職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

日の出前

2011年11月30日 | ヤスさん日記
日の出前の一番の暗さ
一番暗い闇だからこそ
観えるコトがある様に思ます。
暗闇で見えるモノは
光を通してでは感じ得ないモノ
そこで淘汰されていく感覚が
時として必要なのかもしれませんね。
そらそろ冬至の声も
聞こえてくるでしょうね。

淘汰される感覚は
光が注いでいる時には
見えないモノが
逆に暗闇で見えてくる為に
必要なのコト。
世間でも同じかもしれませんね。
暗闇にいる時ほど
必要にしているや
必要にされているが
見えてくる。

光が無くても
繋がりを感じられるというコトは
人生に於いて
宝物ですよね。
宝物は目を瞑った時でも
光が当たらない時でも
必ず
感じられるモノです。

目からは多くの情報が与えられます。
与えられすぎた時には
目を閉じてみる。
閉じてみると
今まで見えなかったモノが
見えてくる。
花を香ってみるときなんか
そうですよね。

朝陽前の一番暗い時間。
それを過ぎれば
必ず太陽は昇ってきます。
それは
必ずですね。
だったら
その一番暗い時間も
感じ切ってみるのもいいな
と思う今日この頃です。

さて
師走。
ながさんも
走りますか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特別

2011年11月29日 | ヤスさん日記
特別なコトは
今すでにここに在るんだな
と思う今日この頃。
未来に在るモノは
今ここに在るはずで
今ここにないモノは
未来にも無いのではないかと。

特別を
信じるかどうか
よりも
特別が獲得されるモノか
特別を磨きあげるモノか
の違いなのかもしれません。

自分の中に特別を見つけられていないと
他の人の特別も認められない
のかもしれません。
私の中での発見は
優しくなるための一歩。
自分に見つけられないモノを
持っている人をみたら
きっと
違和感を感じるだろうなと。

特別って
特別なコトではなくて
そう思う自分がいるからこそ
特別なわけで。
連続する今
特別と思わなければ
いつ特別になるというのでしょう。

これができたら
特別になる
というわけでもないでしょうし。

そんな
特別を考えてみました。
いつも見えないところにあるので
見えないと思ってしまうコトもある
かもしれませんが
見えないからこそ
かんじられるのだろうと思います。

ながさん
新潟は天気ですよ。
今週末の東京も晴れるでしょうかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦手なコト

2011年11月28日 | ヤスさん日記
あと1ヶ月と数日は
自分の苦手としているコトやモノに
もっともっと
突っ込んでゆこうと思います。
その苦手意識が
どこから生まれてくるのか
実感してみようと思うのです。
実感してみれば
もしかしたら
意識の変化を感じられるかもしれない
と思う今日この頃。
ながさん
東京もクリスマスイルミネーションの季節
でしょうね。

苦手や
気が重い
って
ほんとどこから来るのでしょうね。
きっと
過去の経験からきている
のでしょうけど。
過去の経験を活かすのが
今なら
やっぱり未来に向かって
一歩踏み出してみようと思うのです。

今まで
ではなくて
今から
何をするのか
どんなコトを信じるのか
それらを明確にできたらな
と。

ずっとずっと願っている
自分で考えて
自分で判断できて
自分で行動できる
という自分に
この1ヶ月と数日で
もっともっと近づければなと。

大変なときこそ
大変な道を選んでみると
自分の生域速度が変わって来るものです。
苦手なモノたちを見る目を
いろんな方向から持ってみて
動けば変わるモノでしょう。

昨日は福島で
体調を奇跡的に回復された方にお会いしました。
奇跡的って
そんな簡単なコトじゃないですが
きっと
信じる気持ちがそうさせてくれたのだろう
と思いました。
信じるチカラを
信じてみようと思います。

さて
そんな師走直前。
今週末はよろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余計なコトやモノ

2011年11月27日 | ヤスさん日記
大橋保隆としての
いろんな出来事。
余計なコトやモノを
削り落としていったら
なにが残るのでしょうね。
どうも
余計なコトやモノを
削り落としていったら
なにも残らないような気がするな
と思う今日この頃。
ながさん
新潟は快晴です。

例えば
仕事以外の事に
興味が無くなってしまったら
アトリエに籠りっきり
だとしたら
どんなモノを作るのでしょう。

例えば
今の時代
ただただ壁に向って
座禅を組んでいたら
なにが見えるのでしょう。

仕事以外の事柄。
何故それをするのか
それをせずとも維持はできるでしょう
けれども発展はない
のだろうな
と思うわけです。


この地球上で起こっている事に
興味を失ってしまったら
やるべきコトを
後回しにしてしまったら。
きっと
創り上げるモノの輝きも
失われてしまう
のだろうなと思うわけです。

