職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

本物の武士のように

2007年10月31日 | ヤスさん日記
先ずは自分を信じるとして
自分が信じた自分が誰を信じるか
とか
今あることが本当だとゆう思い込みや
先々のことに想いを馳せるとか。
自分が心地よいコト
自分が心地よい空間
自分が心地よい時
それぞれを
未来に繋げられるよう
未来に遺せるよう。
その為の礎になるためには
何が必要なのか。
そんなことに考えふける
今日この頃。

ナガさん
大壁画は完成ですか。
是非実物を拝見したいものです。

全体を見渡すことができるか
くぐもりに層に捕われるのか
非常に難しいところですが
感情の振れは
視野を狭くしてしまうことも。
そのコトをその人はそう思っているんだと
受け入れることができたなら
きっと、揺るぎない自分を見いだすことが
できるのだろうと。

その人の本当のこと
自分の本当のこと
先々のことは誰にも分からない世の中で
それぞれの真実が
対立しない為には。

本物の武士の生命観が
そうであるように
いつでも受け入れられることが
その先にも想いが続く為の
必須条件だったような気がします。
その時でも穏やかに迎えられる
といいなと。

10月末日。
新潟は雨が降り始め
今ここでは暗闇でも
どこかでは輝いた陽が
沢山の笑顔を照らしているのだなと
想いに耽る職人なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我思う、故に

2007年10月30日 | ヤスさん日記
曇り空の新潟
そこに在るはずの太陽が
かすんで見えますが
時としてはそんな空でもないと
明るすぎては
全てを見透かされているようで
参りますからね。
ナガさん
仕事の進み具合はいかがでしょうか?
空を見ることもままならない
のかもしれませんね。

比べることはなくていい
誰よりかなんてコトは
どうでもいいこと。
それがそれであるということが大切なのだなと。
どんなことであれ完璧すぎては面白くなく
外れすぎていては滑稽で
程よく折り合って
そこはかな部分も愛せれればいいなと。

本質を貫くことが
いろんな方向に出っ張って
それでぶつかったりへこましたり
人間ですもの
そんななかに美しさのかけらを
発見できる能力が
人には与えられているはず。
十五夜を愛でる日本人ですもの
蓮の花が水面下でじっと我慢してるのも
その花を咲かせられること
を想っているからでしょう。

さて、こんな季節は
デカルトに読みふけり
先人がいつか来た道を
振り返ってみるのも良いものです。
「cogito, ergo sum」
あたたかいcoffeeと共に
夜はゆっくりと包み込み始めます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの思い出

2007年10月29日 | ヤスさん日記
久しぶりに柏崎のことなど
想い出しておりました。
今日は薄雲がかかった月の光
そんな秋の夜長は
様々なことを想い出させてくれます。

現場にいれば沢山の笑顔を届けられたことには
間違いないのですが
その為の方法やらなんやら
反省する部分が多かったなと。
様々の人に伝える努力をするときに
人それぞれの角度からの意見はありがたいことで
それに対応する技量も身につけなければなと。

そして、根底にあるものがぶれることなく
支えてくれる仲間の繋がりはありがたいもの
だなと。
しみじみに。

あの日の雨の匂い
余震に揺れる体育館の屋根
バイクから流れる風の音
仲良くなった女の子
その地の根幹をなすもの

ひとつひとつを思い出せば
とても大切な時間達で
それをいつまでも大切にできるよう
ぶれないココロ
貫くココロ
そして、大切な仲間達。

ナンノタメニ
が本当なら
どんな言葉にも対応できるはず
まずは、地道な作業を。
そんなことを思いながらの
夜中の散歩は
寒くなった新潟の空に
白い息が一層映えます。

転んでもただじゃあ起きない職人
今度掴むものも
きっといつかの宝物になるのだなあ
と思う10月の暮れでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い込みの中で

2007年10月28日 | ヤスさん日記
様々の事象の中で
自分の見た角度から判断するのは
当然のことながら
他の角度からも見る努力が
とても大切だなと思う今日この頃。

思い込みの中で
感情を昂らせるか
何かの糸口を見付けられるのか
そんな違いが
とても大きな違いとして
その人や空間を包むような気がします。

ある事実を
それぞれの真実の中で
どう解き明かしてゆくのか
自分の中への落とし込みが
くっきりと明暗を分けてしまう訳で。
あるがままの事象を
あるがままに受け止めるには
それがそうで在る理由がどこにあるのか
なんのためにそうあろうとしたのか。

