け穴だらけですから。
また頭の中のロジックを言語化する能力は人それぞれで、ロード時間の差はあるでしょうから、プレゼンでその人の
能力を図るよりも、論文の方が、その人の能力を図る物差しとしては有利だと思います。

ただこれが主様が上記で否定していることなのかは分かりません。一部の研究者の中には、申請書を書くスキル
と称して、でたらめなことをいう輩もいます。私の周りにも、「最近この言葉では科研費を引っ張れなくなってきたから、
新しい言葉を作る必要がある」とか言う人もいますし、そういう方法で研究の新規性を謳うというのは、滑稽である
と思っています。論文数を稼ぐために、サラミのように一本を分けて発表する人たちもいますし、その人の論文を
他者に引用させまくって、インパクトを稼ぐ人もいます。こういうことを、「書くスキル」と称する輩を否定したいという
思いなのであれば、私も同意見です。

私自体は、ご指摘の通り、論文でその人の能力を図るのに賛成派です。ただそれは数ではなく、その質だと思って
います(先のコメントに「論文数というレッテル」と書きましたが、すいません、それは少し誤りです)。それもインパクト
ファクターとも関係なく。科研費A・Sをもらっている人たちなんて、共同研究者が多いので、数が多くて当たり前です。
科研費Cをもらっている人でも、素晴らしいロジックの論文を書いている人もいますし、そういう方々の能力は買われる
べきだと思います。まぁ論文数が全く重要ではないかといったらそうではないと思いますし、学生なら1報/年、PhD
なら2-3報/年は必要だと思います。以前にあったある先生は、PhDなら6-8報/年はださないと、とかいってましたが、
それはいくら何でもとは思います。

とは言っても、そのロジックの素晴らしさや、その研究の面白さ・独自性が現在の学振の審査で評価されているかと
いう点では、審査員との相性次第、だと思います。学振の審査員は、大学の先生方が、本来の業務と兼任して行わ
れるものですが、それである以上、審査員の選任でその年の学振の通りやすい分野がある程度決まってしまうと思
います。このシステムには問題があると思いますが、2018年度に学振のシステムの改変が見込まれているので、
学生向けの学振制度にも何らかの動きを期待しているところです。

まぁ私自身、学振のシステムが変わるよりも、大学の博士課程の学費を全て免除にすることから始めるべきだとは
思います。そうすればメリットだらけだと思うんですが、日本のシステム的には難しいんですかね。
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今年の5月に投稿した者です (tira)
2016-10-15 03:05:17
今年度5月にコメントした者です。
学振、再び落ちてしまいました。
ですが、昨年度の学振に落ちてから1年。
「自分で起業すればいいんじゃないか?」
そう考え、研究を行いながら、自分で起業してみました。
まだまだ色々なことに挑戦中の身ですし、
全然偉そうなことは言えませんが^^;
ただ、短い期間ではありますが、学振の倍近くを稼げるようになりました。
研究時間をできるだけ使わないように工夫しながら事業展開を行っています。
学振に落ちたから終わりではない。
たかはしさんの前回の「情報発信してみては」とのアドバイスも受け、ブログも作成してみました。
賛否両論、というより反論の方が多そうな内容ですが汗

学振には落ちちゃいましたがもう学振や科研費を取り合うというスタンスでもないので問題なくなっちゃいました。
とにかく、このブログにやってきて良かったなと思っています。
ありがとうございました!
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コメントありがとうございます (KeiT)
2016-10-14 02:02:58
まことさまへ

どうも、ご丁寧なコメント有り難う御座います。
えーっと、とりあえず、基本的には「そうだなぁ」と思って読めたのですが、「趣味(研究活動)なのに論文を書かなきゃ給料が貰えないのはおかしい、と言っているような印象」という部分だけは、はっきりと否定しておきます。これは私の文章(だけ)を読んだのではなく、あなたの周囲の方に私を照らして読んでいるんじゃないかと思いました。私は一言もそんな事言ってないですし、そんなニュアンスも一切含めたつもりはありません。研究が趣味だと割り切っているなら(私もそう思っている一人です)、たとえ沢山論文を書いたとしても、給与は得られないかもしれない。それは、資本主義社会において当然だと思います。

ただし「評価基準がおかしいだろ、思慮が足りない」ということはここに書いていますし、今もそう思っています。具体的に、きちんと、数多い研究者とその卵のなかから有能な人材を引き出してくるためのメソッドはまだまだ思いつきませんが、たとえば高校数学や高校理科のテストをして、それで足切りをしたほうが今よりは「まだマシ」であると私は思っています。

しかし、論文の数で研究者を評価するのが1つの正しい方法だと、あなたがそう思っているなら、それでいいんじゃないでしょうか。特に私から「それは違う!」と言いたいわけでもありません。そういう人もいて良いと思いますし(というか、マジョリティ?)、そういう社会で成り立っていますから、その価値観は必要だと思います。
この文章は、主に、不条理に論文を出せない状況にある人たちを憂いで書いているものです(←はっきりネタバレしちゃってますね笑)。存分に論文が書ける状況にあり、学振も問題なく取れるだけの恵まれている環境の人は、この私の文章を読む必要は一切ないと言い切っても構わないくらいです。

それでも、あなたは、ここにコメントを残してくれました。それは大変価値ある事ですし、私だけでなく、この文章を読む人の役に立つと思います。有り難う御座います。だって、ある意味の「傷」を舐め合っていても、仕方ないですからね笑。

世間の風は冷たいものです。それでも私は、この文章を読んだ、(たとえば、不条理に論文がなかなか出せていなくて、そのせいで)学振に落ちた人が一人でも救われたらな、と思って書きました。ここにも書いてありますが、誰が有能か?なんて、どうでもいいと、私は思っているので。
そのうえで、理想を言うなら、研究者の評価などし(あわ)なくても、みんなで楽しく本質的なテーマを進捗させられるようになるといいな、と思っています。そのための方法は模索中です。

回答になっているかわかりませんが、だいたいこんなもんでどうでしょうか?
まことさんの学振、通っているとイイですね。私からも小さく祈っておきますね。
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失礼しました (まこと)
2016-10-13 21:11:04
最終的に質問をかいてなかったですね。

質問は、論文数というレッテルを無しにして、あなたはどういう方法で、研究者の能力をきめますか?それも母集団が多い場合に、です。

私の考えでは、別に論文数が研究者の能力の指標になったっていいと思ってます。そうでないと選考がより難しくなってしまうでしょうから。
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Unknown (まこと)
2016-10-13 18:44:22
学振結果待ちで、このサイトに来た身です。ご質問させて下さい。

論文を書くために大学院に来たのか、という問いに関しての主様の意見についてなんですが、少しズレているように感じました。

そもそも研究活動がしたいのであれば、どんな環境でだってできると思います。お金がないのであれば、自身の研究をサポートしてくれるパトロンを探せばいいだけです。スポーツで生計を立てているアスリートでも、ゲームで生計を立てているゲーマーでも同じでしょう。

ただそれで給料を得たいのであれば、他人から見て明らかにわかる、違うベクトルの努力が必要なのではないでしょうか。アスリートもゲーマーも、何かしらの広告塔になっているでしょう。その広告を受けるために、本来の仕事とは別の活動をしているわけです。研究者にとってそれが論文であり、申請書なんでしょう。

私にとって、研究は趣味同然です。趣味をしてて給料をもらえる環境は、非常に魅力的で、夢のようです。それが達成されるためでしたら、論文を書くのも、そこまで苦ではありません。それがパブリッシュされて、色々な方からコメントされるのも、おもしろいのでは、と思います。

私は学振関係者ではありませんが、主様が、趣味(研究活動)なのに論文を書かなきゃ給料が貰えないのはおかしい、と言っているような印象を受けたので、質問させていただいた次第です。ご気分を悪くさせたら申し訳ありません。
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すいません。。 (KeiT)
2016-05-05 02:28:56
>>tiraさん