前の世代の生き方と
今の世代の生き方が
違ってくるのは当然のコトで。
前世代を受け止めつつ
次に発展してゆきたいな
と思うのです。

地域で起こっている事
日本で起こっている事
世界で起こっている事
宇宙で起こっている事
までも
なにか私にインスピレーションを
与えてくれるものが
行動の中から生まれるんだな
と。

さて
再びの福島。
今回はどんな色を見せてくれるのか
しっかりと感じてこようと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑草という草は無い

2011年11月26日 | ヤスさん日記
久しぶりの新潟市街は
クリスマス一色ですね。



年の瀬を感じさせてくれる色を楽しみながら
少しばかりの時間を楽しんでみようと思います。

以前はよく来ていた市街
やっぱり
街中を歩いていると
新しいデザインや
新しい息吹を感じるものです。

そして
これをこんな風に使ったら
これをこんな人が持ったら
これを家の中で活かすには
そんな想像が膨らんで
新しい創造に繋がってゆきます。

もちろん
それは一部の品物や風景なのですが
「雑草という草は無い」と陛下も仰ってたように
この品物や風景も
ひとつひとつが
なにがしかの力を使って
作られているわけですよね。

ただし
それが響くかどうか。

心に響く物を手元に置きたい
と思うのも
人間の当然の欲求なのでしょうね。
そして
大切な人に身につけてもらったり
一緒に風景に溶け込みたい
と思うものです。

そんなことを思いながらの新潟市街。
ながさん
今年もあと1ヶ月ちょっと
いろいろあった2011年ですが
今年を味わい尽くしましょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解釈

2011年11月25日 | ヤスさん日記
「はぐれる」
私はよく逸れ者と言われますが
そのはぐれ者に
セレンディピティを感じました
漢字変換の際に。
はぐれ者って
なにかおかしなイメージもありましたが
「はぐれる」とは
「逸れる」とも書きます。
逸するとは
逸品にも通じる言葉。
逸れるとは
新しいモノゴトを始めるコトだと
解しました。
この勝手な解釈や
根拠のない自信が
今の私を支える大きな一つ
なのだと思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

セレンディピティ。
わたしの中の意味は
出会ったモノを幸せに変換できる才能
となりますが
必然や
偶然を幸福に思うことや
外国語だけに
いろんな解釈があるでしょう。

そう
この言葉自体が
解釈自体で
様々な意味合いを持つもの
かもしれませんね。

人生に於いても
自分なりの解釈で自分が活きる
なら
それは大きな意味を持ちます。
誰かを傷つけたり
誰かが不幸になるような
勝手な解釈ではなく
自分が幸せになれるための
よりよき解釈です。

間違いや失敗
と言われる中にも
セレンディピティはあります。
それを
どう活かすかによって
間違いや失敗
というものも糧になるでしょう。

さて
そんな勘違い人生も
来年からは更に新しいコトに
挑戦してみようと思います。
父親がずっと培ってきた技術を
学び始める時期がきたのかもしれません。
あと1ヶ月とちょっと
今年中にも準備できるコトを
しっかりとやり遂げよう
と思う職人なのでした。
ながさん
12月寄せてもらうとすね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雌伏の時

2011年11月24日 | ヤスさん日記
まだまだなんですよね。
本当にまだまだ雌伏の時は続きます。
今やるべき事を
しっかりとやっておかなければ。
まだまだ
やるべき事は沢山あります。
来年からの職人重点項目
「道具づくりの充実」
いろいろな試作と
新しい作品の中で
この道具づくりのというものを
もっとより良きものに
してゆきたいと思います。
職人としては
アトリエに篭りっきりな私も
もっと外に出て
いろいろな他業種工場との交流をもってみよう
と思う今日この頃です。
自分だけでは出来ない限界を
超えてみるきっかけとします。

アトリエで
煮詰まったとき
カフェは視点を変えさせてくれます。
なぜ
出来ないのか
を考えに考えて
試しに試しても
答えができなとき。
それらを意識の中に放り込んで
ちょっと横に置いておく事ができる時間。
そうすると
ふとした時に
新しいアイディアが湧いてきて
それが解になる事が
よくあります。

目を凝らしていると
見えなくなってしまうもの
それを見せてくれる時間
なのかもしれませんね。

まだまだ
修行の時間を取らなければ
それと同時に
身心の健康も考えなければ
と思う職人なのでした。
新しいことをやろうとしたら
新しいシステムが必要なコトは当然。
生活を改善しながら
システムづくりをしつゆこうと思います。

ながさん
新潟のアトリエは
雨音が心地よいですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イメージの特訓

2011年11月23日 | ヤスさん日記
イメージって大事ですよね。
特にものづくりなら
最終イメージが無ければ
ものを創り出すことはできない
わけですから
そのあたりは重々日々感じること
であります。
そして
人生も
そのイメージができることによって
そこに向かってゆくことができる
そんな人生のイメージを
しっかり持ちたいな
と思う今日この頃です。

韓国歴史ドラマを観て
感じることは
その人間模様の中で
私はあんな風な感じで
もっとこんな風な感じになりたい
と感じる人が
どんな人なんだろうか
と思うのです。
それは主人公でなくても
周りにいろんな人が出てきて
その中で自分の好みにあっていて
またそれをより自分なりの
素敵イメージを作り上げる。
その素材が
たくさんいるから
歴史ドラマに溶け込んでいる
のかもしれません。

零から未来イメージを創ることもいいですし
過去からのイメージをより良く作り上げることもいいですし
そんなイメージの特訓に勤しんでいる
今日この頃です。

紆余曲折
人なら感情上下左右もあるもの
また
一人で生きているわけでもなく
沢山の人とのご縁の中で
生かされているもの。
そんなそれぞれの人間模様が
生きているという証でもあるでしょう。
その証が折り重なって
この世の美しさを
際立ったせているのでしょうから。

カンフー映画を見たら
自分が強くなったと勘違いする
なんてよくあることですが
その勘違いを元の自分に合わせるか
それともその勘違いに自分を合わせてゆくか
その違いもありますよね。

さてチュモン81話の人間模様も
5分の1を過ぎました。
人は今直ぐにでも変われる
ただその変わった心と姿を
認められるまでの時間を
しっかりと過ごせるかどうか
ですよね。

決めたからには進むべきでしょう。
進むなら気負わず粛々と。

さて
暖かさに包まれた新潟の祝日。
夜はあったかい布団にくるまるとします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普通は

2011年11月22日 | ヤスさん日記
「普通は」
ってご意見をいただくことが
あるわけですが
この私には
とってもそぐわない言葉の意味を
考えてもみるわけです。
「普通」ってのの
大切さはわかります。
だから
普通じゃないからの
普通の発信もいいんじゃないかな
と思う今日この頃です。
ながさん
こちらは鍋が美味しい季節ですよ。

普通ですよね普通。
普通はこうでしょ
って言われると
その対にあるってことにこそ
好機があると思うですよね。
ただ人間は恒常的で
出るものを拒むものらしい
そこから脱する力は
どんな力が良いのかな
と考えます。

普通は普通でいいのです。
ただ
誰かが決めたルールだということを
知りながらそのままでいるのならいいのです。
ただ
知らずにそのルールに乗っているとしたら
一度その足下を見直す機会があってもいいだろうなと。

そうですね。
普通や
普通じゃないが
問題なのではなくて
そこに自分の意志があるのかどうか
ということなのでしょう。
意志があれば
どんな世界にいても
貫けるのだと思います。

人間は偏ってしまうもの
でしょうから
時々上下左右を見渡してあげる時間が
必要ですね。
さて
今日はそんな見渡してあげる時間を
しっかりつくってあげようと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱蒙

2011年11月21日 | ヤスさん日記
안명하세요
新潟はみぞれ模様
毎年の如く
一回目の雪が
降ろうとしているようです。
一回降って
しばらくしてからの本降り
この巡りは
きっと今年も
やってきてくれるのでしょう。

最近
韓国の歴史ドラマを観る機会が増えました。
朱蒙
高句麗を建国した王のお話。
1話一時間で81話あるらしいですが
時間がつくれれば
すぐにもみてしまえそうな勢いです。

なぜこんなに観たいと思うのか。
それを考察してみましたが
ドラマに出てくる
装飾品の美しさ
着物の色合い
そんな異文化に惹かれている
のかもしれません。

いや
それもあるのですが
それ以上になにか

みなければならない
心の奥から突き上げる
なにかがあるようなのです。

人間模様
歴史の回天

変革の時に於ける
人間の本性は
どこにあるのか。
そんなものを
じっくりと学んでみたいと思います。
きっと
81話が終わる頃には
はっきりとしたナニカをつかめるはず
と思う今日この頃です。

中学時代はテレビゲームを
毎日16時間していた時期もありましたが
集中力があったから16時間できたのか
16時間していたから集中力ができたのか。
どちらにしても
そんな集中力が今の職人仕事に
必要なのはいうまでもありませんが
ありがたいことです。

나 는 행복하다
私が私で在り
日々幸せであることに感謝して
今日も過ごします。
ながさんも
あったかくお過ごし下さいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする