職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

その美しさの上を歩いている

2015年08月31日 | ヤスさん日記
萬代橋を歩いていると
その美しさを観ることはできないけれども
確かに
その美しさの上を歩いているのだな
と思う夜。
ながさん
今日はゆっくりと大切を味わう一日でした。
そして
そんな美しい時間は
明日からの活力になるものです。
「幸せってなんだろう?」
とか
「死生観」について
色々と考えますが
それがここにあるって安心感から
確かな行動が生まれてくるのだろうな
と。

ゆっくりゆっくりと噛み締めて。
明日からの製作に励むとします。
いろいろと考えて
いろいろと実践して
いろいろと形にして。
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柳宗悦さんから柳宗理さんへ

2015年08月30日 | ヤスさん日記
柳宗理さんとゆうデザイナーさんは
高度成長期時代のデザインを支えたひとりとして
多くの方の支持を集めておりますが
柳宗悦さんから柳宗理さんの流れは
ものづくりの時代の変遷を観るのにも
とても分かりやすいのかもしれません。
そして
その後の流れがどうなっていて
私はどう関わるのか
とゆうところ。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

今年も秋の展示のひとつとして
柳宗理さんのデザインのオマージュをしてみよう
と思い
彼のボウルの輪郭を丹念に確認。
機会工芸
と言われるであろうプロダクト。
生活の中に美しさを持ち込む
その想いの根源は同じなのでしょう。

高度成長期から多くの方に愛されて
そして
今現代に至る時に
機会工芸と共に次の工芸に移るには
どんな提案ができるのだろう
と考えています。

プロダクトの中に
手を加えられるのかどうか。
試みとして
そんな事を考えています。

ながさん
今日も佳き一日にしましょうね。
新潟も落ち着いた良い天気の始まりです。
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自らの答え

2015年08月29日 | ヤスさん日記
「抜けた」って感覚。
いろんなモヤモヤから抜けて
私か確実に答えを持っている「ここ」について
更に深めてゆくべきなのだな
と思う今日この頃。
ながさん
誕生日おめでとうございます。
いい誕生日を過ごしてますか。

いろんな国事に対してのお話。
それに対しては
私の勉強不足は否めず。
しっかりとした答えを
未だに見出せないまま
のようです。

蓋し
これに関してはってものを
ひとつ持っています。
風フェスとゆう活動に関しては
国事としても
必ずやとゆう確実な答えが
見つかるはずだと。

各方面で
それぞれの思考の展開がある中で
自分の手の中にある
確実な答えが在る事が
どれだけ大切なコトだろうと。

自ら持つ
自らか実感する
自らの目の前で起こっている事実。

ながさん
明日は文月満月ですよ。
誕生日明けも佳き一日を。
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平和について

2015年08月28日 | ヤスさん日記
昨今騒がれている
国事のお話を聞く。
それ自体は
きっといろんな見方がありながら
その立場で判断してゆくもの。
けだし
その立場で判断した理由を
誰が詰る事ができるでしょうか。
それぞれの流れの中で
本当に大切なものを見出す為に
何が出来るのだろうな
と思う今日この頃。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

確かな事は
そう思ったとゆうコト。
ただ
そこには
いろんな情報の流れもあり
役割もあり
正しさとゆう判断よりも
どの視座に依っているのだろうとゆう視点と共に
そこに向けて伝える私がいなければだな
と。

私達が住んでいる日本が
一見は平和に見えたとしても
その平和の基準がどこにあるのか
とゆうことも
大きな問いかけだと思うのです。

平和ってなんだんだろうな
と考えつつ。
ながさん
ほぼ心配なく乗り物に乗れるのも
平和な理由にはなるかもしれませんね。
帰りの道中もお気をつけて。
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日常の瑣事にいのちあれ

2015年08月27日 | ヤスさん日記
暫し
腰痛とお供する時間が続きます。
「何が原因だったのか?」と
この数週間の日々を振り返っても
これだと思いあたる事もなく
ただただ
自分の身体が発信しているサインに
耳を傾けてみる今日この頃。
ながさん
大阪の催事も順調そうですね。
新潟は台風の後の青空に包まれていますよ。

仕事柄
なんてこともありますが
仕事柄でそこにサインが出やすいのですが
そのサインと複合的に
身体の他のどの部分や
精神的なひっかりかりと相俟っているのかを
具に観ていく必要があるものです。

あんなコトやこんなコト。
どちらかとゆうと
肉体的とゆうよりも
精神的な作用との関係が
今回の鍵になっているような
そんな気がします。

免疫力の上下と共に
ひっそりと進んでいる変調がみせてくれるサイン。
この有り難い機会に
日々の瑣事から
修正をかけてゆきたいと思います。

「日常の瑣事にいのちあれ」
と高村光太郎さんの言葉を思い返しつつ。
ながさん
今日も佳き一日を。
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不二の世界

2015年08月26日 | ヤスさん日記
不二の世界って
本当にどんな世界なのだろう
と思う今日この頃。
どんな
なんて思う事もなく
ただそこに在るのかもしれませんね。
ながさん
大阪出張はいかがお過ごしですか。

昨日は
風フェスメンバーとの会合。
気の置けない仲間との時間は有り難く
今までの道程の厳しさも
ここに繫がっていると思うと
何かが溶けてゆく気がします。

中田英寿さんは
小学校の頃はサッカーフィールドで行なわれている事は
背中向きでも感覚が分かったとか。
そして
その時が最高のプレーヤー感覚だったとゆう話を
聞いたことがあります。

形は違えど
信頼できる仲間との活動は
そこで起こっている事を想像しつつも
任せきれる安心感。
そして
独立した同士のネットワークコミュニケーションが
そこにあるのだなと感じます。

子供の頃の感覚を無くしたとしても
某かの分別を突き抜けて
不二の世界に溶け込めればな
と思う職人なのでした。

今夜は鈴虫の音色が一段と沁み入ります。
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某かを通して人を捉える

2015年08月25日 | ヤスさん日記
最近は
気にしているせいもあるのでしょう。
柳宗悦さんの名前に
ふとした本で出会う時もあります。
柳宗悦さん
会える訳もなく
ただその即席は書物や言行録で知るだけ
しかしながら
その側面を総合してみると
自分なりの柳さんが浮かんでくるものです。

民藝を発見した
とよく言われますが
私の柳さん像は
称名に繫がる6文字と美しさとを繋げ合わせて
ものとしてそこに現存させてようとした人
とゆう印象がとても強くあります。

法然から親鸞
そして一遍に至るまで
そこに通底した事柄を
自分でつくることはしなくとも
ものとして現そうとした人
なのだろうなと。

自力門も他力門も
頂は同じ
だとしたら
今の私はどんな所にいるのだろう
と思いつつ。

信仰心が薄れている場所では
柳さんのものの捉え方自体も
変わって来るのだろうと思います。

ものづくり
信仰心を通して
共通する人としての在り方を
ずっと問うていたであろう柳さんが
無有好醜を願いつつ
美しさを選び取る事しかできないって事。
人が生きるとゆう事を
更に考えさせられる時間となります。

ながさん
新潟は今日も佳い天気ですよ。
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そんな時こそ瑣事を丁寧に

2015年08月24日 | ヤスさん日記
「なんかうまくいってないな。」
って感覚が出て来た時は
上向いている時
なのだろうと思います。
本当にうまくいってなくて修正していても
うまくいっていても某かの成長点をみつけているにしても
どちらにしても
上向いているのは間違いなだろうな
と思う今日この頃。
新潟は暑さが戻ってきましたが
やはり工房の暑さは心地よいものですね。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

上向いていると共に
足下を見直す切っ掛けにもなります。
靴をちゃんと揃えているか
等閑に文字を書いていないか
と。

うまくいってない感覚は
一瞬の判断に修正が必要でもあります。
そんな時は足下をみつめる。

先々を見通していないと
今ここを突破する力は弱くなるのかもしれません。
いつかに向けての過程のひとつひとつ
大切に過ごそうと思う職人なのでした。
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戦場ぬ止み

2015年08月23日 | ヤスさん日記
本日は
息子との一日。
映画を一緒に観るって初めての経験。
その題名が「戦場ぬ止み」ってのも
刻み込まれる時間
だなと思いつつ。
ながさん
24時間テレビもお疲れさまでした。
きっと
東北もいい時間だったでしょうね。
新潟も晴れの一日でしたよ。

約束を守るってコト。
私が大切にしたいと思いつつ
「出来ているかな?」
と過去の自分を省みつつ。

しかしながら
現代の日本を見ていると
この国を運営する頂点すらも
その約束
とゆうものを蔑ろにしている
そんな感覚を持ちます。

本当の所の流れは解りませんが
しかし
約束を約束として信頼できるのは
その説明責任があるからだろうな
と思うのです。

戦後70年
余りにも多く血が流された沖縄で
未だに
戦場はそこに在り
在り続ける
とゆう事を
私自身が沖縄に行って感じた次第です。

その横暴さが
きっと頂点に達した時には
反動とゆうエネルギーが
一気に吹き出すとき
なのかもしれません。

しかし
然し乍ら
その時まで耐えなければならない時間は
決して生易しいものではないでしょう。

そんな事を思いながら
幸せな一日は過ぎて行きます。
軽く一杯やりながら
今日をまた振り返るとします。
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独りの工房にて

2015年08月22日 | ヤスさん日記
なんとなく
読み込んだ本に書かれていた
田中 泯さんの言葉達。

誰も見ていない時に
どんな自分で居られるのかって
とても大切で
その積み重ねの御陰で
そこから湧き出るナニカが
あるのだろうと思います。

今日は独り
工房の中で
ただひたすらに
目の前の事と対峙して
その中から見出す自分のやりたい事を
またひとつ発見できたような気がします。

ばかだな
と思いつつ
でも
職人として大切なコトを
自分に課す。

ながさん
今日も佳き一日です。

「僕も小学校時代、散々いじめられた。背が低く、どもりもあったから。土に埋められ、砂も食わされた。誰も助けちゃくれない。でも、逃げ場はあった。川や森に逃げ、独りで過ごした。そこで孤独の素晴らしさを知った。
協調性ばかりが求められる世の中だけど、僕は孤独が大事だと思う。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいるんだ。
君は親や先生や友達の前ではカッコよくふるまうだろう。でも、周囲に知人がいない孤独なときにこそ、カッコよく生きてほしい。僕が思う「カッコいい」の意味は、自分の生きている理由を自分で考え、自分の意志で行動できることだ。」
《いじめを見ている君へ》田中 泯さん、朝日新聞「いじめと君」2012年7月19日
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