職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

様々の流れの中で

2007年08月31日 | ヤスさん日記
家族。
地域の方々。
日本の人たち。
同じ時代を生きる人たち。

それぞれの縁の中で
自分ができることを考えていると
もしかしたらすっぽりと
抜け落ちてしまうところ
があるかもしれません。
家族に心配をかけることもしばしば。
仲間に心配かけることもしばしば。

求めているものがどこにあるのか
いや求めているというよりは
解き放っている
といったほうが合っているかも
しれませんが
一緒ということは
とても難しい問題なんだなと。

あーでも、
やっとひとつ抜け道を
仲間のおかげで見つけられたのは
ありがたい。
少し肩の力を抜いて
周りを見渡せば
満ち溢れていたのです。

そう
いつも何がしかを成し遂げたときには
みんなで笑顔に包まれていて。
あせりや苛立ちもなく
いろんなところに目を向けながらも
ちゃんと真っ直ぐに進んでいたものです。

なんて、忘れっぽくて
なんて、恵まれていることか。
もう一回やってみよう
という気になります。
今度はより楽しくより様々な形で
より沢山の人たちと。

柏崎の田んぼにも
しっかりと稲が実っていました。
自然の流れの中で生きるとは
きっと
全てを受け入れることで
次に繋げてゆけるのかな
とおもった職人なのでした。
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追伸

2007年08月30日 | ヤスさん日記
「本当にやりたいことに近づける?」
の質問に。
少なくとも今は
それしかできない
のです。
本当に必要な
コトは自分を信じることだと。

そう、
もしプイッと
消えてしまっても
どこかでまた
お馬鹿なことを
一生懸命
やっているのだなと
思ってもらえれば。

10年勤めた会社を辞めて
独立することにしました。
本当のコトに近づけるかは
本当がどこにあるのかを
探すと同じで
暗中模索ですが
まずは、自らを信じることです。


追伸
父親と二人での
修行の日々になります。
厳しくともあたたかい
とうことは
ありがたいことです。
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三十路への旅

2007年08月30日 | ヤスさん日記
ナガさん。
お誕生日おめでとうございました!!
昨日はいかがお過ごしでしたか?
ナガさん三十にして立つ
といったところでしょうか?

日常の中に意味を見出せる一日
って、大切なものだと思います。
そして、日常のふと見上げた空に
ココロあたたまるときも。
そのバランスの中で
様々のことを成してゆくのでしょうね。

二人が将来どんな
ものづくりになってゆくのか。
世界中を飛び回っているのか
自然の中でゆるゆるとやっているのか
都会の真ん中で
田舎の小屋の中で
果たしでどんな未来が待っているのか。
今の連続がどんなカタチを
織り成してゆくのか
楽しみですねー。

きっとお互いに
滑ったり転んだりしながらも
芯を外さずに
持ち上げられたり誉めそやされても
大地をしっかり踏みしめて
行きたいものですねー。

コンクリートの隙間から見える空も
田んぼが広がる畦道から見上げる空も
沢山のことに繋がっていていますねー。
では、次回上京のときは
盛大にお祝いさせてください!
ゆっくりと飲みましょう。

この一年、素晴らしい年になりますように
ココロからお祈りしています。
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尾崎豊讃

2007年08月29日 | ヤスさん日記
なぜ今尾崎なのか?
ですよねー。
私の中学時代の青春の歌
なのですが
今も変わらず光り輝いているのですよ。

周りに無意味といわれるコトに
全てを賭けられる強さと
繊細すぎる感覚に
引き裂かれる弱さと。
その互いのベクトルが
とても透明で激しい色を
見せてくれるので
今でも輝いているのかなと。

自分が表現すること
自分を表現すること
それを超えたところや
それ以前のところや
未熟なところを大切に思いながらも
投げ出してしまおうとするところや

そう、彼が留置所にいる間
とにかく太ろうとしたらしいですね。
なぜか?
留置所から出るときに
こんな自分なのだよと
曝け出すことで
本当に大切なものが残るのではないか
と思っていたのでは
ないかと私は思うのです。

目に見えるものではなく
本当のことを
探していたのでしょうねー。
最後には見つかったのかな
見つけてほしかったなと
思うわけですよ。

大切なものを投げ出すことで
大切だと確認するなんて。
と言われても
きっと、それほど大切で
切なっかたのでしょうし。
それほど大切なコトに
出会えたなんて
それは幸せなコトなのでしょうし。

お釈迦様が好きだった
美しい蓮の花が
泥の中から生まれることも
きっとそれが大切なコト
だったのだなと。

彼の初期の作品は
ほとんどが15歳のときに
書き上げられたとか
またじっくりと
コトバのひとつひとつを
味わってみたいものです。
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2007年08月28日 | ヤスさん日記
ナガさんいかがお過ごしですか?
新潟は秋を感じさせてくれる風と
長くなりそうな雨が
朝から降り続いています。
雨はナニカを少しだけ
洗い流してくれるようで
森高千里が歌いだしそうな
空であります。

突き抜けたところがどこにあるか?
とても最近感じるテーマなのですが
自分が積み上げてきたもの
習慣や観念に
拘泥されずに選択できるか
ということが。

生きていくための術とか
自分のしたいこととか
周りからの期待とか

価値観がコペルニクス的転回
をしなくても
きっと、根本の部分
に立ち返ることができれば
そこに答えはあるし
振り回されずにゆけるものですよ。
と自分に言い聞かせつつ。

