たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

理系アカデミックの論文システムとマルチ商法の類似性

2019-04-21 22:28:20 | 自然科学の研究
 「手を動かすだけで、確実に論文になる」
 こんな言葉を囁かれ、多くの大学院生や卒研生、そして最近ではもっと幼い子たちが騙されて、研究室で搾取されている現状があることを、世間ではあまり問題視しない。

 大学の研究室は、私立国立国内外を問わず、人手不足であり資金不足である。それはそもそもの予算の絶対量が少ないからである。
 そもそもカネがないのに、大学院重点化等の問題も手伝って、ポスドクや名ばかり役職の公募に大量の若手研究者が応募し、少ない賃金で搾取されている。そう、人はたくさん余っているのに、各研究室は人手不足なのである。安い労働力として使われている彼ら彼女らは博士号を取得した、世間で言うところのエリートだ。これら非正規雇用を確保するだけでも大変なのに、毎年のように、得てしまった少額の科研費に対しての成果報告をしなければならない。その時に重要なのは、論文が出たかどうか、である。

 「いかに論文を書くことに最適化させるか?」
 これが研究者に課せられた唯一の使命であると信じている若手研究者・大学院生は大勢いるだろう。学者としての本来的な実力など無くても良く、本質的には非常にくだらないテーマでも構わない。とにかく論文を出すことが重要であり、そのためであれば「生命とは何か?」「生命起源」等の大きな題材と無理矢理に繋げることも、大した関連性がなくとも「ガン治療薬になりうる」と言うことも厭わない。生きていくためには、嘘と真実のファジーな部分を見極めるのが重要であり、「あえて言わないことは嘘ではない」と自分に言い聞かせて、とにかく論文だけを量産し生きていく。

 残念ながら、この程度で済んでいるならば、アカデミックのなかでは、まだマシである。

 中堅世代の研究者は、もはや後戻りができない。いまさら企業で働くことも難しく、引けない自分にさえも気がつけていない。
 だから、安い労働力を確保し、安い労働力も難しいとなれば、彼らよりももっと若くて純粋な大学院生や学部生、そしてヘタすれば中高生からも搾取しようとしている。そして、冒頭の言葉に繋がる。
 「手を動かすだけで、論文が書けるよ。早いうちに書いて、博士号を取得しないか?」
 「え、でも、D進するお金ないですし」
 「大丈夫だよ、早く論文を書いていれば、だいたい学振は通るからね。君は、見込みがあると思うよ!」

 いつのまにか、理系アカデミックは、論文を神とした宗教になってしまった。
 再現性と再現性を軸にした論理構造を神とした宗教である「科学」を信仰する者よりも、理系として大学に残る者の多くが、論文を神として信仰するようになってしまったのだ。だから、バイオ系なのにピペットマンの使い方すらも儘ならない者がSNS上で大学教員を自称していたり、誤差論や統計処理も覚束ない状態で平気で研究活動を行い、グラグラの足場の上で「論文を出した!!」と意気込んでしまうのである。そして、論文教信者が最も崇めるジャーナル”Cell, Science, Nature”の再現率は3割にも満たないとのデータすら存在する。

 彼らは、常に「手」を探している。いかにして、マンネリは崩さずに、少し手を加えるだけで、論文という財産を手にできるか?
 そして、いざ論文を書こうとする段階になると、搾取される側の若い子は、著者には入っているが、第一著者ではなかったりする。
 「この研究は、もともとアイディアは彼が出したものだし、論文早く書いちゃった方がいいでしょ。うちのルールでは第一著者は論文を実際に書いた人にしているんだ」
 ずらっと並んだ共著者たち。そのなかに、自分の名前があることに、小ささを感じる。本当に全員が納得した文章なのかどうかもわからないのに。

 ・・・そう、アカデミックのシステムは、もはや、論文を中心にしたマルチ商法詐欺に近い。

 「この分野は努力しただけ結果が出るのは間違いないよ」→どこのMLM(マルチ・レベル・マーケティング)のセリフですか?
 「論文を書いて、世界発信力を身につけよう」→大して役にも立たないキラキラ内容でSNSで目立って、こんだけ儲けられますよー、ってやつですか?”意味がなく””誰の役にも立たない”ところまで、ネットワークビジネス等とそっくりですね。
 「とにかく論文を書こう。それが業績になって、有能かどうかの証明にもなって、ポストも得れる」→単一化された評価基準でヒエラルキー作るところとか、完全に洗脳のそれじゃないっすか。
 「この研究は、あのノーベル賞受賞者のー」→すごい人も参加していることを示して、ネットワーク全体を安全なものに見せようとする手法ですか?

 “身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”とはよく言ったものである。今は辛くても、後参入してくる人たちもいるし、すでにうちの研究室には技術もある。
 君が手を動かしさえすれば、論文が書けて、君もみんなもこれから入ってくる人も、みんなハッピーになるよ。

 世の中では、ブラック企業や長時間労働が問題視されている。幼い頃から周囲よりも頭が良かった人にとって、”大学に残る”という選択は夢のひとつでもあるだろう。
 とりあえず今は本質的な研究ができなくても、まずは論文生産のノウハウを学ぶために、手を動かすだけの研究をすることも、一つの勉強かな。こう思ってしまうのは、無理もない。どんな人でも、"ラクして生きていきたい"という悪魔の囁きを、完全に無視することは難しい。

 もちろん、今日書いたことが理系アカデミックのすべてだとは、俺は思っていない。分野によって、実験理論によって、研究室によって、大学によって異なるだろう。そして、これを読んで、認知的不協和を起こし、「こいつもやっぱり、企業に行ったから、アカデミックを批判し始めたか。俺の想定通りだなぁ」などと、バカなコメントがつくことも当然想定している。俺は、そういう「無能な状態のままに後戻りできなくなってしまっている」人たちを、少し哀れんでいるだけだ。
 論文を神だと思っている人の洗脳を解くのは簡単ではない。通常の詐欺や洗脳は、平均的な賢さの人を相手にすれば良いが、アカデミックではそうもいかない。このような書き方をすれば、表面的にはロジカルな、もしくは一見するとロジカルに見えるようなリアクションが返ってくるだろう。ただでさえ、洗脳されて搾取されている相手に、真実を突きつける行為は、反発を食らうだけだしね。「わかってない!」「話しても時間の無駄だ!」「価値観が違う!」ってね。

 当たり前のことだが、だからといって、大勢の人に一般就職することを勧めているわけではない。日系企業など、たいていは洗脳そのものである。当然、起業やフリーランスを勧めているわけでもない。厄介なことに最近は、"脱社畜だ!"なんて掲げる洗脳も、手を替え品を替え、あらゆる分野で流行っているしね。
 洗脳するか洗脳されるかの社会であるし、そもそも洗脳されようが怪しい宗教にハマろうが、その分のご利益があるならば何も問題はないのである。だからね、、何事も、本当にその先にご利益があるかどうか、「待てよ」と一度冷静になって、考えてみて欲しい。ご利益があると期待できるならそのままでいい。でも、研究者として、独立した個人であるならば、何かを信仰するよりも先に、疑う気持ちも忘れないで欲しい。

 これを書くことで、(少なくとも一時的に)傷つけてしまうアカデミックの人もいるだろう。・・・まぁ、、アカデミックの人だけならまだ。。
 ごめんね、でも書かざるを得ない。思考が止まらなかった。
 
 “自分は、今現在もずっと、搾取され続けているのかもしれない”
 どんなに良い状況の人も、どんなに自分は大丈夫って人も、今一度こう考えてみて欲しい。それこそが、あなたの未来をより善くすることに繋がっていると思うから。
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