 落ち込ませるつもりはなかったのですが、すいません。。

 まぁ、頑張りましょ。だって、キルケゴールも言ってますが、「絶望とは罪である」なんですから。

 学振や科研費や若手研究者の雇用について、問題は沢山ありますし、そりゃなかなか一気には変えられないと思います。
 でも、私個人としては、こうやって自分が思ったことや、私が思いつく限りの現状の問題点と解決策を、恐れずに、発信し続けることが次に繋がると思っています。それはめちゃくちゃ不利益を被ることですが、仕方ないです。
 私の周囲にいる人は耳にタコですが、「革命は原理的に成功しない」ってのがあって、、何かの制度を変え終わったら体制派になってしまうし、変え続けたら変え終わっていないので成功していません。だから、実質的には革命は成功しないんですが、でも、それでも、他人の価値観は共感を得れば、変えることができます。新しい価値観を他人に宿せれば、それは確実に未来が変わることになります。

 だから、目の前のことに一生懸命になりながらも、現状の不条理から目を逸らしてはいけないのです。

 それに、存分に能力がある我々にとって、これくらいの絶望が存在していないと、張り合いがないじゃないですか。

 そういう意味では、ボンボンなだけで博士課程に行って、jrecinなどの公募も存在しないなかコネをベースとして競争率が低い終身雇用ポストを今よりも早く得て、若手を使い捨てするためにポスドク1万人計画を実施し、権威主義の無能なままPIとして居座って、しまいには「でも私は逃げきれる!」と公に言ってウケをとっている人まで存在している、あの世代に、むしろ感謝したいくらいですよ。
返信する
そうですね・・・ (tira)
2016-05-05 00:23:00
レスポンスありがとうございます。
現状マイナーな分野に属する学生に学振はほとんど来ないのが現状です。
学生の教育に多数決主義を持ち込んだら科学はもう終わりな気がします・・・
0円か20万ではなく、申請書類に応じて、0,5,10,15,20万円にして薄く広くに分配するほうがいい気がします。
科研費の集中化と選抜がもたらすおかしな現状はもう表面化しまくってますし。。。

僕自身は高校生から研究者志望だったのでなかなかの絶望感ありますけどね。
学振にしろ、アカポスにしろ、実際に見聞きするまではここんな状況とは知らなかったですしね。研究業界ってこうだったんだ・・・と。気づいたのが学会に出たりするようになってきたM2の頃だったんで博士まで来てしまいました汗
せっかくなので博士として自分で考えてやっていきたいですが。

お金をとるって思ってたより大変ですよね。
フリーランス的な活動もしてますがまだまだ全然単体では学振でいただけるお金には及びませんね。
教員免許はないですがITスキルでなんとかしたいところです汗

実際、僕の所属する業界でも上も下も状況のまずさには気づいてますね。
でも、誰も動かない、動けない。みたいな。
年配の方は逃げ切れるし現状打破するだけのエネルギーも残ってなさそうです。
中堅、ポスドク世代はそもそも自分が生きるだけで精一杯という感じで。
そりゃあ若手減りますよね・・・

長々としたコメントに付き合っていただきありがとうございます。
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いえいえ (KeiT)
2016-05-04 23:41:22
>>tiraさんへ

 前年の応募数を参考にして予算枠を決めるというのも問題なんですけどね。。日本の前例主義にも困ったものです。異分野間で、これとこれとどちらが価値があるか?、ということを真剣に話さなくちゃいけない日が、もうとっくのとうに来ているというのに。
 もっと言えば、自身のごく限られた狭い狭い分野のことしか知らない、あの程度の思考力しか持っていない、あの世代の教授たちが、未来ある若者の収入において、非連続に0円か月20万円か、って決めてしまっているのもおかしいと思います。

 問題点をあげればキリがないですが、若い世代はもう少しは賢いので(先の時代を生きているので当たり前ですけど)、私個人としては、自分たちの価値基準のなかで生きていってほしいなと思います。ただでさえ、世代間格差の激しい時代なのだから、もう少し若者が、tiraさんのように自分の考え方をしっかりもってないとあかんです。

