職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

朝のチャイムで始まる1日は心地よいものです

2024年04月15日 | ヤスさん日記
ハルウララ
今日も
気持ち良い朝を
石瀬の家で迎えています。
朝6時にチャイムが鳴るのが
暴力性なのか
とゆう問いはあるかと思います。
しかし
私には
この朝のチャイムが
とても気持ち良いものに感じます。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

風フェス前は
考えることが多く。
夜中に目が覚めることもあります。
目が覚めると
また
考え込んで
朝方まで眠れない。
右往左往しながら
考えるべきことを考える。

そんな時間に
今回の本に書いた
祈りと願いについても
考えます。

祈りについては
痛い思い出があり。
ミッションスクールに通っていた
元彼女に
祈りとゆう言葉を使った際に
メチャメチャ怒られて。
今なら
その子の祈りが
一神教的神様への対面と直結する
と理解できますが。
私は
「労働即ち祈り」位のことで
使っていたように思います。

今は
祈りは自然の即し
願いは人為に即す
と考えますが。
その汽水域にあるのが
ものづくりではないか
と感じています。

自然から採ってきた銅板で
人間の日々に必要なものをつくる。
密やかな祈りと共に。

さて
今週を終えたら
もうすぐにツアーとなります。
やるべきこと
ひとつひとつ。
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1 コメント

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Unknown (なが)
2024-04-18 07:34:05
面白いですね。

祈り。奇しくも、僕の寄せた文章も、「祈り」で締めくくりました。きっと、その彼女さんからしてみればめちゃめちゃ叱られることでしょう。
中年のおじさん2人が説教くらうのも面白い図かもしれません。笑。
そして、その後職人の至った祈りの形。
また、風フェス前の思念の渦。
人間はいつだって、過去と対峙する。そして未来とも。
だけど結局、今の連続にしかすぎませんね。
一枚の銅が、祈りで器に変わるわけもなく。
今、やるべきことに徹する以外に、何があるでしょうか。

目を覆う災害を前にして、多くの方が祈りを捧げました。
何もできない無力感から、そして怒りや悲しみから・・。人は2つの選択をしました。
その場に向かって走り出す人たちと、同じ気持ちを持ちながら、全く動くことができない人たち。

僕は、そんな無力感を持ちながら、動くことのできない人たちの気持ちを、なんとか形にできないものがと模索しました。
それは、これだけ長く職人が続けていらっしゃる風フェスに、それも我が故郷で開催していただけたのにも関わらず、駆けつけられない無念への、懺悔からきているのかもしれません。

だからこそ、祈る。
まるで、ボロボロの国旗を振りかざしながら、民衆を煽動する、ドラクロアの名画、自由の女神を鑑賞する時のように。美術館で、私たちは、まさに祈りの中心にいて、無力な自分自身の魂に炎を灯すのです。

職人の苦悩、孤独な夜、やめる選択のない「選択」。
高僧が厳しい修行をしているのは、祈る先の世界を実現する強き信念を持つため。それを支えていければと、いつも願います。
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