職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

信じる力

2011年09月30日 | ヤスさん日記
信じよう
と思うのです。

言葉の行き違いは
人それぞれの
言葉に込める意味で
行き違ってしまうもの。
私にはどうにもできないコト
でも
信じて待つこと
なのだと思うのです。
すぐにはゆけない場所で起こっている
心の情動が
穏やかな空間で包まれるように
と祈る雨の新潟です。

「初めに言葉ありき」
聞き慣れた言葉ですが
これに照らし合わせてみると
人間とは
初めから行き違いをする動物
なのかもしれません。
行き違いをしながらも
それに頼るしかない。

けれど
もしそこに
言霊と言われるような
ものが乗っているとしたら
また一味違う
人生が送れるのかもしれません。

「初めに言霊ありき」
想いや感覚に
寄り添っていると’
言葉では図りきれない情動が
そこに現出する
可能性は大きいと思うのです。

人間
何十になっても
子供は子供で
親は親
そこに依存や甘えや生活や
いい得ない感覚
また
抜け出せない感覚
があるとしても
私は信じたいと思うのです。

母親が赤ちゃんを産むときの
崇高な時間は
何にも変えがたい
本当のことでしょう。
痛みを一緒に味わうなんて
一心同体でなければ
成らないこと
でしょう。

光あるほうへ
信じる力を
と思う雨の新潟。

ながさん
今日の雨は寒さに向かっているよと
教えてくれている雨ですね。
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刃物と砥石

2011年09月29日 | ヤスさん日記
切磋琢磨といいますが
仕事で使う道具も
磨けば磨くほど
使ったとき
品物に輝きがますもの
なのです。
刃物は研げば研ぐほど
切った後の表面は
艶々と輝きだす。
きっと
人間もそうなのでしょうね。
自分を磨けば磨くほど
触れるものに
輝きを見いだすコトができる。
誰しも悩むコトはあるでしょう
けれど
それが刃物に対する砥石のようなもので。
自分磨きの方法のひとつ
そこから抜け出したときに
またひとつ輝きがます。

触れるもの全てに
輝きを見出せるの世界は
どんな世界なんだろう
と想像してみます。
そして
一歩でも近づけるように。

新月明けの静かな夜は
虫音に包まれる新潟。
ながさん
清廉な空気も
浄化によってもたらせられている
わけですよね。
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時は積み重なるか流れるか

2011年09月28日 | ヤスさん日記
時間って
積み重なるのでしょうか
流れるのでしょうか。
時々ふと
頭に浮かぶ疑問。

もしかしたら
時間は
目の前で起こっている出来事
は流れていて
それに対する経験は積み重なっている
のかもしれません。
そんな仮説。

出来事は
出来事としての意味は
持たなく
ただそれがあったという事実だけを
投影して
過ぎ去ってゆく。
私たちは
そんなことを感じて
同じ出来事を見ても
それぞれの経験の中で
感じたことを積み重ね
自己を形成してゆく。

日々同じコトの繰り替えし
そんな出来事だとしても
そこから得る経験は違ったもの
になるでしょう。
それには
それを受け取る受信機
としての私が
やっぱり要点に。

繰り返される
出来事。
それは自分の過去を
思考の中で飼っている
こととも似ているように思います。
繰り返し
繰り返し
思い出されるコト達。
人間はどうも
嫌なことばかりを覚えている
修正があるのはらしく
嬉しいことはすぐに忘却してしまう
らしいのですが。
その過去の出来事を繰り返し思い出す
中で
自分の経験が違う視点を与えてくれる
これが
過去を変えることもできる
という由縁だろうと。

過去の出来事は
変わらないけれども
それを受け取る自分は
変換するときがくる。
これは経験上の
確かな感覚です。

ながさん
今年も秋がきましたね。
そして冬がきて春がきて。
そんな季節の移り変わりの中で
私たちはなにを定着させていく
でしょうか。
今年の秋の色を
私も見つけたいと思います。
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みんなや多数

2011年09月27日 | ヤスさん日記
みんなが
とか
多数が
とか
言われた時に
ズキンとするのは
私だけでしょうか。
その言葉たちの背景にある
数の論理が
社会的少数派な私には
ズキンとくる
のかもしれません。
そんなズキンを感じながらも
包括的な回答を
と思う今日この頃。
ながさん
今日は秋晴れです。

