職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

一年の計は大晦日にもあり

2008年12月31日 | ヤスさん日記
ゆったりとした時間
穏やかな海と
すべてが落ち着いて
重なる時間
それが小豆島には
流れているようです。

飾らなくても
そこに在る時間は
満ち足りる
という言葉が
ぴったりです。

今日もありがとうございました。
今年も本当にありがとうございました。
そして
来年もよろしくお願いします。

一年の計は大晦日にもあり
今に満ち足りること
それがきっと
今年の全てをあらわしているようです。

明日の原点も
きっと素晴らしい
次の一年も
きっと素敵な
そんな一日になるな
と想う職人なのでした。

ほんとうにみなさん
ありがとうございます。
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桃色がかったオレンジ

2008年12月30日 | ヤスさん日記
太陽が淡い桃色を見せてくれる朝
そうか
ここは太平洋なんだ
と朝陽の柔らかさに感動を。
初の海から登るそれは
私のこころも柔らかくしてくれ
今日一日の始まりが
とても爽やかでもあります。

土地土地の香り
東の方では元町、中華街
といえば横浜を想い出しますが
ここは神戸
東とはまた違った空気を楽しませてくれます。

明石海峡
淡路島
レンガの工場群
姫路城
瀬戸の島々

電車での旅の醍醐味
古にここに住んでいた人に想いを馳せ
私がもし戦国時代に産まれていたら
この土地で生きていたとしたら
どんな風景を観ていたのだろうかなと。

新潟春日山の謙信が
見晴らしていた越後平野と
小高い山と海に挟まれた
この土地の武将が見晴らしていた海。
この日本という中にも在る
これだけのいろんな風景
多様さの中にも
変わらないものは
ここにそれが在るという
存在なのかもしれません。

「袖触れ合うも他生の縁」
ここで生活している人たちの空気
それに触れられることがありがたいな
と思う今日この頃でです。
海焼けしたおじいちゃん
皺に刻まれている深みが
とてもきらきらと光っている瀬戸内です。

桃色かかったオレンジの
その光が
この穏やかな海のもと
いろんな生活を包み育んでくれている
のでしょうね。
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スカッとした空

2008年12月29日 | ヤスさん日記
今日の新潟も大掃除日和が続きます。
朝陽のまぶしいスカッとした空は
今日という日の旅立ちを
祝福してくれているようです。

http://jp.youtube.com/watch?v=rQ00oiN12V8&feature=related

こころが動く時
そのタイミングが
どこで訪れてくれるのか
本当にわからないものです。
ただただ私の身体を使い
この世の中の為に
どうやって表現すればと
考えていた日々。

ひとりの身軽さで
どこまで飛んでみようかという
いつかが
大切な人との時間で
羽を広げられるようになる
今。
その表現方法は
全く違うものですが
あたたかさの育みが
今の時代を
きっと
穏やかにしてくれるのだなと。

空港に向かう高速バス
オレンジがが差し込む中
ゆっくりと時間が過ぎてゆきます。
雲や建物や木々や
オレンジ色を浴びる彼らの顔は
夕陽の沈む方向へ
みんなで向いているようで
私もこの世界の一部なんだと
こころから感じさせてくれます。

こんな時間が
とてもありがたい。

スカッとした空も
オレンジに
深い青に
いろんな顔を見せながら
明日という日を
迎えてくれます。
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大切なもの

2008年12月28日 | ヤスさん日記
なぜ人は大切な物を
ときとして見失うのでしょうか。
もし、それが
大切さを深く感じるきっかけだとしたら
いつかはまた一緒になること
でしょうね。

大切な大切なMacintoshを
どこかに忘れ
あんなにあんなにいつも
一緒にいたMacintoshを
どこかに置き
それすら気づかずに。

大切な大切なパートナー
もし見つからなければ
それまでのこと
とは
やはり言い切れないものです。

あきらめないこと
できるかぎりのこと

大切なパートナーから
教えてもらいました。
大切なパートナー
を見つけてくれた
大切なパートナー

大切なものは
もう手の中にあるものです。
それに光を掲げてあげたら
きらきらと輝きが。

大切なパートナーとの
笑顔を繋いでくれる
大切なMacintoshは
素敵なタクシーの運転手さんが
確保してくれていました。

新月の夜は
素敵な時間が開かれ
新たなチカラに満ち満ちるのかも
しれませんね。
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背骨

2008年12月27日 | ヤスさん日記
一年の計は元旦にあり
今年の1月1日は何を考えていたのか
それすら思え出せない職人は
今年の元旦
は静謐さを保つ為に
ひっそりと
していたような。

目標や計画
折角の時間をどのように
有効に使えるのかは
やはり事前の計画も重要なようです。

折しも
自分の背骨が
ゆらゆらとしているようで
頭の中が
もやもやとしているようで
それをスッキリと
する為にも。
年末年始の考え納めと考え始め
来年のことを道筋を立てて
考えようと。

