たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

信じるということ

2013-03-25 02:36:38 | Weblog
 客観的にみたら自分が悪いわけじゃないのに、自分が悪いと想えたなら、それは良い信頼関係が築きつつある証拠だと思う。
 良いモノづくりをするためには、本当の信頼関係が必要だといつも言っているけど、それは、こういう部分で確認することができる。

 古典力学でも量子力学でも、一般に、二体系は一体系に帰着される。三体系は解けないけど、平衡状態の多体系は平均場近似によって一体系として解くことができる。
 人と人との関係もこれと同じような扱いをすることができる。信頼関係が深まれば深まるほど、相手と自分は一人になっていき、相手の失敗や成功を自分のことのように感じることになる。人同士については三体系も一体系として扱うことができる気がするし、一体系としての感覚を味わうほどにモノづくりが楽しくなるし、後に残る、素晴らしいモノづくりになることが多い。

 これほどの信頼関係を創りながらのモノづくりをすれば、自信になる。それが拙い結果であったとしても、一人ひとり、個人の能力を本当の意味で上げうるほどの自信を持つことができる。

 自信をつけるためには結果が必要だ。この「結果」は、自分の心に言葉を飲み込みながら行い、みんなで達成した「結果」じゃないなら、自信にはならない。自分だけが孤軍奮闘して、情熱で報われる孤独を演じて、即物的な結果を得ても、自信には繋がらない。
 でも、たった一回でも、きちんとした信頼関係を持って、モノづくりをして、それが形になっているなら、もう「結果」は要らないのだ。あとは、どんなことをするにしても、結果が出ていなくても、自信を持つことができる。

 「信」頼関係は一体系であり、自分のことのように感じるということ。そのなかで結果が出たなら、他の系に行ったときでも、自分だって思ってきたわけだから、自「信」になるってわけ。

 結果が出てから、やっと自信を持てるなんて、普通もイイとこ。バカみたい。
 結果が出る前から自信を持てるのは、絶対的な論理性を持ってして、未来に成功している自分たちを想像でき、過去と現在の信頼関係が暖かいからだ。

 信頼関係には、お互いの優しさが必要だ。自分を傷つけないためのディフェンスを考え尽しても、結果、虚偽偽りになってしまうなら、本当の論理のなかでの、相手に対する素直な気持ちを発現していったほーが、楽しいよね。

 たったそれだけのことなのに、上から言われたことを繰り返すだけの日々で、いつまでもスタートせずに搾取されるなんて、もったいない。
 みんな、半年くらい続ければ得られるモノを、私にはいきなりそれは出来ない、って投げ出しがちだけど、ほんのちょっとの変化で、自分に自信を持って、楽しく、みんなで、モノづくりができて、社会貢献ができるなら、そっちのが良いって思わない??

 お前じゃなく相手が悪い、って客観的な意見を聞きながら、俺は俺が悪かったんだって本当に想っている、っていうのは、切ないけれど、意外とイイもんだよ。
 それがたとえ幻想だとしてもね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする