職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

共感と学び

2013年11月30日 | ヤスさん日記
学ぶ
という事が
論理武装するわけではない
と思うのです。
学ぶ
という事が
ただ純粋に自分の進むべき方向を
只管に進む為の時間でありたいな
と思う今日この頃。
新潟は冷たい雨が降っています。

変革
というコトを考えた時に
誰かと競い合って成すコト
ではないのだろうと思うのです。
只管に学ぶコトで
自分が変革してゆく
そのそれぞれの変革が
カタチになって世界をつくっている
のだろうなと。

共感の世の中が
既に始まっている
のでしょう。
論理をぶつけ合うよりも
共感の中から
世界は変わってゆく。

学ぶとは
その共感を確かなモノに
するためのプロセスで
自分の経験と照らし合わせて
ひとつひとつカタチになってゆくのだろうな
と思う職人なのでした。

共感の為の学びを
寒い季節は深め易い
のかもしれませんね。
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Ora Orade Shitori egumo

2013年11月29日 | ヤスさん日記
今朝は
びちょびちょとゆう音と共に
みぞれが降ってます。
鉛色の空から居りて来た
白いみぞれが屋根に降り積もり
世界を一色に近づけているようです。
静かに静かに
フジコさんの曲と共に
今日を始めて見ようと思います。

「Ora Orade Shitori egumo」

そういえば
賢治さんも
浄土真宗のお祖父さんの
影響を強く受けていたとか。

この土地に住んで
いつかを想像して見ると
親鸞さんの言葉が
響いてくるのだというコトを
感じます。

鉛色の空が
人に与える心象風景と
空の向こうにある宇宙と
肉体を離れた先の世界と。
想像を掻き立て
時には恐れ
時には憧れ
そんな心持ちを見ていたのかも
しれません。

今日は
寒くなりそうです。
先ずは
ストーブを灯したいと思います。
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ただそれだけのコト

2013年11月28日 | ヤスさん日記
五木寛之さんの親鸞から
梅原猛さんの歎異抄へ。
「善人なおもて往生をとぐ
 いわんや悪人をや」
悪人正機説と言われるもの。

昨日ふとした時に
その輪廻から抜け出していたんだ
と思ったのです。
善と悪のバランスを
とろうとしていた輪廻。

「善い行いをした」
と言われる度に
ざらざらとした心持ちと
ナニカ得体の知れないモノに
急き立てられるように
バランスをとろうとする
そんな自分が居たように思います。

しかし
今はもう
行いというのは
ただそれだけ
なんだと思うのです。

自分の真心から発心した行い
なら
ただそれだけのコト
なんだとうなと。
意味付けは周りの人がする
かもしれませんが
ただそれだけのコト。

積み重なってゆく時間が
追いかけてみても
そんな今までに立った上で
晴れ晴れと生きる事ができたら
いいな
と思う今日この頃です。
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生命として

2013年11月27日 | ヤスさん日記
殺生について
私の中にずっと住み続けている問い
「動物と植物の間に違いはあるのか?」
というコト。
誰に問いかけるコトもできない問いを
ずっと自問自答しつつ
それが文字として現れていた時に
心の中の仄かな光が
あたたかく包まれるような気がします。
ながさん
新潟は静かに始まります。

生命として
いただく力として
その捉え方で
だいぶ違うという事は承知の上で。
しかし
根本では同じ
なのだろうと思うのです。

精進潔斎
という言葉を聞いた時の違和感は
その捉え方なのだろうなと。

生命として平等であっても
それが私の生命を育む為にいただいた時に
力の注がれような違う
という事。
そう考えても
生命の循環の中で
人間はいかに多くの生命をいただいているのだろう
と思う小春日和の朝です。

五木寛之さんの親鸞も下巻終盤。
今日はじっくりと生命と向き合う
そんな時間にしたいと思います。
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黙々と

2013年11月26日 | ヤスさん日記
長野への旅で
新たな発見がありました。
いつも見ている林檎の
本当の色は
木に実をつけている姿
あの赤の赤さにこそ
林檎の赤なんだな
と思う今日この頃。
ながさん
新潟は嵐です。

搬出の際。
職人同士の空気の読み合いに
心地よさを覚えました。
お互いにやるべき事をやりながら
次の予測をし
黙々と片付けてゆく時間。

空気を読むって
きっと
自分の状況を判断する
ってコトだと思うのです。
そして読んだ上で
どうするかは
自分の判断だと言うコト。

お互いの心地よいように
また
片付けがさくさくと進むように
お互いを活かし合いながら
黙々と進む時間。

久しぶりに
職人と仕事をしたな
と思うひとときでした。

ながさん
今日は日本のひとつの大きな
歴史的一日になるようです。
政治の世界が
締め切れば締め切る程
緩む方向性があると思います。
たがが外れる時間はいつごろでしょうかね。
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カタチにできる