多数派の論理が
いつも力を持つのは
当然のことなのですが
民主主義に於いても
多数派が
いつも正しいとは限らない
とは証明されているコト
と思います。

多勢に無勢が
勢い持って進んできたら
大きな落とし穴に落ちるコトも
あるわけで。

ただ
少数派が正しいとも
限らない。
多様な現代では
多数派でも
少数派でも
第三の道を見つける事が
大切なのだと思うのです。

そして
みんなが
多数が
と言った時の
みんなや
多数って
「全体のどれくらいなのだろう」
とも思うわけです。
実際聞いてみると
そんなに
みんなや
多数ではなない事も
多かったり。

それだけ
人の感覚は曖昧で
自分の意思に沿わせてしまう
ものなのでしょう。
私も然り
で。
だからこそ
ちょっと引いた自分との対話
が効いてくるのでしょう。

ながさん
秋の香りは土の香りです。
きのこやかぼちゃ
さつまいもなんか
楽しみじゃありませんか
ね。
そして
今日は新月ですよ。
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器の持つ力

2011年09月26日 | ヤスさん日記
こころのひっかかり。
これ向き合う事が
成長に繋がる
のかもしれません。
仕事でも
人間関係でも
その手法はいろいろで
いろいろを考える事が
成長
なのでしょうね。
秋の昼下がり
ながさんは
いかがお過ごしですか。

仕事でも
ずっとずっと
気になりつつ
まぁしょうがない
と思うコトに挑戦してみました。
しょうがない
って思い込む事によって
避けていた
のでしょう。

今までなら
1時間もかからずに
終わっている事が
早朝から深夜までかかりました。
けれど
その作業が出来る
という発見は
なにものにも代え難い。

本体は思う存分にやっているのだから付属品は
とか。
お客様とかコストとか考えると
とか。
とかとかの
逃げ道は沢山ありました。

けれども
私が追求すると明確にした
「器の持つ力」
という点に於いては
避ける事の出来ないコト
だったのです。

道具を作り
工程を逡巡し
試作を繰り返し。
でも
大切なのは
出来る
ということ。
出来る
ことがわかれば
時間を短縮する方法は
いくらでも考えられる
のが職人ですから。

最近
仲間が言った
「売れるのが本物」
について考えます。
それを聞いたのも
何かの縁。
現代が抱える問題の根底に
その応えはあるのだと思います。

「器の持つ力」
それを最大限発揮できるような
人生でありたいな
と思う職人なのでした。
追求するときの時間は
あっという間ですが
そのあっという間を
生活の中にも溶け込ませたいものです。
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安全基地

2011年09月25日 | ヤスさん日記
自己承認欲求
って誰にでもあるもの
だと思うのです。
ただ
それを認められるかどうか
って
大きな境目ですよね。
「人知らずしてうらみず」
孔子も偉大な人でしたから
偉大ゆえに
自己承認欲求があったのかもしれませんね。
だから
「人知らずしてうらみず」
その境地に抜け出したきっかけは
なんなんだったのでしょうか。

作品をつくるからには
自己承認欲求の
ひとつの表現だと。
そして
作品を作らないとしても
認めて欲しいという感覚は
常に
どこかに
あると思うのです。

認めて欲しいが
安らげる場所を見つけられたら
もしかしたら
抜け出せるひとつの方法
なのかなと思いました。

安全基地を作れば
いつでも
そこに
戻ってこれる。
認められようが
認められないでいようが
安心できる所は
絶対信頼が在るだろうと。

ちょっと
そんなことを思った朝です。
80%抜け出していても
あとの20%が
時として
大きな足枷になるコト。
そんな時は
視点を変えるきっかけを用意して
抜け出している自分に
意識を向けられたらな
と思う今日この頃です。

さて
秋晴れの新潟。
大好きな仕事に
取り掛かるとしますか。
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信じ抜くこと

2011年09月24日 | ヤスさん日記
「信じ抜くこと」
高校野球の球児達から
教えてもらったことです。
信じ抜くって
自分を信じられるかどうか
にかかってますよね。
目の前で起こっている出来事で
右往左往するのが人間の心
でも
そこからひとつ上で見ている自分が
しっかりとしていれば
惑うこともないでしょう。

「信じ抜くこと」
引き続き
論語に繋がり





の中の
ひとつでもあります。
思いやりのある信は
時に厳しくもあり
先々を見通している優しさ
なのでしょうね。

でも
ここでも
一個の人間。

自分の経験に照らし合わせた先々が
アドバイスした人の先々に
反映されるコトは稀で
ただ
経験を通しての
信じる
ということが
大切なのではないかと。

十人十色の経験を積む人生
自分の経験が
アドバイスになるコトは
本当に稀なんだと思うのです。
ただ
天の網は粗にして漏らさず

そのどんな経験でも
受け止めてくれる人が
いることが大切なのではないかと。

人間は可能性の塊。
決めつけることほど
可能性を壊してしまうことはない
でしょう。
以前あった彼と
今の彼では違う彼なのに
と思うわけです。

そして
自分の中の可能性にも
かけたいと思うのです。
それも
「信じ抜くこと」
ですね。

ながさん
今日はいかがお過ごしでしたか。
また
ゆっくりと
ですね。
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爽快感

