職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

人の精妙さ

2016年05月31日 | ヤスさん日記
何とも人は精妙だ。

自分の身体を通して感じる今日この頃。
そして
自然界のそれぞれが
それぞれで精妙であります。
枯れた草もまた茂ってくる季節。

活き活きと真っ直ぐに
葉を茂らせる葦を観ながら
そんな事を感じる朝です。

風の強い一日の始まりも
その精妙さの上に立って
今日も製作に励みたいと思います。
ながさん
今日も佳き一日を。
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臓器提供とゆう欄

2016年05月30日 | ヤスさん日記
「力強い孤独」
とゆう言葉に感銘を受けた夜に
先日聞いた免許証の裏を
しげしげと眺めてみました。
そこには
臓器提供をするかしないかなどの
意思表示を記入する欄が。
いつの間にか変わっている
この世の中。
世界に繊細に
自分に忠実に。
そんな事を思いつつ
その欄に記入して
今日を終えるとします。

ながさん
また明日も。
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改めて観る西洋

2016年05月29日 | ヤスさん日記
西洋的直線と
東洋的循環。
そんな考え方を持っていましたが
西洋をひと絡げにしてしまうのは
危険なことだな
と思う今日この頃。
詳細に観てゆくには
その背景を具に観てゆく必要がありますね。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

西洋でも
キリスト教的か
ギリシア人的かで
その思想もだいぶ違う
と学びました。

哲学とキリスト教
と言ってもいいかもしれません。
どちらも相容れないもの
だけれども
キリスト教が多くの人を取り込む中で
危険な哲学をも取り込んでいった
そんなお話。

無から世界を想像した神と
理論理屈で世界を観ようとしたギリシアの人々。
その考え方の違いに
平和への見方も違うのだろうと思いました。

終末があるところの平和と
幾度も繰り返してゆく中での平和。
同じ平和を語っても
その手法は違うものになる
のだろうなと。

世界の警察とは
世界を自分の管理下におく事でもある
のだろうと思います。
違った思想で育った私的平和を
どう紡いで行ったらいいだろうかと。
直接的世界観に触れて
改めて思います。

さて
今日はまた銅鍋づくり体験な一日。
「鎚起銅器とは?」を頭の隅に
参加者さんと一所懸命に寄り添ってきたいと思います。
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この私を通して

2016年05月28日 | ヤスさん日記
この私を通して
普遍的な事柄について考える。
そんな言葉を
最近読んでいる本から受け取りました。
人は神になろうとしたのでしょうか。
無から有を生み出そうとした
その神話が崩れたときに
人はどれほどの痛みを被るのか
それはもう
実感としてあるはずだと思うのです。
その実感を忘れて
人はまた同じ事を繰り返すのでしょうかね。
ながさん
東京の夏はいかがお過ごしですか。

私が接している世界
それが全ての世界ではない
とゆう前提のもと。
しかし
その世界から
普遍的な世界を想像することは
できるのだと思いますし
そこから平和に向かう
のだろうと思います。

私を通して人間を考える。
預かった身体を実地として
様々に試してみる
ってこと。

人は「何何だから。」
と理由をつけたくなるものですが
それらをとっぱらった理想を
描ければいいなと思うのです。

ながさん
今日は論語に学ぶ会でした。
その学びの話もまた後日。
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戸を開き、戸を閉めて。

2016年05月27日 | ヤスさん日記
ゆっくりして
また工房に戻る。
こう書いてみると
工房にも戻るにも
戸が付いているなと。
戸を開き
戸を閉める。
そんな繰り返しで
その空間とこの空間との区切りを
付けているのだろうなと
思う今日この頃。
その空間にあった
ゆったりな空気を一杯に思い出し
この空間で製作に励もうと思います。

頭の中をぐるぐる回ることを
ひとつひとつ形にする為に。

ながさん
今日もつくります。
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理想と現実

2016年05月26日 | ヤスさん日記
絶対変わらないもの
ってなんなんだろう
と考えていますが
考えてもそんなに直ぐに見つかるわけでもなく
ただ
その即席ではない答えに近づく事が
私には必要なのだろうな
と思う今日この頃。
いろんな濃さの週末を過ぎ
やっと人心地です。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

指月の喩えから
思考の深みを教えてもらいましたが
真っ暗なその先に
どんな風に飛び込んでゆけばいいのか。

絶対変わらないもの

理想なのだと思います。
その理想を理想だと
投げてしまうことではなく
理想を理想として
追い求め続けたいと思います。

理想と現実
とも言いますが
その理想がなければ
現実との差異もわからずに
進めないものでしょう。
その理想を更に明確に描く事から
また始めたいと思います。
ながさん
今日も佳き一日にしましょうね。!
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出力の高め方

2016年05月25日 | ヤスさん日記
間に合わせなければ成らない事に
間に合わせるときの集中力
それは
急な仕事のとき程
高め方の工夫が必要と思います。
出力の仕方
とでもいいましょうか。
仕事の質を高める為に
先ずは手を動かし
自分の温度を確かめて。
その上に温度を持って行く為。

特に彫金とゆう
一回きりの本番な仕事は
材料を無駄に出来ない
けれども
急なときは
材料を無駄にしたとしても
温度を上げなければならない時もあるものです。

できるだけ無駄にしないようにするためには
日々の修練の積み重ねだなと。
練習と本番の違いを深く実感しつつ
昨日は過ごす時間でした。

もっと仕事をする時間をつくろうと思います。
そして
もっと私らしい職人像を高めてゆきたい
そんな事を思う職人なのでした。
ながさん
また、ゆっくりと。
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スナフキンの言葉

2016年05月24日 | ヤスさん日記
旅に出る
ってのが
実際の外側のことだけではなく
私の中にも旅に出かけられる
ってことを知る時に
人はどれだけの成長があるのだろうか
と思う今日この頃。
また
その心持ちを持って
実際にいろんな所を歩いてみたら
世界はどんな色で映るのだろう
と考えます。

「心が繫がった仲間こそ、ルビーにも勝るルビーさ。」
そんなスナフキンの言葉と共に
いつもの場所で
いつものコーヒーで
工房で始められるとゆう事に
沁沁と有り難いコトだなと感じつつ。
ながさん
マリーゴールドさんでの件もお世話になりました。
お陰さまで
無事に素敵な時間を過ごす事ができました。

想いを受け取り
それを形にする
って
ものづくりをするって
簡単なことではないし
そこと対面することで
作り手も成長するのでしょうね。

いろんな報告も兼ねて
近々
東京に伺おうと思います。
新潟は晴れ晴れと空けております。
東京も佳き一日を。
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和を以て

2016年05月23日 | ヤスさん日記
論語の話になると
どうしても
それを通読するとゆう事に
拘ってしまいます。
それぞれの読み方もあるのだろうと思いつつ。
しかし
やはり
孔子の弟子達がどんな想いで編纂し
どんな配列であるのかって事が
とても重要だなと思ったり。
また
通読してみると
孔子の対機説法ぶりが
とても沁み入るものだったり。
そんな事を思いつつ。
本日は
新潟市内で美味しいコーヒーのモーニングです。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

「和を用て貴しと為す」
この言葉は
聖徳太子の十七条憲法の第一条でも有名ですが
論語の最初の方に出てくる言葉でもあります。
もちろん
論語の方が早く
聖徳太子も読んでいたのだろうと想像するわけですが
この言葉の後には
「和すれども禮を以て之を節せざれば、亦行なうべからざるなり。」
と続きます。

和とゆうものの質を
感じざるをえませんね。
和にも種類があって
どんな和を目指すのか。

そして
それを禮で調節するってのも
とても興味深い。

七星金星は禮の星
とも言われていますが
その星のもと
禮について更に学びを深めたいな
と思う職人なのでした。

工房の中だけでは学べない世界での学び
今日もしっかりと進めてきたいと思います。
今回もながさんには
大変お世話になりました。
また近々東京に伺います。
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科学的な

2016年05月22日 | ヤスさん日記
科学について
考えつつ
科学ってなんだろうと思うと
この世界の正しさではなく
現象を観ているとゆうこと
なのだと思うのです。
科学の99%は仮説とゆう話を聞いたときがありますが
定説が覆されるのも
時代の進歩なのでしょうか。
そんな事を考えていたら
哲学者の方の
「科学は説明であり解明ではない」言葉が
なんか自分の腑に落ちたのを感じずにはおれません。

科学的な神話が崩壊する中。
私達はどんな繊細さを持って
科学を観なければならないのでしょうか。

確かに日々
私の目の前で繰り広げる銅板の姿も
不思議な事ばかり
それらをお客様に説明する事はできるし
実際にそうであるのですが。

科学的な
って言葉にやけに反応してしまうのも
目の前の現実が
知れば知る程に過酷なものだからかもしれません。

それでもと思う元に
現実を踏まえた科学を
押し広げられればなと。

ながさん
今日の阿賀野市は快晴です。
今回も大変にお世話になりました。
いよいよ始まります。
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