たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

パサパサ感の真意

2013-03-19 01:03:49 | Weblog
 たいていのことは決まりきっているプロトコル通りにやれば上手く行く。
 だから、プロトコルの厳選さえ済んでしまえば、後は時間もかけず、何も考えず、パサパサこなすのが一番手っ取り早い。

 でも、こなしている感がありすぎる、プロトコル通りのコミュニケーションの取り方をされると、一気に不安になる。それは、個々人が、自分はスペシャルだと信じているからだと思う。
 別に、スペシャルな人にも、パサパサした対応をすることだってあるのにね。

 プロトコルを間違えて選んでしまった時や本当の気持ちを出し過ぎてしまった時、恥ずかしくなって、引っ込みがつかなくなって、ついパサパサ感を強めて、こっちが悪いんじゃないよ?、ってアピールをしたりして。

 悪くないもん!って気持ちで大義名分をパサパサ語り出してしまっている、幼くも憎たらしい瞳を見抜いている俺に気がつくと、急に素直になって、謙虚なプロトコルや、こんなにダメなんだよ?ってアピールするためのプロトコルを使われると、俺は、もう一歩こっちが幼くなるプロトコルでも使っておくか、っと逃げてばかりで。。わざと負けるのは、昔から得意だから。

 抱え込める度量があるのに、最後まで選択肢を削ったら、どういう飛び方をするのかを冷静に評価している俺は、実は、究極的なドSなのかもしれない(笑)。
 っそ、最後はこっちが掌握しておきたいという気持ちを持っている限り、一歩距離を置いた人間関係になる。

 引っ込みがつかなくなっちゃったなら、パサパサ論理で言い訳せずに、すぐにスパッと謝れば、それでイイのにね。
 謝ることは負けじゃなくて、過去の駄目な部分の自分との決別なのだから。

 それくらいのことが自然にできる信頼関係を結ぶ過程として、プロトコルに依存しないスペシャルな瞬間以外にも、プロトコル通りのパサパサ感で違和感を感じて、自分の気持ちを確認することだって、楽しいことだと思うし、必要なんじゃないかな。
コメント
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