たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

曖昧なぼくの輪郭

2013-03-10 04:44:05 | Weblog
 非生命現象から生命現象までは、相転移現象ではなくて、クロスオーバーだ。
 っと、俺はいろいろな場でよく言っているけど、実はそう想ってはいない。

 非生命と生命の話をする前に、俺は必ず秩序パラメータについて言及する。秩序パラメータとは、物性の世界でよく使う値で、その値だけで、ある状態を記述出来てしまうほどのパワーを持った、ミクロな物理的意味からマクロの現象を説明するための物理量である。よーするに、ミクロとマクロを繋げるための画期的な道具ってわけ。
 タンパク質転移反応、遺伝子発現反応、シグナル伝達機構など、生命の中にある様々な反応系そのものは、ミクロであり、単なる物理現象だ。これが、マクロに何かの秩序として現れるからこそ、不思議さが起こるわけだが、ここには何かの秩序パラメータが存在していると思う。

 だから、非生命現象から生命現象までは、クロスオーバーではなく、むしろ相転移現象に近いはずだと思う。
 しかし、それは、現状、マクロに観ている限り、もしくは、1変数だけで観ている限り、クロスオーバーであるので、説明の都合上、連続的に分布していると言っているだけだ。
 よって、本当の本当に詳しい部分を解釈すると、あくまで生命現象は非生命現象からの相転移現象であって、いきなりそこからランクが移り変わるものだと思う。

 生命現象にも階層性がある。大腸菌とヒトが、同列の階層に属しているとは到底思えない。
 ヒトが人として有意義になれる状態は、どういうミクロな性質がマクロに効いているときだろう?、人の有意義な状態について何を秩序パラメータとすれば良いだろう?っとよく考える。

 俺にとって、それは「願い」を気持ちのなかに持ち続けていることだと思っている。
 それが「祈り」になり、未来を切り開いていける。「祈り」は常に生命力をもたらす。

 「願い」が具現化すると、未来へと「祈り」に変わる。だから、空気を介せず、年齢を考慮せず、自分に自信を持って、意見を言うこともできる。それは一つのあり方でしかない。
 かなり繊細に考えながら、たとえば年下にここまで言われたら、絶対に系を変えようと努力するだろうっということまで期待しながら、本当の意味でより良い系になるように動ける思考力の源は、「願い」だ。これによって、物理現象を超えて、単なる生命現象も超えて、ヒトが人として存在する価値のあるものになっていく。

 もしも君が自然現象を知りたいのなら、知りたくなくなるまで研究し続ければいい。もしも君が研究者という肩書きを手に入れたいのなら、悪いことは言わない、いまのうちにやめてしまうことだ。
 っと、この曲の担い手の言葉を借りながら、常に自分に言い聞かせている。だって、生命現象に主眼を置くくせに、肩書きという物理現象に右往左往してしまうのなら、本末転倒もいいところだからだ。だったら、俺は、すぐにでも、教員になる。

 何もない部屋中に広げた夢も、ここまで具現化してきた。実空間ではまだまだ曖昧な俺の輪郭も、心の中ではかなり確定してきている。
 頼りない祈りでもできるだけのことはしたくて、、「願い」を胸に、それに自信を持って、論理性を高めていく。

 目指すは、残酷な物理現象を倒し、みんなで楽しくモノづくりし、楽しさが未来にも保証されるようにすることだ。

 それが、自然現象を追求する者の「祈り」なのだと俺は思う。

EXILE Your eyes only 曖昧なぼくの輪郭
コメント
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