職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

ブルームーン

2012年08月31日 | ヤスさん日記
満月だけに
はち切れてしまいそうな夜。
眠くて
なんとなく
いっぱいな夜。
今日はブルームーン
大きな月を見上げながら
未来を見つめてみます。

人間の生理と月の関係。
その情報のエネルギーの
大きさや強さが
私にどんな影響を与えるのか
感じつつ。

満月を過ぎたら
ナニカが変わる
その変わる兆しはどこにあるのか。

兎に角
今日は眠くて
眠くて。

ただひとつ
とっても大切な日だという事を
切実に感じながら。
今日はもうじき寝るとします。
眠りの中で
整理整頓される思考が
満月明けの私に叡智を
与えてくれるでしょうから。
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歴史上で変わったコト

2012年08月30日 | ヤスさん日記
行動原理

歴史に学んでいるのかもしれません。
日本人としての
美しさや想い。
それは
他と比較して云々
ということでもなく
今居る私が
どう受け止めて
どう活かしてゆくか
というところの
日本人としての行動原理
なのだな
と思う今日この頃。
ながさん
残暑って残暑も
今年位の残暑は
なかなかなない残暑ですよ。
そんな残暑も
まだまだ続きそうな残暑であります。

どこでどう変わったのか
日本人としての美徳というものが。
それは本当に比べて云々
ということでもなく。
でも
歴史のどこかで
変わっている。

それは
今まで無かったものが
突然出て来たというわけでもなく
大小のバランスが
どこかで変わったにすぎないのかも
しれませんが
確かに変わった事は事実のようであります。

いや
もしくは
注目している人々が
そうだから
なのだろうか
と考えたりもしますが
そもそも
その流れを持っている
日本の歴史を鑑みてみると
やはり
美しさや思想
というものは
どこかで大きく変わっているようです。

そんなことを思いながら
歴史小説を読む暑い工房。
暑さの中仕事ができないならば
早朝と晩に励めばいいですよ。
それが
自からを由とする
ってことですよね。
さて
明日に備えてみるとしますか。
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科学的とは

2012年08月29日 | ヤスさん日記
部屋の模様替え
自分の好きなモノに囲まれる。
静かな風に吹かれて
そこはかとなく
世間とは離れた気持ちになるような
そんな場所。

最近
科学的ってなんだろう
と考えます。
私は
「誰が何度やっても同じ現象が起こる。」
と解釈しております。
「誰が」
というところで
「誰が」が
いろいろな条件になりうるのでは
と思うのです。
「誰が」が
同じではなくて日々の私でも
変化をきたしているわけで。
科学的という仮説が
どんな風に表現できるか
と。

そう
そして科学的とは
90%以上が仮説で成り立っていて
あるとき
違った方向へベクトルが向いて
以前の立証とは
違う立証へと変化する時もあります。

そんな中
私は目の前で起こる事を
どんな風に相手に伝えればいいのか
と考えるわけです。
実感としてはある
それを
実感としてどう伝えられるのか。

そんなコトを
考えつつ
今日も鎚を振るう日々。
ものづくりとしての
エネルギーを感じる器が
私の部屋にも沢山在って
それらに触れる事で
力を頂いておりますよ。
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歴史と学び

2012年08月28日 | ヤスさん日記
歴史を学ぶ
歴史に学ぶ
って
今の私が立っている場所を
鑑みるのに
とっても大切なコト
ですよね。
最近読み込んでいる
「坂の上の雲」
今まで読み込んだ
幕末や明治維新
それらを抜けて
近代へと踏み込んでゆく
日本の姿が
見えてきました。
何故
今の日本があるのか
このあたりの時代は
とても大きく深く
関わっているのですものね。
幕末と明治維新から今
この抜け落ちていた場所を
しっかりと学びたいな
と思う今日この頃です。

幕末や明治維新
沢山の方々が倒れてゆきました。
そして
残った人達が繰り広げた世界。

意思ってものを
どう伝えてゆくのか
って
本当に大変なことなのだと思います。

この人達の精神性なら
大丈夫なものも
その後の人達の精神性で
運用が違ってくる。
憲法や法律も
そんなところがあるのだと思うのです。

流れを知らなければ
当初の背景を知らなければ
そんな運用が
国を更に大変な方向へと
導いていくのでしょうね。

さて
その時代に輝いている正岡子規
あの時代の彼の功績は
俳句や歌のみに非ず
その姿勢によるところも
大きそうですね。

働けるありがたさ
私も仕事に戻るとしますか。
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台所の大掃除

2012年08月27日 | ヤスさん日記
台所の大掃除は
水屋から
戸棚から
冷蔵庫から
シンクから
沢山のところの
今の私に必要なモノを
発見させてくれます。
今までは
沢山に埋もれていた
キラキラ光る美しいモノ達。
今日からは
ひとつひとつを磨き上げて
大切ないつかに繋げたいな
と思う今日この頃。
ながさん
東京の残暑はいかがですか。

いつかをイメージして
そこに描かれている世界と
今の私を照らし合わせてみます。

いつか創るモノ
いつか住む空間
いつか話す言葉
いつか触れ合う事
いつか座る場所
いつか感じる感覚
それらを
今に引き付けて
できるだけのいつかの私に
近づけてみます。

その時に
今から使い続けるモノ達が
どんな表情をしているのか
そんなコトを想いながら。

佳きモノに触れていると
ウキウキと日々を過ごせるものです。
使い勝手のいいモノに囲まれてると
家事も楽しくなるものです。
そんな大掃除。

さて
もうひとつ
やるとしますか。
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背水の陣

2012年08月26日 | ヤスさん日記
背水の陣
って
どんな時に敷くのか
って
考えます。
今新潟でも起こっている
みんなで決めるという事
それも
一種の背水の陣
なのだと思うのです。
みんなで決めた事に賛同する
と。
私が背水の陣を敷くくらいの覚悟
をする時って
どんなときなのかな
と思う今日この頃
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

その共同代表との
メッセージのやり取りで
明確に成った事で
すっきりとした感がありました。
「どちらの結果が出ても支持すると」
事柄の性質上
そうであることは当然なのですが
それを聞いた時に
とってもすっきりとしたのです。

私は
どんな少数派であっても
自分の信念の中で貫くべきものは
貫きたいと思っているのですが
それだけの信念をもって
背水の陣で今を迎えている人が
いるのだなと。

信念を貫く為の背水の陣。
その強さは
幾ばくのものでしょうか。
またその逆の立場になった時の
心情とは幾ばくのものでしょうか。

そんな立場を確認して
すっきりと
脱原発についての行動を
続けてゆきたいな
と思う職人なのでした。

さて
本日yasutacafe実店舗も最終日。
ゆっくりとした時間を
今日も創りたいと思います。
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新潟らしからざる夏

2012年08月25日 | ヤスさん日記
終わりの始まり
始まりの終わり
よく言われることですが
そんな気分を感じつつ
でも
先々に見える素敵なコト達を
感じながら居る今日この頃。
新潟らしい夏から
新潟らしからざる夏へ。
この暑さが行く頃には
美味しい秋刀魚が食べれたらいいな
と。

静かに静かに過ぎてゆく夏。
花火や
お祭りや
個展や
旅や
そんなコトを感じつつも
静かに過ぎてゆく夏。

先々って
自分が詳細に見れば見るほど
近づいてくるモノなのだと思うのです。
詳細に想像して
体感するほど。
実際に体験している場面が
私をそこに導いてくれるそんな想像力。

私が望むものがそこにあって
人間として纏っている身体があって
日々の時間があって。
それらが純粋に混じり合って
混濁を絞り出して
新しい色を見せる
そんな気がします。

どれも綺麗ではないかもしれないけれど
美しさは
必ずその中にあるのだろうと。

夏は大汗をかいて
デトックスして
秋へ向う季節です。
東京は大汗をかいているでしょうか。
私も週明けからの大汗の中から
きらりと光る作品を創り上げてみます。
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自らを由とする

2012年08月24日 | ヤスさん日記
自らを由する
ってコト
そこからの始まり。
どこから始まって
どこで終わるのか
そこを考えた時の
ひとつの答え。
ベルベル人の言語の最後の文字は
人間が解放されているって象形文字
らしいです。
人は自由に始まり
自由に終わるのかもしれません。
それを遮ろうとするモノゴトが
自分を苦しめるなら
それを由とするように
向けてゆきたいな
と思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

自らを由とする。
怒りや
悲しみや
苦しみや
それを感じるってのも
人間としてあるのだと思うのです。
そう
あるのだと思うってのが
由に向う最初の行為で
それによって自分を観察できる
のかもしれません。

どんな事に
怒りや
悲しみや
苦しみや
そんなことを感じるのか。
そして
そんなことを感じる自分すら
愛おしく思えるようになる
のかもしれません。

さて
cafeもあと2日。
その2日の感情を楽しみたいな
と思う職人なのでした。
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みんなの選択

2012年08月23日 | ヤスさん日記
自由な選択とみんなの選択。
しばらく前から考える
お題目のひとつ。
意志を表明する事と
みんなで決める事が
どのあたりで一致するのか否か。
みんなで決めるという事が
どれほどのリスクを孕み
その中で活かされる自分の意志は
どれほどのものか
とか
そんなコトを考えます。

例えば
みんなの話し合いの中で決まった
みんなの意見なら
自分の意見としても
持てるのだと思うのです。
けど
多数決で決まった時の
みんなの意見とは
自分の意志とは反対の意見も
私の意見として
表明せざるをえない状況に
なってしまうだろうなと思うのです。

みんなの選択。
少数派と言われる人達が
真っ当な事を主張しているとき
どのような意見の取り上げ方があるのだろう
とかも考えるわけです。
「鶏口となるも牛後となる勿れ」
リーダーとしての決定権の重さも
感じたり。

兎に角
目の前のことも大切にしながらも
見通しをしっかり立てられる大人の姿で
居たいのだと思う職人なのでありました。

ながさん
残暑と言われておりますが
新潟のまとわりつくような暑さは
まだまだ先の長いようです。
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区分すること

2012年08月22日 | ヤスさん日記
銅板に親しむ。
帰って来てからの
仕事の充実加減は
やはり
しばらく離れていた
銅板への愛着が
そうさせるのでしょうか。
そして
旅の中での充実した時間が
私を成長させてくれ
新しい世界をみせてくれている
のでしょうか。
きっと
どちらも正しくて
そんないろいろの中で
私も成長しているのだな
と思う今日この頃。
ながさん
こちらは凄い雷です。

区分分けする必要も無く
目の前で起こっていたり
自分の中で湧き出て来たり
するものが
本物なのだなと感じます。

それを分析する上で
区分は出来上がるのかもしれませんが
区分が先にあって
それに当て嵌めているのではない。
そんな後先。

安心を得る為に
当て嵌めれば簡単
なのかもしれませんが
それは
簡単なだけに
面白みの無い関係性に
成ってしまうのかもしれません。

どうなんだろう
どうすればいいんだろう
あちらから見たり
こちらから見たり
そんなコトをしてみたいな
と思う職人なのでした。

さて
この銅板に親しみを感じる想いを
どうやって刻み込むか。
そう
考える間もなく刻み込まれているもの
ですね。
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