職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

今を生き切る

2012年03月31日 | ヤスさん日記
地域
に生きていると
人間関係
とか
地域の歴史
とかがあるわけですが
その中でうまれた凝りを
乗り越えることこそが
この地域から世界を変える
のだと思うのです。

例えば
誰かがいるから参加しない
とか
誰がいるから誰に声をかけられないとか
そんなコトを
乗り越える工夫こそが
必要とされている気がします。
狭いコミュニティだからこそ。

今を生きる。
過去を変えるコトができるのは
今を生きているからこそ。
今ここから
始めなければ
未来に輝きは見えないのでは
ないでしょうか。

そんな地域の集合体こそが
新潟であり
日本であり
世界であるわけで。
世界平和は足元から変えるコト
なのでしょう。

また
同じことを繰り返すのも
人間の性としたら
その変化のきっかけを
自分の中で
いつも持ちたいものです。
過去に振り回されずに
今を生き切る。

そんなコトを思わせてくれる
静かな雨音です。
ながさん
庭のさくらの蕾も
少しずつですゆるんできたようです。
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ぴったり

2012年03月30日 | ヤスさん日記
なんとなく
時間が
なんとなく
早く進んでいるような一日。
一区切りまで
あと少し
あと少しが終わったら
また次が始まるな
と思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

今日は
なんとなくな振り返りの一日。
なんとなく
まどみちおさん。

「リンゴをひとつ
 ここにおくと

 リンゴの
 この大きさは
 このリンゴだけで
 いっぱいだ

 リンゴがひとつ
 ここにある
 ほかには
 なんにもない

 ああここで
 あることと
 ないこととが
 まぶしいように
 ぴったりだ」

私が無くなっても
有ったときと同じように
ぴったり
この地球は
同じように回り続ける。

そんなことを
空を見て思いました。

さて
新年度も間近。
一区切りを
終わらせるとしますか。
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見えない部分を描く

2012年03月29日 | ヤスさん日記
見えない部分を描くコト
絵描きの中で
私が尊敬する人は
そのあたりを描ききっている
のだと思うです。
例えば
岸田劉生の切り通しの図
なんかは
あの変哲も無い景色からも
ぬっ
と誰かが出てくるような
そんな気がするのです。
そんな見えない部分を描く
って
銅器にもあると思うのです。

ながさんの
絵の中にも
ストーリーが感じられる
というのは
その見えない部分のひとつ
だと思うのです。
切り取られた絵の
前と後が見える。
それを
銅器に置き換えたら
どうなのだとうか。

例えば
絵がかないコトで
想像させる
ってあるじゃないですか。
それが
銅器ならどんなことなのかな
と。

実際のモノとしては
見えない部分に
どれくらい手をかけられるのか
ってことも
あるのだと思うのです。

けど
銅器において
みえない部分ってなんなのかな
と。

その銅器の
ストーリーはあると思うのです。
そこらへんが
見えない部分になるのかな
と思いつつ。
銅器ならどうなのかな
と考える
春のひとときです。

ながさん
今日もやりきりました。
明日もやりましょうね。
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強くね

2012年03月28日 | ヤスさん日記
目の前にいる人

信じる
ということは
自分も信じる
ということだよな
と思う今日この頃。
一雨ごとに春が近く
なってる
はずですよね。
そんな春先を
ながさんはいかがお過ごしですか。

やりたいことをやる。
そんな我が儘は
わがままであり。
わがままは
誰に認められる事も無く
自分の中から湧き出る欲求が
エネルギーとなり
継続されている
のだなと。

誰にも左右されない
強い心を持ちたいもの
ですが
やっぱり
揺れるものは揺れるもの。
それでも
と思える心が
しなやかな強さ
というものなのではないでしょうか。

揺れない
のではなく
揺れても
また
戻れる。

そんなしなやかさを持ちたいな
と。
傷つくは
やっぱり
傷つくじゃないですか。
でも
いつか
その回復力が
早くなっているときが
早く来たらいいな
と思う職人です。

ながさん
久しぶりに
太郎ちゃんに会いたいです。
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本分

2012年03月27日 | ヤスさん日記
さてと
夜も更けて来つつ。
根を詰めてる時の
空のひと呼吸が
程よい冷たさになってきた新潟。
ながさんは
まだ
励んでいたでしょうか。

仕事
仕事
仕事
仕事に集中して。
ご飯を食べて
仕事に集中して。
コーヒーを飲んで
仕事に集中して
精魂を使い果たして
眠りにつく。

こんな一日。
こんな一日こそ
本来の幸せと
直結しているように思うのです。

自分の本分を全うして
全うする中から
人としての成長を受け取る。

もちろん
そこからの広がりで
家族
地域

世界
へと
視野を広げてゆくのですが
この仕事という本分を
しっかりと掴んでいたいな
と思います。

これを
掴んでいるからこそ
世界に広がる
のだろうな
と。

精魂込めたモノが
笑顔に繋がりますように
と祈りつつ。
目を閉じるとします。
ながさんも
お元気で。
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自分基準見直し

2012年03月26日 | ヤスさん日記
一つ正しいことを言ったひとが
全て正しい訳じゃなく。
一つ間違いを言ったひとが
全て間違いな訳じゃない。
そんな中に
私がいるのだな
と思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

希望
ですよね。
希望があるからこそ
生き続けられる
のだと思うのです。
その希望のイメージを
どんな風に持つか
持ち続けられるか
だなと。

誰に評価されるわけでも
誰に認められるわけでも
ないとしても
それでも
行い続けよう
と思える志こそ
本物だな
と思う訳です。

もちろん
それは
自分の中のことで。
見渡してみれば
そんな覚悟を持っている人こそ
志のある仲間が集まっているなと。

前々のイメージが
あるからこその
今の行動が
ある訳で。
前々のイメージに
近づこうと思うと
自然と身体は
多くの時間を
行動として
費やさせてくれる
のだと思います。

3時間
でも
6時間
でも
自分の意識として
充分と思える時間を
設定し直してみよう
と思います。

時間なんて基準は
人それぞれですから
自分の中の基準を
もう一度
見直してみようと。

普通なんて思い込みは
昨日に置いておいて
今ここからは
更に自分基準を明確にしてゆこう
と思う職人なのでした。

ながさん
ものづくり
表現としてのモノを
突き詰めてゆきましょうね。
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抜け出す切符

2012年03月25日 | ヤスさん日記
覚悟
覚悟
覚悟。
昨日は
何度覚悟を書き記したか。
がんじがらめ
そこから
抜け出す方法は
どこにあるのだろう。
答えは
どこにあるのだろう。
と。

きっと
自分自身も同じで
どこか
抜け出すところを
探しているのだろう
と思うのです。

そして

手にしていると思うのです。
その
抜け出す為の切符を。
それが
覚悟
なのだろうと。

わからなかったり
考えたり
でも
実際に感じた感覚は
どのまま
本物だのですよね。

その時
目の前にあるそれが
過去も未来も含めて
本物ですよね。

さて
今日は久しぶりに
田中優さんのワークショップ。
ながさん
やりますね。
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境界線

2012年03月24日 | ヤスさん日記
まん丸く
まん丸く。
受け止める感情が多すぎて
最近は尖っていた
ような気がします。
鋭すぎる刃物は
取り扱いに注意しなければ。
転化できないほどの
それらも
受け止めてあげたら
きっと
まん丸く
まん丸くなりますね。

思ったのです。
私は境界線
ってゆうものが
曖昧なのかもしれないなと。

いや
壊したり
つくったり
受け止めたり
突き放したり
そんなことの繰り返しを
相変わらず
やっているのかなと。

自分と他人の境界線
自分の中の境界線
全てにおいて
私は繰り返し繰り返し。

でも
大きな壁にぶつかると
大きな感情を乗り越えられる
それだけはわかる気がするのです。

日本中に問われている
放射能という問題も
とてつもなく
大きな感情を伴うものですが。
必ず
乗り越えられる
と信じつつ
今日も過ごします。

ながさん
ぎりぎりで踏ん張っている人達も
包み込むようなモノ
つくりたいですね。
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お金の流れ

2012年03月23日 | ヤスさん日記
いやほんと
そこまでして
中央に金を持ってゆくのか
と。
憤りって
世の中を知れば知るほど
増すもの
なのでしょうか。
けれど
経験を積めば積むほど
それを転化する機能も
増してくるというもの。
そんな
憤りたちを
どのように
この世界に活かしてゆこうか
と思う今日この頃。
ながさん
東京の桜はいつごろですか。

情報が飛び交ってますよね。
沢山の情報が。
それを選びとるか
という前に
また
総量で判断んする前に
お金の流れ
を見てみると
わかりやすくなることが
往々にしてあります。

美談や情の裏で
お金が沢山の飛び交っているコトも
よくある話で。
それらを見抜けないと
流されてしまうのでしょう。

地元の声。
何をもって
地元の声なのでしょう。
地元が本当に必要としているコト
って
なんなのでしょう。

そんなのも
お金の流れが
見せてくれるコトが
あるのです。

本当に
本当に
本当に
何が正しいのかは
未だにわかりませんが
胡散臭さの漂う中
子供達に胸を張って残せるものを
残したいな
と思う職人なのでした。
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それが

2012年03月22日 | ヤスさん日記
智に働けば角が立つ
情に棹さしゃ流される
意地を通せば窮屈だ
兎角この世は住みにくい。
そして
住みにくいからの美しさ
と漱石さんは言ってましたが。
ほんとうに
その情というやつが
時々
濁流となって
押し流そうとしてくるものです。
けれど
その情が
本当に大切なものを守れる情なのか
どうか
といったところを考えたいな
と思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

情ですよ。
情を使って
動かないものを
動かそうとしてくる輩が
いるものです。

どう考えてもおかしい。
流れ的にも
そんなはずはない。
といった状況があります。
でも
情というものが
判断をしづらくする
ってあると思うのです。

でも
でもと
未来を想像して見ると
全体的なお金の流れや
現場の声をもう一度聞き直してみると
やっぱり
おかしいもの。

そんな時にですね
やっぱり
自分自身の覚悟や
本当のコトを突き止める知力や
心から思いやるといったものが
試されるのだと思うのです。

どう考えてもおかしい。
そのおかしさは
テレビや新聞では流れない
そんなおかしさですが
本当のコトを
未来に遺せるように
と思う職人なのでした。
ながさん
明日もまた
やりますよ。
それが美しさってもの
じゃないですかね
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