たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

冷静さを取り戻して

2008-08-18 01:14:59 | Weblog
 「冷静になってから考えろよ」っと言われると、「表面上で焦ってるだけで、内心は、全然落ち着いてるよっ」っといつも思う。
 だが、今、とても落ち着いた状態で、「あの時、俺は、冷静じゃなかったなー」っと思ったりするから、不思議である。今日はそんなお話。

 少ないヒントや少ない情報、少ない事実によって、ある一般的な事柄を推測、発見する事を、「帰納」という。
 ものすごく冷静な状態であれば、瞬時に、ものすごく少ない情報から、ある一般的事実を導く事だって出来る。自分でいうのもなんだが、俺はこの能力に長けていると勝手に自負している。
 よく、「なんでそんなに、そうだって、自信があるんだよ?」っと言われるけど、自分でもよくわからない。ただ、間違いなくそうだって、帰納的に感じるのである。帰納的は頭、感じるは心の用語であり、この瞬間、頭と心が協力をして、同時に働くような気がする。二重人格化してない、良かった、っと感じる瞬間である。

 しかし、なんらかの原因や体調の変化によって、感情面がオカシイときがある。それが、冷静でない状態。こうなると、頭では、冷酷に帰納で考えられてるつもりでも、感じる部分が弱いから、帰納的に感じられない。そんな時、「頭は大丈夫」っといつも思ってしまうから、「冷静じゃなくても大丈夫」と思ってしまうのだろうか。

 この話の展開が正解だとすると、ひとつ、疑問が生じる。
 帰納だけじゃなくて、演繹でも上のような話が成り立つとして、「体調や感情が万全でなくても、試験でいつも通り、実力通りの結果がだせるはず」という事になってしまう。
 よく、「試験は、感情の排除である」などと言われる。確かに、そうだ。例えば、国語の物語文などでは、自分の感情を入れた時点で、不正解。あくまで、文章の中からの内容を読み取らなければならないというのは、基本中の基本。数学だって、理科だって、試験中に感情的なことを思案している暇は無い。教育学や心理学だって、試験という場においては、冷酷に感情をほとんど働かせずに、頭で考えた方が、良い点が取れるというのは、基本である。

 じゃぁ、試験も含めた日常生活の中で、感情面が崩れたら頭にも影響するのだろうか。
 どうかな。むしろ、俺は、どんなに死にそうに疲れているときでも、どんなに酔ってフラフラなときでも、どんなに悲しくツライときでも、積分計算などはできる気がする(笑)。だって、頭使うだけで、身体は使わないんだし。

 アイザックニュートン風に(えーっと、かなり難しい例えです(笑))、「試験は、感情の排除である」というほうが違うんじゃね?っとしとこーかな。
 俺は、どちらかというと、感情的な解答を書く。それで、別に、成績が悪くなったことはないし、むしろ、感情を入れることで成績が良くなっている気がする。
 ここで言う感情的な解答とは、「単位下さいm(__)m」とかそーいうことではなく、ある程度、基盤を頭で作ったあとに、感情というスパイスをちりばめていくような感じ。ちょっと、言葉で伝えるのは難しいけど(なにせ、感情だから)…。

 やっぱ、あれだな、頭の考えベースで、心の想いを注入していく作業って、案外、必要なシーンが多いんだな。アナウンサーも、アカペラのコーラスも、ピアノやギターの伴奏でも、実験の作法も、テストでも、そして、日常生活のなんでもない中でも、ね。
 ありゃ、いつのまにか、頭と心が分離してらぁ。いや、同時です。基盤作んのも、注入するのも(笑)。
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