たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

言葉の足し算引き算

2010-09-27 02:20:27 | Weblog
 自分が持っているモノを全部伝えたい瞬間がある。
 何かレポートを書くときでも、ここで文章を書いてるときでも、プレゼンするときでも、誰かと話してるときでも。だからといって、時間は際限なくあるわけじゃないし、ネタも本当に全部を伝えちゃったら、それだけの人間、みたいな感じがしちゃうから、削ることの重要性を学んで、省ける部分は、なるべく、省こうとしたりする。
 
 でも、例えば、こうやって、文章を書いて、自分が書いたモノを読み返してみるとき、作業として圧倒的に多いのは、文を付け加えるときだ。だから、あんまり伝える気は無いのか、、っと思われるかもしれないけど、実はそうでもなくって、ひとつひとつの文章、だいたいは、この人(たち)に伝えたいと、誰かのことを想いながら、書いている率は高い。
 そう、実は、大きく公開して、試そうとしているわけでも、ここまで考えてるんだぜ?って自負する気もさらさらなくって、その誰かが、もしも読んでも、誤解されないように書いていると、必然的に長くなるのだ。
 んで、こういうのは、やっぱり、あんまり伝わらないのかもしれない、っと、思って、自分の中に刻みながら、書かないといけないってこともわかってる。って、この部分は、一般大衆に対する、『ここまで考えてるんだぜ?』ですけど(笑)。

 さて、、自分の持っているモノは、言葉で表すことが圧倒的に多い。っぱっと、最初に生み出したものから、削ったり、付け足したりすると、それなりのリスクが生じる。
 縮小化したときには矮小化されないように、付加したときには煩雑化されないように、この部分は、表現力としての能力が問われている。

 当然、いつも書いているように、言葉の表面部分だけをスプーンですくって、それに対して重大さを感じるようであってはいけない。
 例えば、人の話を聞いてて、よく思うんだけど、「・・・って、言ってんの聴いちゃって。んで、しかも、こう言ってたらしくてさぁ。。だから、もう、ダメかなって。」とかって話されると、もうちょっと考えようよ、って思う。言葉は掘り下げるからこそ意味があるし、そんなんで、ダメかダメじゃないか、なんて、わからないよ。
 多いか、少ないか、付加したか、削ったか。たった、そんなもんで、真実やホンモノは、カワラナイ。言葉に騙されるなしっ。

 しかし、(それこそあまりこの言葉は使いたくないけど)メンドクサイことに、あなたの受け手が、常にそれを意識しているようなコンピュータであるはずもないのだ。
 だから、言葉に託そうとするし、ある意味、言葉に騙されて良いシーンだって存在している。

 言葉は、人と人とを引き合わせ、結合させ、安定させる能力を持っている。誰もが不安定だったら、無秩序層が増えてきて、それはそれで、大変なことになる。だから、言葉があるから、っという理由だけで選んでも、正しいこともあるのだ。
 特に(というか俺はこれだけだけど)、マクロスコピックな系に作用する可能性があるものは、考えない人たちに対して、一括できる言葉を持っているのは大事だ、、メンドクサイから(笑)。
 『だって、俺、理系なんだよ?』とか『免許あるしー』みたいなね。そして、それは、精度が悪くても、大きくはズレない効果がある。

 だったら、やっぱり、ファッションみたいに、言葉も、足し算したり、引き算したりするのは、とても重要なのかなー、って思ったりするのです。
 それが良いことだとは、到底、思えないけど。
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