職人に仕事納めがあるのか
と問われれば
深い問いかけになりますが
メリハリもつけつつ
今年の仕事をきっちりと納め
来年の風をとりこめるように
掃き清めたいな
と思う今日この頃です。

大切な大切な仲間との道筋も
リーダーとしての自分が
しっかりと目標として
ぶれないように
深く深く試作を巡らし。
職人としての未来の道筋も
地域のため家族のための
しっかりとした目標を
輝いた目で見据えられるように。

今年もまだ数日
やれることを
やれるだけ
楽しみましょう。
そして
素晴らしく新しい年を
迎えましょう。

ねぇ、ながさん。
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弱さはある

2008年12月26日 | ヤスさん日記
新潟は雪まじり
寒さの朝。
なかなか温まらない部屋で
じっとじっと待つか
いっそのこと
身体を動かすか
そんな選択の始まりです。

立ち向かうか
逃げるか
その時の状況で
自分を適切に判断して
あげることは
自分にも大切なことだなと。
自分を守る為に
棘を出しているハリネズミのように
なってしまうことは
自分も寂しいと思うこと
なのだろうなと。

ひと呼吸

どんな時でも
失った望みでも
いつかは
また
それを繋げることができる
と信じることが
できるはずです。
それが
あきらめない
ということ
なのでしょうね。

誰にでも弱さは在る

貯め水の冷たさが
痛さに変わる季節。
目の前のことを
しっかりと
あとは
大木のように
そこにただ在ればな
と思う今日この頃です。
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仲間

2008年12月25日 | ヤスさん日記
その仲間に感謝
その仲間に失望
でもその仲間がいるからこそ
今がある
私が今ここにいること
それに感謝です。

それが全てです。

今日はそんな一日です。
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家庭の灯

2008年12月24日 | ヤスさん日記
クリスマスイブ
街では光目映い光景が
あちらこちらで
子供たちの笑顔を輝かせています。
サンタクロースは
24日の夜に来るのはなぜか?
この興味深い質問に
答えはあるのでしょうか。

「世間の為にこの身体を
 どう使い切ることができるのか?」
それが遠い目をせずとも
足下をほかほかと
させてくれる時があるものです。
大きな大きな
ことではなくてもいい。
足下をしっかりと踏みしめて
私にできるコトを
しっかりと過ごせればいい。

その繋がり
伝播が未来へとの
切っ掛けになる
はずです。

そして
足下にあるそれは同時に
世界との環の中に
しっかりと
組み込まれている
ひと鎖
ひと滴
なのですから。

明日には雪の予報の新潟
ホワイトクリスマス
なんてのは
いつぶりなのでしょう。
家庭に灯るその火が
優しく穏やかに包まれるよう
静かに祈る
そんな新潟の夕暮れです。
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優しい言葉

2008年12月23日 | ヤスさん日記
新潟は快晴です
あたたかい朝陽が道に映え
きらきら輝いています。
黄金に光る矢印が
左か右か真っ直ぐか
どちらにせよ
ココロの赴くままに
導いてくれそうです。

「わたしくという現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です。
  (ひかりはたもち その電燈は失われ)」
   宮沢賢治/春と修羅 序

職人のつくるものの中に
込められた想いが
どんなカタチになるのか
そして
そのフォルムとの関係が
深いのだろうな
と思う今日この頃です。

私から解き放った
それらが
どんな風に使ってもらって
どんな風に育てられていくのか。

それが
残っていく50年先
使われ続ける100年先
手の届かない所にいっても
それが
生き続けられるような
モノを作り続けられればなと。

私が感じるこの世界の今
100年先
200年先
1000年先
素敵なイメージを描けるような
今も創りだせますように。

優しい言葉に包まれて眠るのは
子供の特権かと思っていましたが
何十歳になっても
変わらず
優しい言葉は優しい言葉です。

清々とした空気の中
爽快な祝日は始まります。
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自分やその人や

2008年12月22日 | ヤスさん日記
神格化されていくモノ達
それは
誰がみている自分なのか
わからなくなってゆく
ことなのかもしれません。

誰かがみている
自分の知らない自分。
十人十色の受け取り方の
物語の中で生きている自分。

自分というものは
その視点によって
様々に見えるものなのでしょう。
自分が感じている自分に
どれほど近い自分を見てくれていても
なにかの弾みに
そのたがが外れて
ストンと音を立てて
別れてしまうこともあるものです。

そしてその人も
「男子三日会わずんば刮目して侍すべし」

どんな変化を味わっているのか
諸行無常
よくよく感じなければな
と。


久しぶりに尾崎豊の「太陽の瞳」が
昔々の曲の中にある
フレーズに導かれ
あの時々を思い返す
今日この頃です。

新潟は雨
あたたかい想いは
雨降りの空からも
遠く届くものです。
そんなありがたさに
感謝の夕暮れ時です。
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