 ま、だからって、資本主義社会において、カネが継続的にゲットできるのは、自慢するに値すると、私は思いますけどね。だから、普段、『学振なんか取れるより、俺の教員免許のほうが、よっぽど価値が高いわ!』って負け惜しみを言えるわけで(笑)。
 ただ、どちらにせよ、いま蔓延してしまっている、その場しのぎのやり方が、いつまで保つのかなぁて感じですが(←なぜか他人事 笑)。
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真摯な返信ありがとうございました (tira)
2016-05-04 21:19:07
一ヶ月前にコメントしたtiraです。
学振に通るか通らないかは正直どちらでも良いですが結局一昨日書類を書き上げました。
書くことにした理由は色々ありますが、
ある分野での学振提出者が減ると次の年のその分野の学振当選者も減ると教授に聞いたので書くことにしました。
書くことそのものが業界の火を灯すことになるのなら書いておくかと。
正直お金に関しては前述のベンチャー起業で力をつける方が将来的にはよほど良さそうです。
テンプレート的な紙面の使い方、学閥的な雰囲気に合わせて書類を書き上げました。
研究計画や内容は昨年のDC1から大した違いはありません。
しかし見栄えは東大生の書類にかなり似せてみました。
これで通ったり面接に進んだりしたら流石に驚きですが。。。
世の中そんなものかもしれません。
自分達が読んだ経験のある書類、見慣れた書類が良い書類。これが現実かもしれませんしね。

僕は学振やたかはしさんのブログを読んだことをきっかけに経済的自立や研究者として(ポストに就いていれば研究者という狭義の意味ではない)生きる方法を真面目に考えるきっかけになりました。
おかげで自分の進みたい方向性が見えてきた気がします。
単に学振に受かれば天国、落ちれば地獄という思考停止に陥らなければ普段研究ばかりしていては考えないことを考えるきっかけになるので申請書書きも悪くはないのかもしれません。

ポストに就いた、科研費を取った、学振を取った。こんなことでよくわからない自慢をするのではなく、職に就くかどうかなど超えて研究を楽しんでいきたいですね。
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こっちがびっくりしてます (KeiT)
2016-04-05 23:45:23
tiraさん、コメントありがとうございます。
私よりよっぽど考えて、きちんと実践されている方がいらっしゃることを知り、私のほうがびっくりしていますよ(笑)

学振もそうですが、科学の研究の世界で、あらゆる「書き方」が一本化されている現状は、正直、空気として気持ち悪いと私は思っています。色んな書き方や考え方があっていいはずで、みんなのお金なのだから、そのうえでみんなで評価すればいいはずなのに、研究内容や進捗することそっちのけで「こう書くと通る!」「書くためには!」というその場凌ぎの戦術ばかりが有効だとあまりに繰り返し強調されて、ついには強制されてしまっているような気すらしますね。「論文の書き方講座」みたいなのをあまりにも大切にしている人に対して、「そんなことするために理系にきたの?」と言ってみたりしますが、たいていバカにされます(笑)。「この書き方にアジャストしないと、お前なんか生きていけないぞ!」とやることは、「(研究社会の)全体主義に従わないと抹殺するぞ!」と言っているのと、同値なのかもしれないですから、正直怖いです。
ま、ほんとに殺されないだけいいかもしれなくて、学振なんかに通らなくても、たとえ職がなくても、この世の中は意外に寛大で、全体主義に従わなくても、(20世紀と違って)生きてはいけますから、その幸せを有り難がるぶん、最低ライン、実力をつけていって自分が納得できる意味のある結果を出す!、という点に関しては貪欲でなくてはいけないと自分自身に対しては思っています。

今後、tiraさんのような方や、もっともっと研究社会全体が多様的な価値観になっていき、それらが相互に認められるような空気感になったらいいな、と思います。私にそう思わせてくれて有り難う御座います。
だって、「研究力がある」っていうのは、偏差値みたいに一つの尺度で測れるわけがないんですから。

