【…も、イイと思うんですけどー。】
『え?だって、第一志望の学校より、明らかに、偏差値低くね?』
【んー、そうですけど。。】
『あのさ、なるべく、上の学校のが良いんだぜ?』
【わかってますよー。】
『じゃぁさ、なぜ、なるべく、学歴を上げなきゃいけないか、わかる?!』
【設備が良いとか?】
『俺がそんなキレイゴト言うと思う?笑、学歴を上げなきゃいけない理由、、それは、自分よりも能力の低い人間に上からあーだこーだ言われないためだよ!』
【笑笑笑。】
『俺はあなたより能力が無いのに、その俺から、こうやって、あーだこーだ言われると、ムカつくでしょ?でも、俺は大学行ってるし、先生という言葉を持っているから、あーだこーだ言ってる。これを、一生、永久に繰り返すか、言葉を持つか、それしか、選択肢は無いんだな。』
っと、ある小説のセリフをそのまま言うと、そこまでの本音を言っちゃうの?といった表情をしたが、実は、そういう風には、あまり考えていない。
言葉はどうやっても支配的になる。どんなに賢くなっても、そこだけは別格と考えているアホも多くて、言葉を得ていなければ、意見を言う資格すら無いシーンだってある。そうであってはいけないし、ましてや理系は絶対にそれじゃダメだ。
本当は、誰の意見でも公平に、そして、頭使って考えた時に、その意見が正しいか正しくないかで、議論をしないといけない。あの人の意見だから、どーせ不正確だろ、とか、~~の言うことは絶対っ!、みたいなことは、真理を探究したいなら、ルール上、絶対にしてはいけないのに、現状、必ずしも、そうはなっていないのが、とても残念だ。
しかし、だからといって、これからの優秀な人材に対して、言葉を得ておけ、って言うのも可笑しな話でしょ?
別に、言葉無しでも、そういう場で、きちんとやっていける方法だって沢山ある。これから先、上の世代のくだらないシガラミを、この子達こそが、どんどん破っていかなきゃいけないのに、そこで頑張んなきゃいけないのに、上の世代の価値観に合わせることに頑張れ!、なんて、俺が言っちゃダメじゃない??
だから、多少、どうでもイイっちゃ良いんだけど、それで後悔して欲しくは無いし、そこは俺が決めるとこじゃないから、そういう悲しい事実だけを、毎年、確認していたり。
【んー、でも、それでも、いいです。ここも面白そうだもん。】
『おっ、そうか!!それでも、あなたの気持ちが揺らがないんだとしたら、それはホンモノだから、ちゃんと、貫いてみなよ。』
やっぱり、自分の周りの生徒は、みんな、優秀だなぁ、っと、こういう時に、心から思うのです。それが、たとえ、即物的な感情であったとしても、そっちがキレイな心なんだって、ちゃんと知ってるから。
どーせ、場所が変わったり、何かを選んだりするのは、その時の「縁」に、大きく依存することが多い。この「縁」を自分(達)の中で、どう「運命」に変えられるかどうか、そこからが、本当の勝負なのであるから、言葉を得たり、得なかったり、は、本来、どうでもイイのだ。
だからこそ、自分の、好きなコト、自分の、好きな言葉で、貫けしっ!
ここで十分に注意しなきゃいけないのは、「縁がある」と「運命」の違いだ。同じような意味だけど、明確に違う。
「縁がある」は、相手が作っているモノ、もしくは相手がワザと作っている可能性が比較的高そうなモノだ。これをこちらが判断して、縁があった、っとやるのである。
「運命」は、そうじゃなくって、もっと、なんていうか、スケールの大きいもんだと思う。そして、自分の頑張りの寄与が「縁がある」よりも大きい。
だから、例えば、ただ「縁があった」だけなのに、「運命」まで言葉を勝手に延長させて、それでそこに想いをかけてしまえば、極端に、薄っぺらくなってしまう。
これは、即物的なことじゃなくて、本質的なことだから、いろんなことに、当てはまるんだと思うけどなー。
『っま、ここまでやって、無理だったら、それは、縁が無かった、って諦めるんだな。』
≪えー、そんなー。≫
『仕方ないよ、こんなに頑張って、これだけ、できることやってて、それでも無理なんだとしたら、相手の評価基準がオカシイんだって。そんなとこ、入っても、どーせ、つまらないだろうし。どっちにしろ、良いじゃん。』
≪…。まぁ、そこまで、頑張れてないかも。≫
『っじゃ、もっと頑張って。笑』
そこまで努力する必要があるんだ!、もっと必死に頑張れよ!、なんて力説しても、今の子は賢いからダメ。もっと上手くやらなきゃ。
言葉にして具現化するなら、こうやって、相手を上のほうに設定しておいて、使わなきゃね。彼ら自身で「運命」にさせないとっ。
…って、、ただ、嫌味っぽいだけか(笑)。
『え?だって、第一志望の学校より、明らかに、偏差値低くね?』
【んー、そうですけど。。】
『あのさ、なるべく、上の学校のが良いんだぜ?』
【わかってますよー。】
『じゃぁさ、なぜ、なるべく、学歴を上げなきゃいけないか、わかる?!』
【設備が良いとか?】
『俺がそんなキレイゴト言うと思う?笑、学歴を上げなきゃいけない理由、、それは、自分よりも能力の低い人間に上からあーだこーだ言われないためだよ!』
【笑笑笑。】
『俺はあなたより能力が無いのに、その俺から、こうやって、あーだこーだ言われると、ムカつくでしょ?でも、俺は大学行ってるし、先生という言葉を持っているから、あーだこーだ言ってる。これを、一生、永久に繰り返すか、言葉を持つか、それしか、選択肢は無いんだな。』
っと、ある小説のセリフをそのまま言うと、そこまでの本音を言っちゃうの?といった表情をしたが、実は、そういう風には、あまり考えていない。
言葉はどうやっても支配的になる。どんなに賢くなっても、そこだけは別格と考えているアホも多くて、言葉を得ていなければ、意見を言う資格すら無いシーンだってある。そうであってはいけないし、ましてや理系は絶対にそれじゃダメだ。
本当は、誰の意見でも公平に、そして、頭使って考えた時に、その意見が正しいか正しくないかで、議論をしないといけない。あの人の意見だから、どーせ不正確だろ、とか、~~の言うことは絶対っ!、みたいなことは、真理を探究したいなら、ルール上、絶対にしてはいけないのに、現状、必ずしも、そうはなっていないのが、とても残念だ。
しかし、だからといって、これからの優秀な人材に対して、言葉を得ておけ、って言うのも可笑しな話でしょ?
別に、言葉無しでも、そういう場で、きちんとやっていける方法だって沢山ある。これから先、上の世代のくだらないシガラミを、この子達こそが、どんどん破っていかなきゃいけないのに、そこで頑張んなきゃいけないのに、上の世代の価値観に合わせることに頑張れ!、なんて、俺が言っちゃダメじゃない??
だから、多少、どうでもイイっちゃ良いんだけど、それで後悔して欲しくは無いし、そこは俺が決めるとこじゃないから、そういう悲しい事実だけを、毎年、確認していたり。
【んー、でも、それでも、いいです。ここも面白そうだもん。】
『おっ、そうか!!それでも、あなたの気持ちが揺らがないんだとしたら、それはホンモノだから、ちゃんと、貫いてみなよ。』
やっぱり、自分の周りの生徒は、みんな、優秀だなぁ、っと、こういう時に、心から思うのです。それが、たとえ、即物的な感情であったとしても、そっちがキレイな心なんだって、ちゃんと知ってるから。
どーせ、場所が変わったり、何かを選んだりするのは、その時の「縁」に、大きく依存することが多い。この「縁」を自分(達)の中で、どう「運命」に変えられるかどうか、そこからが、本当の勝負なのであるから、言葉を得たり、得なかったり、は、本来、どうでもイイのだ。
だからこそ、自分の、好きなコト、自分の、好きな言葉で、貫けしっ!
ここで十分に注意しなきゃいけないのは、「縁がある」と「運命」の違いだ。同じような意味だけど、明確に違う。
「縁がある」は、相手が作っているモノ、もしくは相手がワザと作っている可能性が比較的高そうなモノだ。これをこちらが判断して、縁があった、っとやるのである。
「運命」は、そうじゃなくって、もっと、なんていうか、スケールの大きいもんだと思う。そして、自分の頑張りの寄与が「縁がある」よりも大きい。
だから、例えば、ただ「縁があった」だけなのに、「運命」まで言葉を勝手に延長させて、それでそこに想いをかけてしまえば、極端に、薄っぺらくなってしまう。
これは、即物的なことじゃなくて、本質的なことだから、いろんなことに、当てはまるんだと思うけどなー。
『っま、ここまでやって、無理だったら、それは、縁が無かった、って諦めるんだな。』
≪えー、そんなー。≫
『仕方ないよ、こんなに頑張って、これだけ、できることやってて、それでも無理なんだとしたら、相手の評価基準がオカシイんだって。そんなとこ、入っても、どーせ、つまらないだろうし。どっちにしろ、良いじゃん。』
≪…。まぁ、そこまで、頑張れてないかも。≫
『っじゃ、もっと頑張って。笑』
そこまで努力する必要があるんだ!、もっと必死に頑張れよ!、なんて力説しても、今の子は賢いからダメ。もっと上手くやらなきゃ。
言葉にして具現化するなら、こうやって、相手を上のほうに設定しておいて、使わなきゃね。彼ら自身で「運命」にさせないとっ。
…って、、ただ、嫌味っぽいだけか(笑)。
参ったよ!!糞が!!
報復か降伏だな。
どした?また、面接で、誰かにあったのか?!
その系で困った。参った。就職先にまで食いついてくるんじゃないよ。ったく。
ちなみに君は関係ないです。はい。消えます。
それはそれは…。お疲れ様。。