2013年11月25日 | ヤスさん日記
人のご縁とは
どこで繋がるのか
わかるモノでもありませんが
ふとした時の機会を
しっかりと見極めたいな
と思う今日この頃。
多くの時間を費やした
長野での日々。
その日々の中で
自分の中に育まれたコトを
地元でカタチにしたいと思います。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

カタチにできる
って
ありがたいなと思います。

そのカタチが
私は器にする事が主ですが
それ以外にでも
生活の隅々まで
また些細な事
ひとつの言葉に至るまで
カタチにするって事なんだろうな
と。

日常の瑣事が
輝くのは
そのカタチにしようという意志と
無意識が相まって
今までの経験の中から
導きだされる
今のひとつの答えなのだろうな
と思うのです。

生活の中
目の前で起こっている
ひとつひとつ
しっかりと見つめたいな
と思う職人なのでした。

ながさん
今日には新潟へ帰ります。
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アンテナの張り方

2013年11月24日 | ヤスさん日記
親鸞さんとのご縁
この長野でも。
宿舎から
善光寺様を抜けて
お店までの道のり。
その通り道に
親鸞さんの像が
鎮座している事に
今回やっと気がつきました。
見ているようで観ていない世界。
ながさん
長野は一気に冬に向っております。

アンテナを
どんな方向に張るか。
また
どんなアンテナの大きさで
どれくらいの感度があるのか。
そんなコトを考えます。

アンテナがくぐもっていては
折角のよい情報も受け取れませんし
間違った受信方法で
それを受け入れてしまうと
大変なコトが起こる可能性も
ままあるもので。

視界に入って
目に入るもの。
自分をなんとなく
そちらに導いてくれる感覚。
今の自分を省みてみると
その方向や大きさは
わかるんだな
と思う今日この頃です。

ながさん
長野での日々も最終日。
締めくくりをしっかりと
締めくくりたいと思います。
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境目

2013年11月23日 | ヤスさん日記
県央から北へ
北から南へ
新潟県は南北に長く
その文化も様々に。
それが
ひとつの新潟県として存在する
というコトが
本当はとっても不思議な事
なんではないかな
と思う今日この頃。
長野は堂塔を見つつの
爽やかな始まり。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

どんな風に境ができたかは
歴史の流れ。
その歴史の流れを感じつつ
その境を跨いでみます。
県に限らず
市町村も国も
ある意味があって
そこに境ができたり
無くなったりして
その上に私達は住んでいる
のだなと。

そんなご縁が



それぞれの境の上にる。
県境を声ながら
そんな想いがこみ上げてきます。

境があるから
飛び越える事もできるし
それぞれを感じる事もできる。
でも
地球の長い歴史の中で
境があるって
本当に不思議な事なんだな
と思う長野の朝。

この週末も
長野での出会いを満喫したいと思います。
ながさんも
良き週末を。
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共鳴

2013年11月22日 | ヤスさん日記
コミュニティのデザインをする
山崎亮さん
という方にお会いしました。
2歳程年上で自然体の人。
阪神大震災を経験して
辿り着いた覚悟。
大きな転機を軸にして
一歩一歩進み輝いている人は
強さとしなやかさがあるな
と思う今日この頃。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

共感
共鳴
その響きの中に
自分が居られたら
どかで動き続けている
誰かの力を
もらっているのかもしれません。

それは
意識をしなくとも
そして
時として意識しても。

どこかで
響き合っていて
それが
日本中に広がれば
この国の何かが
変わるのではないと
思うのです。

きっと
私達はそれぞれ
ナニカを奏で
その調べで
気があったり
あわなかったり
それらを感じながら
選択をしているのでしょう。

その様々な共鳴が
何層にも重なって
未来に輝く奏でになればいいな
と思う職人なのでした。

ながさん
今日という日は二度と無いですね。
本日もやりましょうね。
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親鸞さんと

2013年11月21日 | ヤスさん日記
親鸞
読み始めました。
五木寛之の書いたものです。
以前から
親鸞さんとの因縁を感じつつ
未だ手に取る事はなかったのですが
五木さんを通しての親鸞
親鸞を通しての五木さん
そこに私は
どんな風景をみるのか
楽しみです。
新潟は秋雨がつづきます
読書には丁度良い季節ですね。
ながさん
東京はいかがお過ごしですか。

読み始めて
今の世の中と
あの時代の共通点が
多い事に気付きます。
環境は変わっても
人の心は変わらないモノ。
これは
論語を読んでいても
同じ。

そして
今の日本が
現れる現象は違えども
あの当時の飢餓や疫病と
同じような状況に陥っている
と思うのです。

これから
著しくなってくるであろう状況。
そのやるせなさなの中で

親鸞さんに深く触れ始めているのは
必然なのかもしれませんね。

新潟にも深く関わりがある親鸞さん
冬に向けての季節を
一緒に歩みたいと思います。
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