もしお時間がありましたら、ご自身の体験と考え方を、是非どこかに発信してくださいね。それが、また未来を創ると思います。
では、またよろしくお願いします。
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自分と似た考えをする人がいてびっくり (tira)
2016-04-05 00:41:29
文章読ませていただきました。
私は今年からD1になるDC1落ちた人です。
地方の大学にいるので受かった学振を手に入れるどころか学振を出してる人も周りにいない状況でした。
東大、京大の方々は優秀だから学振を取れるんだ、自分より業績がなくても・・・
そう思っていましたが、学会で知り合った東大、京大の先輩数人から受かった書類などをいただきました。
そしてわかったのはそもそも書き方が全く違う。テンプレートから何から何まで。
いつも学振に通る学生を出す研究室の人たちはみんな同じような紙面の使い方をしている。
そもそも土俵に立ててなかったんだと思いました。コネと政治力という土俵に。
教員にかなり手直しされてる方もいらっしゃいました・・・
なんだかバカバカしくなって今年度の学振には出す気すら失せていますw

学振に落ちた後、自分で考えた結果、博士を取得し、しっかり研究をするが卒業後は国の科研費や政治力の影響を受けない世界で生きようと考えています。
自分の力で生きる道を歩みつつ、経済力を生み出す人種は起業家だ。
そう考え、起業家の方々が出席するセミナーや勉強会に出席しまくりました。
学生は全くいないので、ベンチャー企業の社長から直接誘われ、ビジネスをはじめることになりました。
ベンチャー企業で実務経験を積みつつ、博士家庭で研究を行うという二足のわらじです。

国の不透明な選考による科研費の奴隷になるより、飯を食うルートとそこそこの生活を営む力は確保しつつ、
ライフワークとして研究を目指そうと考えています。
博士に上がったばかりでこのような考えを持つのは異端かもしれませんが周りに合わせる必要もないのかなと思います。

国に縛られない、既存概念にとらわれない博士になろうと思います。
勇気づけられました。ありがとうございました。
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Unknown (KeiT)
2016-01-08 17:50:13
やまもとさん、それはよかったです。
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Unknown (やまもと)
2016-01-08 13:24:52
なんだか勇気づけられました。
返信する
コメントありがとうございます (KeiT)
2015-10-18 21:27:31
 にゃんたこさん、どうも、コメントありがとうございます。これくらい削って、やっとレスが付くのかという感想です(笑)。

 学振って落ちた人に対して、どうやって言葉をかけたらいいか、明確なストラテジーがないんですよね(もしあれば、論文にするべき笑)。ただでさえ、コミュニケーションが下手な人が多い研究室。だから、決してあなたの研究室の人もあなたのことを無下にしているわけじゃないと思いますよ。私の場合もそうだったと思うんですが、とても気を使ってもらいましたが、どれも『そうじゃないんだよなぁ』という言葉ばかりというのが正直なところでした。

 で、あの時の自分への正解はなんだったかなぁと思いながら、これを書いてみたんですが、、その結果、少なくとも1人は、励まされた、と言ってもらって、執筆者としてはとても嬉しく思います。

 学振くらいで落ち込むなよ、気にするなよ、とか、切り替えて来年だしたらいいよ、とか、論文を早く仕上げよう、とか、そういう言葉が響かない人は、たぶん、とても純粋だと思うので、、まぁ、ぜひ悩み切ってもらって、何かの新しい考えが浮かんできたらいいな、と思います。
 っと、偉そうなことを言えるほど、苦労もしてないし、偉い人間でもないんですが。。(笑
返信する
死ぬほど励まされました (にゃんたこ)
2015-10-18 09:47:23
初めまして、DC1に落ちたM2です。
研究室では受かった人たちとその面倒を見た人たちで騒めいていて、自分は居場所がなくてトイレで泣きました。
悔しいとかムカつくとかでなく、自分が情けなくてやってられませんでした。
何回も荒れたり沈んだりを繰り返していましたが、この記事を読んで少し救われました。
どんな言葉も響かないというのはその通りで痛快でした(笑)。表面上はなんてことない態度をとっていますし、慰めやアドバイスにも感謝の言葉を返していますが、それ自体負担でほっといてくれという感じだったので。
この記事を書いてくれてありがとうございます。沢山考え、苦労されてきたんですね。私も優秀じゃなくても好きなことに邁進できる強さを手に入れたいです。
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