職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

マクロビオティック教室

2011年02月28日 | ヤスさん日記
料理の教室に月1回
通わせてもらってます。
エプロンに
手拭いに
包丁に
まな板
普段のものづくりとは
一風変わった時間。

思うのです。
千差万別の伝え方がありますが
同じ志を持っている仲間の主催する空間
それは居心地が良く学べる場
なのだと。

料理と
ものづくり。
先日はそのふたつの共通点を
見いだすことができました。
先生の伝えるところによると
台所に立った時には
今までどんなことがあったとしても
愛に満ちた自分で料理を作り始める
ということ。

その料理で
細胞ができ
身体を作るわけですから
本当に
そこに込める作り手の想いは
直接に料理に現れるでしょう。

振り返ってみて
ものづくり。
私もその作品製作の場にたったら
どんなコトがあっても
正直であり
平らな気持ちで
そこに向き合うということ
だと思うのです。

このふたつの共通点。
毎日の仕事が持つ意味
ということを
深く感じます。
日々の糧を頂く仕事が
自分の心を磨く時間である。
なんて
ありがたいことだろう
と思う今日この頃です。

そして
そんな仲間がいることが
ありがたいですね。

毎日のものづくり
しっかりと
もっと深く
根付かせようと思います。
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黄砂のリズム

2011年02月27日 | ヤスさん日記
ながさん
いかがお過ごしですか。
新潟には黄砂が降ったらしいですよ
遠い遠い中国の砂漠から
風に運ばれて
こんなところにも辿り着くのですね。
私の深呼吸のこの息も
遠い遠いところへ
辿り着くのでしょうか。
どんな所へ
ゆくのでしょうね。

まだまだ
ふわふわとしていて
足元をしっかりと踏みしめる
には
もう少し時間がかかるようです。
もちろん
ものづくり
職人としての直感は
今まで以上に冴えをみせてくれていたり
論語の素読も力がこもったり
たりたりと
韓国で学んで来たことや
感じてきたことは
活かされているのですが
どうも
まだふわふわとしたところがある。

必要なタイミングで
行りうるすべてのことに
真っ正面から
受け取りたいですが
どうも
この速い時間の流れ達が
今までの
あらゆる溝を大きくしている
ように感じるのです。

新しさの中に飛び込んで
限られた時間の中で
どれだけのコトを伝えられるのでしょう。
継続こそ
答えの見つけられる鍵
だとは思うのですが。
どうも
少しばかりの溝が
大きく見えてしまうようです。

今降っている雨にも
中国からの風はナニカを
運んでいるのでしょうか。
傘にあたる雫のリズムが
心地よく胸に染み入る夕暮れです。
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求める

2011年02月26日 | ヤスさん日記
本当に必要なことを
誰に求めるんでしょうね。

でも
求めることって
掴んでしまうと
逃してしまうことと同じでしょうね。
 
でも
求めてしまう。
相手に矢印をむけてしまう
んでしょうね。

そんなことを
考える夜です。

また
寒さが戻ってきました。
ちょっと
寒風に吹かれてみます。
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REASON

2011年02月25日 | ヤスさん日記
今朝の新潟は
優しい雨に包まれています。
寒さの緩んだ
ほのかにあたたかみのある雨。
一雨ごとに春が
ちかづいてくるのでしょうね。
ながさん
東京はもうだいぶあたたかいでしょうか。

人は誰も
誰かを求めてしまうもの
なのかもしれません。
そして自分に
舞い戻ってくる。

いつからか
分かち合う
ということを知る。
それを
真ん中において
寄り添ってみる。
のかな
と思う今日この頃です。

「さみしさは  誰もかくせない
   君のやさしさと  嘘が繰り返してる
   だまされてる  訳じゃない
   生活の上  こぼれるから」

いつまでも
色褪せない歌って
ありますよね。
自分の中の
それぞれの時代で
意味を持ってくれる歌。

「この傷の上に生きてほしい
   傷を癒すように。」

尾崎豊の「理由」
それも
そのひとつです。
もう何十年も経っている
らしいですが
私はどれほど
成長できたのか。

まだまだ
走ってみますね。
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矢印の方向

2011年02月24日 | ヤスさん日記
植物の根っこが
もし
水から養分を欲して根を伸ばす
のではなく
水の中にある記憶を欲して
根を伸ばしているとしたら
また一興ではないですか
と思う今日この頃。
庭にはもうフキノトウが
春は想像に耽るのに
ちょうどいい季節かもしれません。

私に何ができるのか
まず考えてみます。

出来事出会った時
方向を周りに向けるのか
自分に向けるのかで
印象は
かなり違うものでしょう。

自分を守りたいと思う時
人は
矢印の方向を
何処かへ向けなければ
痛みを感じるもの
なのかもしれません。

けれど
痛みを感じるってのは
生きている証拠。
人生を
活き活きと生きている
その証拠なのです。

誰かや
何か

誰かや
何かの
思考が成長して行くための
鏡です。

私が
何ができるのか
考えてみる。
そこから始めてみよう
と思う職人なのでした。

さて
世の中にはカクテイシンコク
というものがあるらしいですね。
私も帳面とにらめっこの季節が
やってきましたよ。
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相似

2011年02月23日 | ヤスさん日記
代議士でも
職人でも
会社員でも
主婦でも
子供でも
警察官でも
それぞれの立場で
やれることはありますよね。
どんなことでも。
人間世界を動かしているのは
誰なんだろう。
そんなコトを考える
今日この頃です。

