職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

サザエさんのうた

2007年11月30日 | ヤスさん日記
今日も新潟は晴天。
干した布団もいい具合なはず
と思いきや
干しているのも忘れ
夜には雨が降り始め…
サザエさんの歌がリフレインの夜更けです。

信の一文字で支えられているもの
そんなモノに挑戦してみようかなと
今までの自分の行動がどう見えているのか
またこれからの自分の可能性をどう見てくれているのか
そんなものに賭けてみようかと。
自分の日々の糧とゆうものを
もう一度見直すいいチャンスなのかも知れません。

職人として出来ること
を積み重ねながら、
日々の大切なこと
がぶれないように、
美し未来
を見渡せるように。

HIGE BANKなるものを
冬至の日より創設します。
信頼と応援で成り立つHIGE BANK
今度、ナガさんともゆっくりとお話ししましょう。
基軸通貨を抑えめに
極狭通貨としてハッシンします。
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きずな

2007年11月29日 | ヤスさん日記
自分が本当に必要だと思ったとき
それがするりとすりぬけたとき
それが遠くへ行ってしまう後ろ姿を見たとき
さて、ココロから祝福できるかどうか
そんなことを思う今日この頃。
そんな男の横顔が哀愁に満ちていて
ぎこちない笑顔でも
いいではないですか。

人生のタイミングは
悪戯のように微妙なようで
すれ違ったり
伝えきれなかったり
コトバを飲み込んだり。
何事もベストタイミングだ
と思いたい訳ですけれども
そんなのは後付けなのかもしれません
し、
でも本当に後々になれば
それでよかったと思えるときは多々ある訳で。

ひとつだけ言えるとすれば
やるだけのことはやれたと思える
ことが大切だよなと。
「夏草や兵どもが夢の跡」
いつか
そんな風景がそんな人達が
いつかのコトになったとしまったとしても
そうでありたいと祈る訳ですよ。
はい。


予期せぬ未来に
願いを込めて。
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The Soul of SATSUMA

2007年11月28日 | ヤスさん日記
たまにはリアル本屋さんへ
足取りも軽く
様々のジャンルの今を見ていると
ほんとうに様々で
今の世の中の多様性や複雑さを発見できるものです。
そんな中で引っかかる本
ココロを引かれる本
そんな中に当たりの本がばかり
な、今日この頃です。

そして今日のジャケ買いの一冊は
薩摩のキセキ
表紙が井上雅彦さんという所も魅かれますし
薩摩といえば西郷さん、大久保さん、島津成彬公
ですよねー。ナガさん。
薩摩のsoulの流れが描かれているのでしょう。
きっと。

そして編著が
~薩摩総合研究所「チェスト」設立趣意書より~
「サツマイズム」とは、鹿児島の人?歴史?文化に綿々と流れる、
清らかな利他の精神,古くから学ぶ知識、美しい立ち居振る舞いなどの、
鹿児島の先人達から受け継がれた精神的基盤のことである。
どうですか?薩摩隼人ナガさんとしては。
きっと読まずにはいられない本でしょう。

古より学び今にそれを行う
慮りを身体に映し
受け継ぎし精神を体現する

それが奇蹟なのか
軌跡なのか。
「泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ」
これからのキセキを
創ってゆきましょう!ナガさん。

久しぶりの暖かかった新潟も
深紅の夕暮れと共に寒さが戻ってきます。
カラダを巡る血を感じ
頬の冷たさを感じ
吐き出した仄かな白さは
手のあたたかさを
一層強くしてくれるようです。
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湖面のような世界

2007年11月27日 | ヤスさん日記
自分が観ている世界が
揺れ動いているときとかは
きっと、ココロの湖面が波だっているのだと
その湖面に移っている世界の揺らぎ
本物がぶれずにそこに在るとしても
湖面に映るモノは揺れ動き
かき乱されながら。
それが収まるまでは時間がかかり
一つの小さな石でも
その波紋は多きく響くような。
その投げ込まれたモノを
どう受け入れるのか
その波を静かに保つ為には。

