職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

無意識のスケジュール調整

2022年03月31日 | ヤスさん日記
また今年も
走り出せる。
4月下旬から始まる
ゴールデンウィークに合わせて
5月半ばまでの
鎚起銅器銅鍋づくり体験の旅。
今年は
九州も足を伸ばして
熊本まで行きます。
ながさんの生まれ故郷であり
私の名前の由来となった土地まで
あと一歩。
いつか
鹿児島でも
銅鍋づくり体験ができることが
私の望みでもあります。

そんな中
出発までの
スケジュールを立て直してみると
ほんと
ぴったりと
今受けているご注文が納まる。
それも
それなりに余裕がある状態で。

少し混んでたら
根を詰めればいい
とも思っていましたが
意識していなくても
無意識の中で醸成される程よさが
あるのでしょうか。

程よさの中で
自分の心地よさを見つける
今年の目標。
それは
働き方改革でもあります。

生活と共にある私の手仕事が
急ぎ過ぎないよに。
忙し過ぎないように。
心を保って
春を深めたいと思います。

ながさん
明日から新年度。
何が変わるわけでもないかもしれませんが
この区切りをひとつのものとして
また
心新たに進めてゆきましょうね。
来月
東京でお会いできることを楽しみにしていますね。
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鎚起銅器職人とは?

2022年03月30日 | ヤスさん日記
昨日ある航空会社の広報誌のための取材を受けまして
「鎚起銅器職人は、この辺りに何人居られるんですか?」
とゆう質問に
「35人ですかね。」
と答えたのですが
実際
はっきりとした答えができていたのだろうか。
と振り返りました。
それは
鎚起銅器職人とは何かと
ゆうことにも繋がって
どこまでが鎚起銅器職人であるのか。
また
その人それぞれが
職人としての認識をしているのか
周りから呼ばれているからそうなのか
商売としての見え方として使っているのか
様々なことがあるでしょう。

職人
ってなんなんでしょうかね。
と考えつつ
この辺りの職人の数を数え直してみたら
私の古巣である玉川堂は
この春で17名の職人を抱えるのですが
私の知っている職人。
一緒に汗を流した職人は4人しかいない。
それも
従兄弟を抜けば2人。
17名中4人しか
私は認識できないのか
とゆうことに
愕然としました。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

それが
時の流れとゆうものか
と。
私もいつかは
消えゆく存在として
今年は数輪しか咲かなかった
梅の花を見上げながら
なんとも不思議な気持ちになりました。

残せるもの
残せないもの
残ってしまうもの。
時の流れは
いろんなことを水に流し
本当のことが
きっと残るはずと信じ。
今日も
鎚起銅器職人として
1日を始めます。

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カオナシ

2022年03月29日 | ヤスさん日記
先輩の声に導かれて昨晩は
夜のネットミーティングを終えて
22時には寝ました。
睡眠時無呼吸症候群なのか
と思うからには
ちゃんと検査してもらうべきだろうと
近々足を運んでみます。
そんなことを
つらつらと考えながら
朝の布団の中。
私は
求めすぎていたな
と感じたのです。
足りない
欲しい
この欲求がある限り
そこは埋まらないのではないか
と思います。

ただ
そこに足りなさを感じて
静観してみる。
そして
何故足りなくなったのかを
解析してみる。

足りない足りないのエネルギーは
欲しい欲しいに繋がり
本当に必要なものが
手からこぼれ落ちてしまうものでしょう。
そう
イメージは
千と千尋の神隠しにでてくる
カオナシのように。

その欲しいを
手放す
ってことですかね。

ゆっくりと寝て
だいぶスッキリしました。
今日も穏やかに
叩き始めます。
ながさんも
良き1日をお過ごしくださいね。

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自衛業

2022年03月28日 | ヤスさん日記
盃づくり体験終わりに
街場のワインバーで懇親を深める。
ワインバーのマスターでもあり
ものづくりの先輩でもあり
いつも
私を心配してくれ
叱咤激励してくださる。

自営業は自衛業

韻を踏んで伝えてくださる言葉に
ありがたさを噛み締めています。

自分でどうにかなる
と思いすぎてしまう一人の世界。
このような先達の声に
変化するべきことを感じる職人でした。
今日は
あまりにも穏やかすぎる月曜日です。
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今のリズムで