同じような行動をしていても
どんな気持ちで行っているかで
継続力が違ってきますよね。
そこに接する感情が
どこにあるか。
それは表情に出ているかもしれないし
雰囲気に出ているかもしれない。

だから
ですね。

代議士でも
職人でも
会社員でも
主婦でも
子供でも
警察官でも
同じような感情や雰囲気を思っていれば
違うコトをしていても
見据える先は一緒で
同じ志を持っている
のだろうなと思う訳です。

どんなことをしていても
誰でも
もしかしたら
立場はくるりと変わってしまう
かもしれない。
そんな矢先に立ったときに
どんな表情をしていられるか
ってコトだと思うのです。

世界も
国も
地域も
家庭も
相似なのじゃないでしょうか。
そこを動かしているのは。

さて
新潟は春の陽差しが続きます。
ちょっと
陽だまりを探しにでも
行ってきますね。
ながさんも
素敵な一日を。
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変われる

2011年02月22日 | ヤスさん日記
そう
人間は変われるのですよね
ながさん

いつかの自分とは
あきらかに違う自分が
今ここに生きている。
それは
私は変われるコトを
信じるこころが
しっかりと根付いているから
なのでしょう。
確かにそれが根付くまでには
様々な体験をさせてもらいましたが
私が変わると信じてくれている人達
がいたことが
私が変われるという機会を
保っていてくれたのですね。

経験したからこそ
私は
今度は
それを
周りの誰かの変われるを
待つ事が出来る。

私がそうであったように
いつくるかも
わからない
その変われるを
待つことができる。

時として
怒りの感情が
それを阻むときがあるかも
しれません。
そんな時はこの話を思い出します。


ある
禅僧の話だそうです。
修行に来ていた外国人の修行僧が
朝食の白米に牛乳をかけて食べていた。
周りにいた修行僧は
和尚さんがきたら怒られるぞと
思ってみていたら和尚さんが通りがかる。
そしたら
それをみて大笑い。
次の日も外国の修行僧は
白米に牛乳を。
さすがに二日目は怒られるだろうと
周りが見ていましたが
和尚さんはまた大笑い。

他の修行僧が
和尚さんに問うてみた所
和尚さんは昨日の出来事をすっかり忘れていたとか。


まぁ禅の話なので
いろいろありますが
そんなもんで
怒りとは
他の場所にあるんじゃなくて
いつも私の中に在る。

在る場所がわかれば
それをどう活かすかは
自分次第ですものね。

さて
今日の夕陽も美しかった
この風景を未来に遺したいと思う
ってことなんだな
と思う夕暮れでした。
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記憶

2011年02月21日 | ヤスさん日記
帰ってきてからの掃除
及び
アトリエの改装に入っています。
作品写真が取れるように
押入れにライトをつけて
等々
以前からの課題を
こなしつつある月曜日。
ながさんは
いかがお過ごしでしたか。

記憶。
これはどうも私が実感として
在るのだけれども
経験したことはないはず。
でも
鮮明にその状況を
目の前に繰り広げることができる
ってことありませんか。

ここに立っていて
大勢の人をみていて
右手を伸ばし
手のひらを大きく開いている。

昨日は
とても科学的に物事を判断しよう
としている仲間から
水が持っている
物質のカタチを伝える力
という話を聞きました。
そして
空気中に含まれる水分
水蒸気の話も。

水が伝える
カタチの記憶。

記憶
実感の記憶。
今はこの記憶
というものを
じっくりと
噛み締めてみたいと思います。
それがなにを示し
私になにができるのか。

今この場所に
私がいるという現実が
とても大切ですものね。
そして何ができるのか
ですよね。
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ここに生きている

2011年02月20日 | ヤスさん日記
新潟にいる
って感じの気持ちいい朝です。
確かに新潟にいて
アトリエの机に座っていて
青空を見上げていて
太陽を浴びている。

ここでは
手が行き届
目が行き届
私の思考を広げることが
しやすい場所であり
困ったことがあれば
ご縁の輪が直ぐに繋がる場所なのです。

そんな大切な場所。

かの地で感じさせてもらった
大切なご縁を活かす
ひとつの方法は
私がこの地にしっかりと根付き
かの地からの来訪に備え
いつでも
なんでも
出来るだけのことが
できるように
準備をしてゆくということだな
と思う訳です。

私は今ここで生きている。
それを
今朝は強く感じます。

ここで生きていて
ここでのご縁を大切にすることに
よって
ここに来てくれた人たちが困った時に
一助になれる環境を
つくっておく。

さて
今日はまたそんな一日になります。
大切なご縁が広がる場所
になればいいな
と思う職人でした。

ながさん
新潟はほんといいお天気ですよ。
少しづつですが
整理をしながら
韓国話もさせてもらいますね。
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浄化

2011年02月19日 | ヤスさん日記


記憶


あったかい方々との出会いが
いつも
救ってくれるものです。

わたしの学んでいる論語
その基本は縁学
縁に学び
縁を活かされる
ということを再び学びました。

遠い記憶の中にある
鮮やかな色が
蘇ってきて
魂と身体を浄化してくれました。

鮮やかな建物達が教えてくれたものは
深くて
まだまだ深淵に佇んでいるようですが
静かに噛み締めてみたいと思います。
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