観ている方向が
本物を観ていないとしても
それに映るものの美しさは
それ以上に映るときが在るかも
表現者としての真骨頂は。
内奥の奥
見えざるものの息吹が
創るものにも吹き込まれるようです。
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ふとしたときが、本物を。

2007年11月26日 | ヤスさん日記
楽しいと思う衝動の中で
紡ぎ出されてゆく数々のアイディアは
頭の中で駆け巡りに駆け巡り
微笑みがとまらないという
ワクワク感。
こんな、日々がカラダも活性化させてくれるなと。

昨日、観葉植物を2鉢購入しました。
植物の名前
も聞いたような気がしますすが
今となってはそれは過ぎ去ってしまい。
今この眼前にあるこのふた鉢
その緑の中に感ずることは
美しさなのか
癒しなのか
育てているという充足感か。
その区分すら溶けさってしまうことが
それが在るということなのでしょう。

食器にしろ
パワーストーンにしろ
食材にしろ
なんにせよ
直感で「これだな」と思う瞬間。
それを引き出しているものはなんなのか
経験からか
過去の記憶からか
好奇心からか。
モノの中に宿るナニカが
そうさせるのか。

そんな気にさせてくれるものの中に
居るという充足感は
そこはかとない
夢の中にも誘ってくれるようで。
きっと見上げたこの瞬間
この月の今の光が
それなのでしょう。
黄金に輝くものは
その姿を消しても
いついつまでも輝くのだ
と思う職人なのでした。
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今日の福音

2007年11月25日 | ヤスさん日記
ありがたい日々
そんなものです。

「汚れつちまつた悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れつちまつた悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる

 汚れつちまつた悲しみは
 たとへば狐の皮裘
 汚れつちまつた悲しみは
 小雪のかかつてちぢこまる

 汚れつちまつた悲しみは
 なにのぞむなくねがふなく
 汚れつちまつた悲しみは
 倦怠のうちに死を夢む

 汚れつちまつた悲しみに
 いたいたしくも怖気づき
 汚れつちまつた悲しみに
 なすところなく日は暮れる・・・・・」

今日は彼に寄りかかりながら
夜空を見上げると
金色の月が。
全てがありがたく
全てが切なく
全てが愛しい。
そんな夜です。
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本物をつらぬく

2007年11月24日 | ヤスさん日記
小春日和の新潟
こんな日は洗濯と日干しと
そんな朝が似合うと
久しぶりの爽やかな青空は
陽射しのありがたさが一層です。

この頃思うこと
言い切ることの大切さ
それが本物であるということを言い切る
それが生きるうえで必要なことではない
としても
それを自分が信じきるという事が
とても必要なことなのだなと。

日々の生活でそれが糧になる
ということも必要で
それでも自分を貫くということも
とても必要で。
周りに取り残されるとか
周りに流されるとか
そんなこととは外でのこと
信じきる。

「徳は弧ならず必ず隣有り」
それにぶれずに
貫けることだとしたら
それでいいではないではないですか。
アカデミックな内容に認められることは無くても
喜んでくれる人たちの顔が
そこにあれば
それは信じきれると
自分も。

夜空に吹く白
そのあたたかさが
消えてしまう前に
空の深さを刻み込んでおきたいと思う
職人なのでした。
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有極まりて無と為す

2007年11月23日 | ヤスさん日記
色を無くす時
強い光の中でハレーション
夕暮れ時の家の陰面
空とのコントラスト
全てが極まったときに
全てを無くすような
地球の飽和状態はいつくるのでしょうね。

in the blue sky
透明な青の中に入ってゆけるとしたら
自分も透明に近くなれるのかも
とか。
そういえば椎名林檎さん「透明人間」
鮮やかな色々
透き通るまなざしで全てをちゃんと見れるように。
そこでいるだけで
もうその空間を包み込める人が。

猫が歩くときの塀の上
雪がはじける塀の上
全ての塀の上でおこっているドラマ
同じ塀の上でも
それぞれの中で。

今この瞬間に見ている空
それを同じように感じている人がいたら
それはもうきっと奇跡に近いような確率で
でもきっとそんな人達に出会う
そんなが人生素晴らしい人生なのだなと。
未だ手習いの職人の思う
今日この頃。

須くのものに
意味をつけようとする人達
それで安心なのでしたら
とも思うのですが
自分がどの区分かなどとは
どうでもよいことで
安心を手に入れたいと願う
それを飛び越そうと駆け出す。

やじろべいが
何故あんなに安定しているのか
それだけが問題だなと。
ナガさん
新潟は明日も寒くなりそうです。
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拾ったもの

2007年11月22日 | ヤスさん日記
贅沢な部屋
大きな窓を右手に
広々な仕事机
ゆったりと座れる椅子
これは贅沢の極みなのかもしれません。
窓の大きさと気持ちのよさとは
きっと比例しているのでは
塀の上の狭い小道で跳ねる霰や
隣の家に残る紅葉
そこから見える景色が
どのようなものであれ
大きな窓は贅沢なのです。
きっと。

中也が拾ったボタン
そこに見る男女の機微が
とても切なく響きます。
拾ったもの
拾われたもの
拾ったものが実は
拾われたものに拾われていたり
と。

そうだ。
刃の存在意義はどこにあるのかなと
人を傷つけてしまう刃
傷つけなくてもそれは
刃なのかしらん。
そんなことを思いつつ
あの刃に映る光の深さを思い出しております。
それがそうであると言うことが
なにかを傷つけてしまう
けれども
それがなくては、そのモノ自体が存在しない。

こんなパラドックスの中で
浸ることも
遊ぶことも
二十四節気のひとつとして
冬至までのあと1ヶ月
キャンドルナイトの準備で
きっとまた時間の中で遊べるのだなと。

大きくはいた白さを
登り消え行くまで見つめる先には
見えなくなってもなお
どこまでも登っていく強さが。
息をつくことも
時には必要なのだな
と思う職人なのでした。

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New Design Yahoo! JAPAN 2008/01/01
http://pr.mail.yahoo.co.jp/newdesign/

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月夜の晩に拾ったボタンは

2007年11月21日 | ヤスさん日記
みぞれ落ちる大地の峻厳さ
雷光と轟きの瞬間性
仰ぎ見る空の鉛色
全てが冬を招く儀式のように
新潟の空気を包んでいます。

あー、やばい。
早くこのイメージを
定着させなくては
と思う時
ありませんかね。
出口を探してカラダの中を彷徨している
ことわ感じるのですが
コトバにしろ文字にしろ絵にしろ
定着させることが出来ない時。
先達に出会うことも
よくあることで。

「月夜の晩に、ボタンが一つ
 波打際に、落ちていた。

 それを拾って、役立てようと
 僕は思ったわけでもないが
 なぜだかそれを捨てるに忍びず
 僕はそれを、袂に入れる。

 月夜の晩に、ボタンが一つ
 波打際に落ちていた。

 それを拾って役立てようと
 僕は思ったわけでもないが
   月に向かってそれは抛れず
   浪に向かってそれは抛れず
 僕はそれを、袂に入れた。

 月夜の晩に、拾ったボタンは
 指先に沁みた、心に沁みた。

 月夜の晩に、拾ったボタン
 どうしてそれが、捨てられようか。」
中原中也

今ここに定着することで
永遠になることもあったり
えーと。
中原中也さんの指先や口元から
放たれたコトバは
水平な直線のようにいつまでも
光をきり続けているようです。

空に飛びたいと願う人は
ともすれば地面に叩き付けられることをはらみながらも
そうでありたいと願うのでしょう
それその落下速度の中で感じる時間
をも一生懸命な人なのでしょうね。
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