2022年03月27日 | ヤスさん日記
ながさん
度重なるコメント
ありがとうございます。
ずっと見守り続けてくれた
ながさんだからこその
熱意を感じますね。
時の流れに身を任せ
私なりのタイミングを待ちたいと思います。

昨夕玉川堂にて
「からむしのこえ」の上映会に参加しました。
1時間30分の映画は
もやもやと
感想らしきものはまだ言葉に定着しませんが
からむしに関わる人たちの生活がそこにあるとゆうこと。
生活のリズムと
ものづくりのリズムが
寄り添っているのではないか。
いや
寄り添っていたのではないか
と。

もちろん
今も寄り添いながら
命脈を繋げているわけですが
現代に於いて。
そのリズムは変わっているのだろうけれども
今に受け取り
それぞれのリズムで繋がっていって欲しい
と切に願います。

いや
これは私自身に言っていることでもあるかもしれないし
今の
ゆきすぎた資本主義対しての自分の抗いを
自分で鼓舞しているだけ
かもしれません。
一枚の銅板を叩きながら
それを生業とできる人間がこの世の中に居る
とゆうことが
この世の中の希望になればと
自分がその希望をみたいとゆう
欲望なのかもしれません。

高度成長期の
父の時代には父の職人像
バブルが崩壊したあとの
私の時代には私の職人像
それぞれ違うわけですから
次の時代にはどんな職人像がでてくるのか。

映画終わり。
久しぶりに
多くの人と懇談して
話し合って
笑い合って
お酒を酌み交わして。
今日は
体調も良いようです。

生活と仕事が程よい
自分なりのリズムで
今日の私を始めます。
東京の桜もきっともうすぐ
ですね。
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誰のためにつくれるのか

2022年03月26日 | ヤスさん日記
先輩が今の毎週一回
鎚起銅器の製作に
通って来られているのです。
そして
昨日はワインクーラーを完成されて。
この
弛まぬ情熱はどこから来るのか
と問うたら
きっと
美味しいものを楽しむため
と答えられるでしょう。

それくらいに
日々
食べることを
また
食べる時間を
大切にされているのだな
と感じます。

私も
その姿を拝見し。
自分の中で湧き出てくる
つくりたいものが
きっと
あるんだろうと思うわけですが。
それすらも
きっと
ひとりではなく
誰かがいることで
発揮されるものだろうな
と。
自分自身に向けて
ちゃんとした料理はしない私は
思うわけです。

誰かのために
それをつくる。
それが
生活ってものなのかな
と思う今日この頃。

次回は
パートナーのために
ジャム鍋をつくられるとか。
ひとりじゃないって
素敵なことですね。
そして
私はまた今日も一人
お客様のために
銅板を叩き始めます。
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墓標めいた本

2022年03月25日 | ヤスさん日記
「俗物」
出版に向けて
毎週1回木曜日に
ネットでミーティングを重ねています。
昨晩も
伝統工芸とゆう言葉に
どんなイメージを持つかが
焦点のひとつになり。
自分なりに
調べてみなければ
と思うことも。
こうやって
改めて
自分の職人としての環境を振り返ることができる
って
ありがたいことです。

伝統工芸
伝統的工芸品
伝統工芸士
それぞれの流れが
パワーバランスの中で出来上がっているのは
どの業界も同じでしょう。
経済産業省
文化庁
民間団体の各派閥。

その流れを踏まえた上で
自分はどの立ち位置にいるのか。
大きな地図の上で
どの場所に居るのか。

この本を出版するにあたり
墓石をつくるようなものだ
と冗談で言いましたが
経費も含め
確かに
私の墓標めいたものになるのかもしれません。

私が
鎚起銅器の世界で
何を表現したいのか。
それは
技術ではなく
生き方でしょう。
その生き方を
周りの人に反射して
省みる。

暑さ寒さも彼岸まで
といいますが
昨日は
靴下を履いて寝たら
暑いくらいで目が覚めました。
地面と共に
私の身体もあったまっているのでしょうね。


さて
今日も生き方をコツコツと
積み上げるとします。

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問われる民主主義

2022年03月24日 | ヤスさん日記
お彼岸はゆっくりする
とゆうことで
昨日も
ほぼ1日
本を読み耽っていたのですが
民主主義って
よく使われますが
民主主義って
どんなものか
本当はよくわかってない。
のだと感じさせられました。
確かに
民主主義とは何か
と問われれば
普段感じていることを答えられる
とも思いますが
でも
それだけが本当の答えかと問われたら
多様な民主主義の捉え方がある
ってことは
周りを見渡してみれば
感じること。

20世紀より前
アメリカが台頭するまでは
民主主義は敬遠される方法
だったとも書かれています。
それが
何故
今の主流になったのか。

これは
世界的な実験であり
人は実験し続けることしかできない存在
なのでしょう。

先日の論語では
鼓腹撃壌
お腹を叩いて地面を叩いて
王様の顔もわからないぐらいに
太平な世の中で良い世の中とされていました。
もちろん
今には当てはまらないでしょう。

でも
市民が
自分の生命を燃やすことだけに
一所懸命になれるとしたら
それはとても素敵な世界なのではないか
と思います。
その素敵な世界をつくるためには
また今なりのシステムが必要なわけで。

問い続けられる民主主義。
また
語り合いたい本と出会いました。

今日の燕市は快晴。
お彼岸も明けますね。
1ヶ月ほど痛かった腰も
バキッとゆう音と共に
何かが納まったようです。
それと共に
痛みも和らぎました。
さて
今日から本格的に
始動するとします。
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私の基

2022年03月23日 | ヤスさん日記
先日の如月満月から
論語の読み合わせの会を
生活手仕事研究所で始めました。
近所の畳屋さんと
新潟市内の論語仲間と。
ほんの3人ですが
声を出して読み合うって気持ちよさが
やっぱりあるもんです。
声は波として動きとして伝わる
とゆうことを感じます。

そして
読み進めてゆくと
笑ってしまうほどに人間は変わらない。
あの頃から。
そして
それを書物に残している
ってことも興味深いです。

紀元前500年頃。
大きな周の国が弱体し
大小様々な国々が乱立するChinaの歴史。
群雄割拠
大きな国間で
小さな国はどう生き残ってゆくのか
知恵を絞らざるを得なかったでしょう。
人間の変わらなさは
この書物が何千年も読み継がれている
とゆうことでも
理解の一端になるかと思います。

これは
今の世相にもつながる。

そして
最近は
電力の不足から
原発の再稼働なんかの記事が
私のFBページにも
散見されるようになりました。

思い起こしたのは
環境権を訴えた松本竜一さん。
37年前に出版された「暗闇の思想」を
読み返しています。

人間は変わらない
と思いながら
今では環境権は確かな権利として
私たちは有している。
その環境権の
先鞭を打った松本さん。

大きな力が情報と恫喝で推し進める。
凡庸な悪とは?
構造転換のための基は?
そんな問いかけをしている今日この頃です。

松尾芭蕉の
不易流行。
人間の基は
変わらない。
からこそ
変えられる風があるのかもしれない。
と考えています。

そのためにも
どんなに遠回りでも
私は論語から始めたい。
そして
続けてゆきます。

松本さん
「暗闇の思想」の一説より。
「たちまち反論の声があがるであろう。経済構造を一片も知らぬ無名文士のたわけた精神論として一笑に付されるであろう。だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、いったいそんなに生産した物は、どうなるのだろう。タイの日本製品不買運動はかりそめごとではあるまい。公害による人身被害精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。」
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ワインボトルと取り止めもない話

2022年03月22日 | ヤスさん日記
昨晩は変人たちとの集い。
料理人
木工作家
コーヒー屋店主
鎚起銅器職人。

朝には
ワインボトルが7本空いていて。
ぐるぐると目眩く時間だったことを
思い起こさせてくれます。

身体が熱いのは
その熱気のせいでしょう。

こんな時間のお陰で
こんな人達が居てくれる
とゆうお陰で
私は
ものづくりとしても邁進できます。

そんな
取り止めもないお話です。

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