たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

クズにならないために

2017-02-03 01:32:24 | Weblog
 何が他人を蹴落とす行為になるかについて常に考え続けようという気概がなければ、知らず知らずのうちに、自分だけが利益を不正に独占していることを「正統に勝利して得た結果だ」などと勘違いしてしまうだろう。

 無難に振る舞えば相手を敵に回さないはずだと考えるのは、いささか思考力が拙い。だって、横入りしたり、実力以上の結果をどうにかストーリーづけるのが当たり前になっている世の中、正直者ほど損をする。ゆえに、多くの場合、多くの人は、損をしなくてはいけないのだ。
 他人を蹴落とすような行為について常習化しているようなクズが世の中の大多数であり、その平均値よりもマシであるからといって、クズな行為が正当化されるわけではない。また、「馬鹿だってわかっている程度には自分は賢いはずだ」というのが最もバカであるのと同様に、「クズだってわかっている程度には自分はマシなはずだ」というのは最もクズである。
 その惰性と、価値観の構築不足と、無意味な社会性と無難さこそが、人々からホンモノを奪っていくし、正しさと優しさを追究しづらくなるのである。

 成り立たせることを優先しない、というのは現代社会において、すごく大事なのかもしれないね。成り立つ、というのは常に、最後に来るべきなのだ。むしろ他人から、「どうしてあんなに実力あるのにまだ成り立っていないのだろう?」と思われるくらいでちょうど良い。
 ラボを主宰する実力が欠如した人(たち)がラボを主宰している様子を呆れ返るほど見てきているし、一度成り立たせてしまった以上、後に引けないのだろうなぁという様子を見ている。(結婚やコネによって)実力以上の収入を得てしまうことはしっぺ返しがあまりに怖いし、"論文を書く"ということについて収束させようとする研究はだいたい腐ってる。
 先に芯を食べてしまっている分、(無駄なプライドが邪魔して)後には戻れないから、余分に不幸なのだ。

 そして、"成り立つ"を優先しないためには、かなり絶対的な自信をつけなくてはいけない。ここには、多くの事柄を俯瞰できるだけの体力と、あらゆる価値観をいったんは受け入れるだけの器の大きさと、相手のクズ度合いに配慮できるだけの未来への予測力が必要だ。中途半端な自信をつけるために、とりあえず(まずは)成り立たせ(てみ)る、というのとはワケが違う。もっともっと根源的な自信がなくてはいけない。

 すぐに敵認定をしないこと。ちょっと思いついた(だけの)ことに(対して)固執しないこと。他人に相談することを恐れないこと。自分の間違いを発見したら間違える前の場所まで戻れること。一つのやり方に決めず最低限の制限時間を設けること。繰り返しの時間と新しいことにチャレンジする時間を対等に持つこと。同じカタチの失敗だけは避けるようにすること。

 これだけ守ってれば根源的な自信は磨かれると思うんだけど、どうだろう?
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