たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

答えは初心のなかに

2013-03-18 01:01:16 | Weblog
 結果が後からやってくるというのは、正しく真面目に頑張っている証拠だ。だから成果が上がらなくても、案ずることはない。
 でも、この立場になったからこの能力をつけなければならない、っといつもいつも不安がっているのであれば、それは言葉を先行しすぎた結果だから、そのスタイルそのものを案ずるべきだ。その想いは簡単に、この立場だからこれを知っているフリをしなければならない、という醜さに変わり、他人に迷惑をかける。

 俺は、こういうことを本当によく言うようになっているけど、この教えを受けた時代がもちろんある。
 大学受験のときに、恩師のなかでも特に恩があると想っている方から、言われた言葉がある。

 「そんなに推薦をとりたいのか。それなら、俺を倒してから行け。」

 っとマジで言われた生徒たちも珍しいんじゃないかな(笑)。
 勘違いして欲しくは無いが、俺は、推薦が悪い、と思っているわけではない。推薦を含めた入試全体に問題があり、最近では、一般入試も推薦と同等に、杜撰な評価基準であると思っている。
 何が悪いかと言えば、本業である「学問」という分野にも拘らず、高みを目指してチャレンジすることを一切しなかった人が、それ以下の結果であった、正しく真面目な人に比べて、優遇されてしまいうるという現状である。それは一般入試でも十分に起こり得ることであり、推薦入試からの出身者であっても(俺の定義の)優秀な人は一定数存在していることから言えることだ。

 こういうことを、文字通り、身体を張って教えてくれた先生に、今でも感謝している。
 おかげで、どんなときでも最終的には希望を持っていられるし、結果が出ていなくても、前を向いていることができる。

 純粋な気持ちがいかに大事か。純粋さを捨てて、ガチの能力を向上させようとせずに、「大人になる」という言葉に騙されて、不条理に対してまで穏便にしてきたから、虚ろな目をしているの?不条理をそのまま受け入れてしまうスタイルは、もしかしたら、不条理そのもの以上に罪なのかもしれないよね。
 他人に押されたスイッチは、消えてしまっても文句は言えないんだぜ??

 無垢な気持ちを想い出して、自分でスイッチを入れて、そのまま最後まで走ってみれたなら、今できることが見えてくる。それをし続けたなら、必ず報われる。
 自らが思い描ける程度の理想は、不可能という言葉を纏っていない。想像できる理想はすべて現実のものとなる可能性に満ちている。

 だから、本当の意味で、自分に自信を持ってみて!大事なのは、今じゃなくて、これからなんだし。
 最後まで諦めないで、今できることがあるなら、それをし続けたならイイのだと思う。

 答えは初心のなかに含まれていた。
 この指針こそが、年齢や学年や時間を超えて能力を向上させ、目上の誰かを助けるため、守るため、系をよりよくするために、必要な能力。最近、ようやく、そのことに気がつくことができた。
コメント
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