深く腰掛けたソファー
その窓からのぞく光が
とても静かに響きます。
グーッと背伸びをしたら
また新たな知への挑戦が始まります。
今日の時間の流れは心地よく
新たな知の階層は新たな自分をみせてくれます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雨の日などは

2007年10月27日 | ヤスさん日記
できればぼーっと
空お眺めたり
お気に入りの傘でゆったりと
cafeに出かけたり
読みかけの本を読み戻したり
そんな過ごし方が秋の日には調度良いのですが。
なにぶん職人
やるべきときにはしっかりやっておかないとだな
と思う今日この頃。
ナガさん
東京も大雨でしょうね。

お気に入りのcafe
いくつかはありますが
どうせなら自分の思い通りの
夢想したままのcafeなどを
仮に作ってみるのもいいもの。
きっと、そのうち何かのご縁で
カタチになって出会えるでしょう。
もしくは作れるでしょう。

ゆったりとしたcafe
引き立ての豆と銅のケトル
で入れたcoffee
久しぶりに想い出した顔達に
手紙を書くのに丁度いい音楽と
気の温もりが伝わってくる床
町家作りの外装に
いくつかの緑を活かして。
甘味は外せないですね
チーズケーキやアップルパイもいいですし
たまにはしっとり芋ようかんや小豆ものも。

そんなcafeを
想像しつつも
今日は自分でいれたcoffeeで
寒さをしのぎます。
誰かのいれてくれたcoffeeが
何故に美味しいのか
それはナニモノにも計りがたい
ものがこもっている
もしくはそんなものに包まれているのでしょうね。

雨降りの新潟は
静かな時を刻みながら
ゆっくりと流れてゆきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運んでいるモノやコトや

2007年10月26日 | ヤスさん日記
南アメリカの先住民に伝わるハチドリの物語。
あるとき森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います

クリキンディはこう答えました
「私は私にできることをしているの」

出典:『私にできること~地球の冷やし方』(ゆっくり堂)、
     『ハチドリのひとしずく』(辻信一監修、光文社)


ハチドリがナニを運んでいたのか
今の視点だけに捕われていると
沢山のことを見逃していたなと。
物質的に見れば水
形、重さ、固さetc
はかることはいくらでもできますが
その中に詰まっているものは
今のはかりでははかれないんだなと、
きっと。

その行為ではなく
その中に込められている想い
そこには証明や根拠なんて
目の前に現せるものではないのですが
今の視点ではないナニカ他の視点が
あれば
それぞれの中に表すことができるのかもしれません。

なんのために
古代アメリカ先住民そんなことを想ったのか
ハチドリが働き掛けているベクトルの方向は
それぞれの中に在る結末が
意識を越えたところで
なにかに働きかけをしているのかもしれません。

誰が見ていようが見ていまいが
誰に認められようが認められまいが
そのなんのためにを
はっきりと掴んでいればぶれることなく
笑顔を届けられるものなんだな
と感じた暑い夏もありました。

また一番夜が長い日に向けて
様々の想いがそれぞれの方向に進むのでしょう
その輪がたくさんに広がって
また、あたたかい灯火に包まれたら
幸せなのだな
と想う今日この頃です。

想いや思いや憶いや念いや
美しいものをたちを
カタチにできるのは
どんな形であれ素晴らしい。
満月の空は雲に覆われていますが
目を閉じココロ安らかに
いつでも地球に光が降り注いでいるのだなと。
冬の匂いの交ざった
秋の雨に
一層静けさを感じる夜です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シシ神様

2007年10月25日 | ヤスさん日記
秋晴れが続く新潟
東京はいかがですかね?
秋の空は寒さの季節に向かい
大気に水分が多いせいでしょうか
なぜか少しの切なさを含んでいるようです。
しかし、街が動き出す前の空気
その冷たさをいっぱいに吸い込むと
身体にまた新しい炎が宿ります。

日々の流れの中で
滅びと再生を伴いながら
繰り返されるコトゴト。
踏み出す度に
その中に生まれ後に遺すものが
輝いていたらいいなと。

イキトシイケルモノが通る道
そのひとつひとつが
本来のものへと導いてくれるものなら
それをそのままに
受け入れることができるのでしょうか。
その時を迎えてみないと分からないことばかりですが
「今」の連続の先に見えるものが
輝いていれば
イバラの道も進んでゆけるのでしょう。