見えるものが
違っていたとしても
大切なモノは
きっと
同じではないのかなと。

成長のための出会いは
様々なところにあるようです。
本やネットや
手に取った商品や
かけてもらったコトバや
そこにこもった想いを
受け取れるアンテナを
もっと高く大きく
育ててゆきたいな
と思うわけであります。


下田の写真をもう一枚。
なんとなく
密やかに過ごしたいという
衝動は
こんなところにしまっておくのが
良いようです。
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美しい時間

2007年08月27日 | ヤスさん日記
手の先に残る感触って
いつまでも残るものです。
そしてそれと同じような
感触を探してみるのですが
やっぱりその空気の中や
温度や質感やコトバや
そうそう同じ感触を味わうことは
難しいもの。

目を閉じまぶたの中に浮かぶ
それを指先でなぞったり
手のひらで包んだり。
同じ時間は味わえないように
同じ感触は味わえないとしても
次に繋がる
一歩がその中にあるような気がします。

お酒であたたかくなった身体や
それを冷やすアスファルト
伸ばした足の筋のひとつひとつ
行き交う人の楽しそうな声
見上げた空の墨のような濃淡

時間も必要のなくなる
そんな場面が
そこに在り
感じることができる
とても幸せなことだと。
そして宝物として
いつまでも手のひらや
それを超えたところにも
温度が残るのだなと。

今度はどんなところで
どんな場面が待っているのか
いつでもそれを受け止められるよう
自然体でゆきたいものです。


また下田村の写真を一枚。
神社の中に在る
昔使っていた社務所かな?
こんなところで
本を読みふけり
思索を深める時間も
きっと
宝物になるのでしょうね。
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美しい川面

2007年08月26日 | ヤスさん日記
今日は少しおぼろがかった月がでている新潟。
ナガさん東京はいかがですか?

散歩の気持ちよい日
というものはあるもので
その一歩一歩に感じる鼓動
コトバは有りながらも
伝えるにはそれはきっと必要ではないのだなと。

ぬくもりとゆうものや空気感
そんなものに包まれて過ごす時間
それはそこに在り
わかるヒトにだけでも
わかってもらえるものだと。


なにも言わずともよく
話してもよく
全てが心地よい時間
ただそこに在る
ということが大切なのだな
と思う今日この頃。

こうして見上げてる月も
幾千想いを映えて。
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上杉謙信

2007年08月25日 | ヤスさん日記
ってすごい。
私利私欲がなかった?
なかったのかな。
私欲は無かったけど。
自分は在ったのだと思うのですよ。

信仰心。
信じる力。
が、と思うのですよ。

それが、新潟を基礎をつくったような。
ココロをつくったような。
ただ今流れる信濃川を眺めながら
そう思う訳です。
ただ流れる悠久の流れ
その中に在るお互いが
とても幸せと思えることが
とても幸せだと。

川面に映える光を見て
そう感じてるわけであります。
ただそう感じられる
それがいいなーと思う職人なのでした。

上杉謙信
信濃川

は、美しいのですよ。
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セミさんと脱皮

2007年08月24日 | ヤスさん日記
ナガさんいかがお過ごしですか?
新潟は清清しい朝日とともに
涼やかな風を部屋に取り込み
新鮮な空気とともに始まる一日です。

写真をアップしてなかったなー。
と思う今日この頃。
初夏の名残の写真を一枚。

脱皮。
するときは
どんな気分なのでしょうね。
新しい世界に飛び込むとき
とは。
よく見えない目を凝らしながら
まだなれない目を凝らしながら
ぐるぐると周りを見渡したり
グッと一点を見つめたり。
新しい風を感じ
直接にあたる陽光を感じ
自分の細胞ひとつひとつが
しっかり生きているのか確認したり。

新しい世界へのワクワク感や
未だ感じえぬ空気への
期待や希望。
その後ろに残る
分身への惜別の想い
に、後ろ髪を引かれつつ。
大きく羽ばたくためには
大人のためのモラトリアムと
一気に駆け出す瞬発力に
引き裂かれながら
兎に角一歩を踏み出してみるような。

秋はもうすぐそこのようです。
すくすく育つ稲や
だんだんと高くなる空
馬も肥ゆるわけですよ。
秋は秋刀魚にビールに紅葉
日本酒に銀杏に月
いやいや、季節の楽しみは
楽しみなだけに楽しみなのですよねー。
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兎印の朱肉入れ

2007年08月23日 | ヤスさん日記
本物を見る目は
誰にも判断できないもの
ですよね。

それが誰が作ったとか
誰が評価したとか
誰がどうだとか
関係なく
それが好きだということに
尽きるのだと。

ひと目あって好きになった
朱肉いれ
いや、朱肉入れ?
ホントは違う使い方かも…。
兎に角気に入った
陶器の朱肉入れ
薄水色に鮮やかな青で
丸に兎の文字
細かな貫入があり
手の中にそっと納まる
かわいい朱肉入れ。

そうそれが
例え五百円也としても
誰にも譲れないもの。

それが工芸である限り
いや工芸以外でも
作り手のあとの
使い手が育ててくれるということが
とても大切だなと
また使い手の方々に
信用されるものづくり
信頼される自分づくり
が大切だなと。

今夜の月は
透き通るように輝き
緑から黄金に変わる稲穂を
一層輝かせているようです。
成長のときを
楽しみに
暖かく見守ってくれる
そんな月の夜は
一人での散歩より
やはり二人がいいなー
と思う職人なのでした。

きっと明日も
清清しい一日になることを
信じつつ。
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