たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

相手のスタイルを

2014-01-12 02:42:37 | Weblog
 明確な成功体験以外の方法で、何かを達成しようとすることは、なかなか難しいのかもしれない。
 手を動かしてばかりになっていたり、頭で考えてばかりになってしまったり、それっぽい言葉を自分勝手に使って誤魔化しながらストーリーを造ってしまったりする、その原因は、その方向性での成功しかプランニングが立てられないことにあり、結果として全体の不利益を生じさせてしまう。

 まぁ、それを成功したことも無いようなことにまで持ち込んで、他人に強要してきたりすると、流石にやっぱりバカだなーっと思わざるを得ないんだけどね。

 よくわからないけど、なんか、それで成功しちゃった、というのは、実は一番怖いことなのかもしれない。
 プログラミングでもエラーが表示されるのは幸せなことで、むしろ間違ったままなのに回っちゃって、正解かどうかの判定がなかなかできない、ってほうが怖い。

 本当は明確な指示者がいたから上手く行ったのに、そこをきちんと考慮できずに、行動しまくって手を動かしてただけで成功しちゃったと勘違いしてしまっているから、手さえ動かしていれば成功できる、という考えになり、そこからさらに転移して、手さえ動かしてれば安心、となってしまった。
 本当は実際に行動してくれる人がいたから上手く行ったのに、その配慮がきちんとなされずに、頭で考えまくってあらゆる他人の行動を一例だと捉え、包括してさえいけば成功できる、という考えになり、そこからさらに転移して、考えることこそが本質、と決めつけてしまった。

 何が問題の本質なのかを見極めようと思った時に、自分の習慣から脱して物事を捉えなければ、本質的な問題の掌握はできない。
 相手の価値観を単に認めるのではなく、様々な価値観を自分の心の中に落とし込みながら、一緒に問題に対してアプローチしていく。そこまでしているのだったら、必ず成功するはずなのだ。

 だから、きっと…、、安心している。

 行動することも、考えることも、みんなにとってわかりやすい言葉で表現することも、全部、何かのモノづくりをするなら、大切な側面。
 自分がどれが得意なのか、どのスタイルをとっているのかを理解しながら、相手のスタイルも尊重していくことが大切。

 確かに、パートは常に固定した方がラクだし、能力的な役割は分担しつくしちゃうほうが簡単だ。
 でも、それらに優劣があるのだとしたら、それをプレイヤー間でどうにか平等に持っていこうとすることこそが、共同で作業するときにおける、まとめていく、ということだと俺は思うのだ。

 とりあえず、もう一歩、頑張ってみようぜ。
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