2011年09月23日 | ヤスさん日記
いつ抜けるか
わからないものですね。
よしっ
と思った時に動きだしみる
掃除をして
洗濯をして
整理をして
やるべきことが
山積みの時だからこそ
身の回りのコトが大切
なのでしょうね。

掃除
洗濯
整理
お風呂
ご飯
睡眠
日々の生活で
後でと思いがちなコト。
それらが積み重なって
気が重たくなっているとしたら
それをやらずには抜け出せないのに
抜け脱せないままに
また
積もり積もってゆく
そんな連鎖があるのですね。

論語では礼節を尊びます。
曲解して
現代には伝わっているのかもしれませんが
読み通してみると
そんな負の輪廻から
抜け出すための方法も
書き込まれていることの
ひとつだと思うのです。






その土台に仁
思いやりがあるそうです。

仁を土台にした礼節。
みんなへもそうですが
自分に対しても
必要だな
と思う今日この頃です。

人間は忘却の生き物ですが
度々思い出しては
徒然に
そんなきっかけを与えてもらっている
職人でした。

今日は休日気分を感じて
その爽快感を
また
みなさんにお返ししたい
と思います。
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憂鬱の考察

2011年09月22日 | ヤスさん日記
新潟は雨が続きますが
東京はもう上がりましたかね。
憂鬱な気分
を感じた時
どうしようも無いとき
ってありますよね。
手に付かない
ってことが多くて
いろんな物を落としたり
時には壊してしまったりする時。
そんな時でも
「どうしてこんな気分になるんだろう」
ってきっかけを何処かに
持てればいいな
と。

空を見上げたら
新潟特有の曇り空。
「そうだ大気不安定で頭痛だから」
「大雨でジーンズも服も濡れたから」
そんな
「だから」や「たから」を
もう一度見直してみます。

「そうだ大気不安定で頭痛だから」
では
気分を鎮める様な
頭痛を和らげる様な
あったかくて
優しい飲み物を飲んでみよう。
とか
「大雨でジーンズも服も濡れたから」
だったら
直ぐに乾いていて心地よい
着替えてみよう。
オーガニックコットンなんて
最高だな
とか。

とか
とか。
お香を炊いてみるとか
静かな音楽を聞いてみるとか。
そんなきっかけに乗って
憂鬱をちょっと
違う視点で見れたらいいですね。

気分転換をしたら
では
何故
憂鬱はやってきたんだろう。
複合的要素を
ひとつひとつ
手にとってみて。
手にとったら
それを包み込んで
やるべきことはやり
許すべきは許し
休みが必要なら休み。

いやでも
休めないとき
動き続けるとき
ってのがあります。

そんな時は
どうしたらいいのか…。
人生の実験は続きますね。
そんな実験や探求こそが
人生の醍醐味でしょう。
それぞれの違う人生
それぞれに解決方法があって
それでいいんだな
と思う今日この頃です。

大雨は降ったり止んだり
を繰り返しながら
新潟を通過してゆくでしょう。
晴れたら
また
自転車でのちょこっと遠乗りでも
してみますか。
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かつ消えかつ結びて

2011年09月21日 | ヤスさん日記
「行く川のながれは絶えずして
   しかも本の水にあらず。
   よどみに浮かぶうたかたは
   かつ消えかつ結びて久しく
   とどまることなし。」
ながさん
秋の夜長はいかがお過ごしですか。
最近のどうも
鴨長明の方丈記が気になっていて
この夜長に読んでみようと思います。

炭火
秋刀魚
日本酒
月光
薫風
そのうち
今度の夜には
と思いつつ
まだ実現していない
楽しみ。

けど
そんな楽しみと思っていることが
瞼の裏にあれば
日々に潤いを与えてくれると思うのです。

朝起きた時や
寝る前のひととき
落ち込んだ時
元気を出したいとき
ほんの一瞬
そこにいるだけで
潤うところがある。

人間には
想像したことを
現実にしようというチカラが
あるらしいですね。
想像したことに
近づこうとする。
それは
良くも悪くも
そこに近づこうとする。

なれば
やっぱり
素敵な想像を繰り広げたいと
思うわけで。

しっとりとした一日。
今日はそんな想像に
耽ってみたいと思いまっす。
いつかの記憶が
笑顔に繋がるように。

ながさん
東京も台風で大変なようですが
お気を付けて。
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