今日の気分は「もののけ姫」
見るごとにある発見は
その深淵にすむ神々の物語を
より一層鮮やかにみせてくれます。
自分の中にすむモノや
みんなの中にすむモノが
どれも間違っていないのだなと。

秋の日の宮崎駿
自転車を走らせ
久しぶりに浸ってみようか
という10月の終盤です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひかりの素足

2007年10月24日 | ヤスさん日記
宮沢賢治さんのひかりの素足
どんな内容だったと思いつつ
暖かい風に包まれている午後、
昨日の夜
月に照らされた大きな雲は
もうどこへ行ってしまったのか
今はもうただ青い空です。

どんな内容だったかなんて
あんまり覚えてないのですが
もしかしたら読んだことがないのかも
しれませんし。
ただ、
その題名の響きが
とてもココロの奥深くまで響くきが
その音の中で自分の中に
立ち上がってくる情景が
あまりにも美しく
自分が求めているものに感じます。

光の道を進むということは
どんなコトなのだろう、とか
その光は見えるものなのだろうか、とか。

自分の中にその情景が在るということが
とてもありがたいなと思う夕暮れです。
本当の青さを知っているということは
本当は切ないことなのかもしれませんが
その向こう側に
光の道が続いているんだと願うのみです。
今日あたりは宮沢賢治に浸ってみようかなと。

--------------------------------------
Easy + Joy + Powerful = Yahoo! Bookmarks x Toolbar
http://pr.mail.yahoo.co.jp/toolbar/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惰眠を貪る

2007年10月23日 | ヤスさん日記
想像と創造の狭間の中
秋を見上げてみると
青く高く
ただそれだけで幸せなのだな
と思う今日の空。
ナガサんいかがお過ごしですか?

猫の目のような季節
あたたかい午前中
たまにはうとうとと
流れるままに過ごしてみることも
そこにはただあるがままの空気と
惰眠の中、流れる夢。
そんなものを時々は
飲み込んでみるのも
たまのたまには
必要なようですね。

想像したものはすべて形にできる。
銅板の成り行く姿を
ほんとうに自然と受け入れられれば
美しいカタチをそのままに
立ち上がらせることができるのですが
どうま未だ
あるがままを手助けすることができずに
いるなと。
相手のそのままを
素直に謙虚に
引き出してあげることができるば
そのモノ自体に
自分もくっきりと反映させることが
できるはずです。

自分の技巧をこらしたものも良いのですが
相手の必要なことを
必要なだけできるようになれば
と、父親のモノを観ながら思う日々です。
職人ですからね
やはり生活に溶け込むようなものを
作りたいものです。

見上げた空には
くっきりとした月と鈴虫の声が。
欠けた中に見えない美しさを
愛でていられれば
そこに向かっているというベクトルが
保持できそうな気がするなー
と思える十三夜なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナンノタメニ

2007年10月22日 | ヤスさん日記
何の為に働くか。
そんな根源的なものを
考えながら過ごす今日この頃
何の為にを
掴むことができたら
きっと、ナニゴトにもぶれずに
しっかりと進めるのだなと。

ナンノタメニ。

独立してからこのかた
自然な生き方ができているのだなと。
自分の責任において
自分の自由な時間を使える
そんな中本当のモノを掴めれば
ぶれることなく進めるのだなと。

ものづくりとして
今の様々な価値観に、ものさしに
引きずられないように
根源的で最終的なコトバ
ナンノタメニを唱えながら
過ごしている日々は
猫の目のように移ろう秋の空でも
泰然自若の心境にしれるようです。

ナンノタメニ。

その始まりはどのようなものであれ
今,の大切なもの。
私の場合は本物を作るものが
安心して暮らせる場所。が、
どのようにつくられるものか
自給自足
足を知る
そんなコミュニティーの中で
どんなモノが生まれ出すのか
今から楽しみでなりません。

ナンノタメニ。

きっと、沢山の想いが去来するなか
自分の芯がここに在ると掴めていられれば
それはなんと幸せなことか。

来年の春にはプランターで様々な食物を育てたいなと
自らの食べるものに
責任をもつ
身体が資本の職人には
とてもココロに沁み入るコトバです。

秋の土砂降りの中
走らせる車は
危険の中にいながらも
その生命の昇華にココロうたれるのだな
と思う職人なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする