職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

日本人として

2011年06月30日 | ヤスさん日記
所属する
というコトを考えます。
日本人であり
新潟県人であり
燕三条人であり
家族がいて
今の職業があり。
全ての事に
所属している。

全体の中の個であり
個の集団で全体を作っている
わけですが
そこに所属している風
というのでしょうか。
国風があり
社風があるように

があるのだと思うのです。

さて。

一息ついて
今の私が所属している
日本。
3月11日以来
いろんな情報が飛び交う中で
何を信じるのか
を問われているのだと思います。

ナニカがおかしいような世の中で
いや
実際におかしくなっている世の中で
今までと同じような生活をしている。
空から降る雨はもう綺麗じゃなく
外遊びさえできないような状況で
それでも
と思えるのはどこかに希望があるから
だと思うのです。

日本人として

日本人と胸を張って
言い切れる人が
どれくらいいるのでしょうか。

金で人の生命を
軽々しく扱ってしまうような
目の前のコトで
汲々としてしまうような
そんな世の中で。

変化の時

創らなければ
なりません。
未来の日本人が
日本人として
胸を張れる
そんな世の中になるように。

人が人として扱われるような
そんな世の中にしよう
と思う今日この頃なのです。

ながさん
こちらは曇り空ですよ。
人間が本来持っているあったかみは
まだ失っていないですよね。
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一杯のグラスの存在

2011年06月29日 | ヤスさん日記
何もしゃべらずとも
そこに存在する
ということもあるもので。
会津若松の夜景と
一杯のグラス。
沢山のプレゼントを残して
天に帰ったその人も
なにも言わずとも
伝えてくれるものはあるものです。

存在というものを考えます。
存する
在する
この地球の裏側にいる人々を
私は見たときもないのに
そこに居ると認識できる。
それは
なぜなのでしょう。

また
今まで見知って行った人が
どこか他の国に行ったとして
その国に居るということを
どうやって認識できるのでしょう。

電話
mail
手紙
さて
それだけで
存在している
ということを
認識できているのでしょうか。

また逆も然りで。
電話やmailや手紙
がなければ
そこに存在するだろうと
認識することは
できないのでしょうか。

そんなことを考える夜に
一杯のグラスに乾杯。
声は聞こえませんが
きっと
ですよね。
ながさん
福島には青空が
見えないものも
見えるものも
福島の青い空は包み込んでくれてます。
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これが私の優しさです

2011年06月28日 | ヤスさん日記
新しい発見。
人生に於いて芸術は
多様性を認めえる
ひとつの大きな要因になる
ということ。

ピカソもいれば
劉生もいれば
モネもドガも
子供達の絵だって。

ひとつの事象の捉え方
誰一人として
同じモノはない。
そして
間違いではない。

それを認められる。
ってことが
大きな大きな要因
ですよね。

誰一人
どれひとつとっても
間違いではない。

ただ
心地よさを
感じられる輪っかを
確かめ合っているのでは
ないかと。
そのひとつの
ものさし。

大切な芸術という
ものさしは
私の大きな柱なのだな
と。

「窓の外の若葉について考えていいですか
 そのむこうの青空について考えても?
 永遠と虚無について考えていいですか
 あなたが死にかけているときに

 あなたが死にかけているときに
 あなたについて考えないでいいですか
 あなたから遠く遠くはなれて
 生きている恋人のことを考えても?

 それがあなたを考えることにつながる
 とそう信じてもいいですか
 それほど強くなっていいですか
 あなたのおかげで」
 谷川俊太郎/これが私の優しさです

大切な人が
天に召されました。
私の中の大切さが
天に繋がりますように。

尾崎豊 街路樹
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上杉鷹山

2011年06月27日 | ヤスさん日記
そこに可能性があるのなら

可能性を探るコトは大切だな
と。
なんせ
この世界は可能性に満ちていて
それを見つけられるかどうか
なのだと思います。

「為せば成る
   為さねば成らぬ何事も
   成らぬは人の為さぬなりけり」
米沢藩中興の祖上杉鷹山の言葉です。

今日はそんな米沢にて
生きるということを
深く深く感じ考えます。

雨が降る上杉神社は
早朝の静けさに包まれ
静かに静かに
そこに
在ってくれます。

何も語らず
ただそこに在るということが
本当にありがたいな
と。

いろんなことを
受け止めてくれる場所。
そこに希望を託す。
託すことで
再確認しているのかもしれませんね。

さて
深い一日の始まりは
本当に本当に静かな始まり
です。
ながさんも
素敵な一日を。
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いのちのためにいのちをかける

2011年06月26日 | ヤスさん日記
「いのちのために
   いのちをかける」
吉村正先生の
自然分娩のお話をお聞きしました。
母親は子供のために
いのちをかける。
では
父親は
という問いかけ。

いのちをかける
って
大げさなことではなく
出会いの中で
そんな人に巡り会える
ということなのだ
と思うわけです。

守る
という意識の中で
そう思わせてくれる
ヒトやコトと出会える
そこまで
意識が上がってゆく
ということが
幸せのだろうな
と。

そう
思えること
思わせてもらえること
互いに。

男子として
いのちをかけられるヒトを
探している
と共に
自分がかけられるヒトに成る
ということが
同時ベクトルで進んでいる
のでしょうね。

そんなことを
考える
日曜の朝です。
さて
一歩一歩できること
今日もやりますか。
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祈りになる

2011年06月25日 | ヤスさん日記
ひとつひとつが
祈りになる
のだな
と思う今日この頃。
夏至が過ぎても昼は長い
そして昼の長さは
朝の早さでもあるのですよね。
日の出とともに
そんな生活が
日本人の暦
というものを
一層深くしてくれるようです。

さて
29日は久しぶりに福島に
見知った顔や新しい顔
そんな出会いがあるだろう中で
3月11日から3カ月と半分。

未だに未だ
ということ。
そこでも
仲間は動き続けている
ということ。
本来なら
鼓腹撃壌し
自然の中を駆け回る
そんな姿が似合う
彼らが
都会と被災地を回りづけている。

私はここで何ができるのだろう
と問い直してみます。
もちろん
やれることや
やりたいこと
はあるとして。
やっているとしても
更に
という気持ちは
あるもので。

休み
なんて言葉を忘れたように
動き続けている仲間の声に
耳を傾けながらの
現状生活。
本当になにができるんだろう。

でもですね。
今朝
coffeeを挽きながら
はっきりとわかったのは
ものを創る
ひとつひとつが祈りになる。
日々の生活
ひとつひとつが祈りになる。
それを深められる
ということなんです。

ひとつひとつが
祈りになる。

集中力を拡散せずに
一点一点を繋げてゆけば
それができる
ということ。

ながさん
そちらはいかがですか。
こちらは
雨があがったようです。
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キャンドルの灯り

2011年06月24日 | ヤスさん日記
「きっかけになるのは
   きっと今夜だろう」
 そんなコトを考えながらの時間は
キャンドルの炎とともに
優しく過ぎてゆきます。
夏至というきっかけが
イツカの優しさに繋がりますように
と思う今日この頃です。

孤独
ということについて
感じてみます。
そうそう
どこかで孤独を求めて
そして
ぬくもりを求めていて
その矛盾する中で
程よい場所をみつけて
いいんだよ
ってことなのかもしれません。

キャンドルは
なにか
その辺りを掘り起こして
また
いやしてくれるようです。

仄かに明るくて
他は見えにくくて
だけど
あったかくて
でも
ナニカ繋がりを感じられる。

ひっそりと佇むには
丁度良い灯り。

さて
今夜のキャンドルの灯りは
なにをみせてくれるでしょうか。
ながさん
梅雨らしい時間がすぎておりますよ。
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優しい言葉

2011年06月23日 | ヤスさん日記
優しい言葉が紡がれる朝。
言葉
というものを再認識
させてもらいました。
そこにのる言葉にしえない
想いとか
表情とか
余韻とか。
言霊と言われるもの
なのかもしれませんが
そこに
優しさが在るってのが
とってもありがたく
それを
感じられるコトを
今までの人生に感謝だな
と思う雨の新潟です。

行間とか
選ぶ文字とか
記号以上の
ナニカを共有できる。
または
新しい発見ができる。
そんな言葉達が
好きなんだなと。

同じ言葉でも
いろんな切り口があって
そこから
ドラマは生まれるのですが
師匠がですね
本の短い言葉でも
私を信じる
ということを伝えてくれる
わけですよ。
彫金というものを
次世代に繋げるという使命や
この世の中でも
生きていくということを。

毎朝毎朝
生を受けて
今日こそは
と思ったり
今日も
と思ったり。
そんな繰り返しのなかでも
ひとつひとつステップを
踏んで行くのだろうな
と思う今日この頃です。

ながさん
雨音が激しいアトリエに籠るのも
いいものです。
今日のデザインが
明日に繋がりますように。
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夏至

2011年06月22日 | ヤスさん日記
夏至
ですね。
意識し出してから
何回目の夏至でしょうか。
また
新たな場所に転ずる
大切な時。

ナウシカについて
再び考えます。
彼女が
どんな位置にいるのか。
光だけを見ている人でもなく
ただ
沢山の人に必要とされ
多くを包み込むような
そんな存在。

忌嫌われる者達も
しっかりとした眼で
見つめられる。

アニメの主人公には
弱さが必ずあるらしいのですが
彼女の弱さは
優しさでもあるのでしょうね。

長所でもあり
弱さでもある
けれど
そこの
関連関係が
微細ではありますが
大きく見えないものの
力を受け取る
ということなのかもしれません。

さて
今日の夏至をきっかけに
どんな世界に転じるのか。
ながさん
東京も今夜は
少しばかり静かな夜に
なるといいですね。
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Yes I do my best.

2011年06月21日 | ヤスさん日記
Yes I do my best.
そんな空が広がる
新潟です。
青い空はどこまでも
続くようで
でも
私が切り取っているこの空は
間違いなく
ここにあるのだな
と思う今日この頃です。

自分の中の精一杯
をやってみようと思うのです。
周りからの影響
というモノの前に
私自身がどのように
動き始めるのか。

bestな選択は
いつかのどこかに
繋がっていて
人智を越えた所での
判断は
誰にも手にできない
ものかもしれません。

だからこそ
自分の中での精一杯を
生きるのだろうな
と。

ながさん
いつか
いつか
いつか
いつかに繋がるように
今日もこの青空の下で
私はいきておりますよ。
ものづくり大橋保隆は
沢山の先達の愛情に包まれ
今日も鎚を振るいます。
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