職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

その姿勢こそが

2021年10月31日 | ヤスさん日記
金木犀の香る心地よい土曜日
朝から気持ちよく工房で仕事をしていたら。
どこからか
「やっちゃん、根詰め過ぎると貴方の能力発揮されないよ。」
と声が聞こえたような気がしました。
いや
確かに聞こえたのです。
きっと
この感覚を
ながさんなら理解してくれると思うのですが。

やっちゃんと呼ぶのは
実家の母か妹か
はたまた
息子の母かそのご家族か。
でも
そこに貴方と使う人は誰もいないな
と考えていたら
近所のコーヒー屋のソフトクリームが食べたくなり。
そろそろ紅葉も見所を見返るであろう弥彦山を遠目で眺めながら
一路車を走らせました。

確かに聞こえた声を頼りに考えてみると
様々なみなさんとの出会いの中で成長させてもらって
それが私のつくる銅器に反映されていることが
私らしい銅器づくりじゃないか
と改めて。

そう
人間的成長こそが
私の銅器づくりの原点であり
独立した際の志でもあったはず。

加瀬牧場のガンジー牛乳に
ほっとして
コーヒー屋店主と後継問題について話し。
この後継とゆうことも
私の職人人生に於いて
ずっと考えていることだったと。

解決できるかどうか
それは私だけのことではないので
わかりませんが
必ず
このことを考え続ける日々だ
とゆうことはわかります。

その姿勢こそが私らしさ。

そう
この1年ほど
私らしさを見失っていたのだ
と思います。
今改めて
今日から改めて
人に出会い成長してゆく姿を
銅器に写せるように
肩の力を抜いて
今日もコツコツと叩き始めます。
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時を経たからこそ

2021年10月30日 | ヤスさん日記
昨日
商売に関して
私の仲間を紹介するために
農家をしている
龍成の母親の従兄弟の家へ
行ってきました。
私が知っていた彼は
まだ中学生。
それから17年ほどの時が経ち
久しぶりに会った彼は36歳。

学校を出て
アメリカへ行き
農家を継ぎ
そして
その考え方を披露できるくらいに
とても賢い人に
育っていました。

いや
私が育っていた
なんておこがましいですが。
あの時の面影が残っているあの顔で
こんな話をするんだなと。

この十数年の重みを
感じたと言いますか。
仲間との商売の話を
私はただ
黙って聞いているだけでしたが
でも
きっといつか
酒を酌み交わすことがあれば
いい話ができる
そんな確信を持ちました。

いや
酒がなくても
お茶をするだけでもいい。
きっと
いい話ができる。

息子のお母さんの従兄弟
と話す場ができる。
きっと
時を経た未だからできること。
時とはそんなもので
いろんなことを溶かして
またひとつの形にするのでしょうね。
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忖度してしまう自分

2021年10月29日 | ヤスさん日記
深根で話せる。
そんな時間を過ごすことが
私のエネルギーなんだった
と改めて感じる夜。

どうしても
忖度をしてしまう。
いつの間に
そんな自分になってしまったのだろう。
とゆうことを
ある方の言葉で思い出させてもらいました。

人のせいにするわけではなく
自分がその思考に陥りやすい人間である
と実感する。

誰かに合わせて
自分をつくることは
無理が生じ。
人の作り出したイメージに
左右されてしまうことでもあり。
本来の自分
とゆうものを見失ってしまう。

そんな日々を過ごしていたんだなー
と。
昨日は気づかせてもらいました。

素直に
素直に。
自分に素直に生きる。
素直に話してみる。

スッキリして
今日を始められます。
秋雨の燕市で。
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あと少しで冬が始まります。

2021年10月28日 | ヤスさん日記
ストーブの季節。
鍋をかけて
鎚音と共にコトコトと
時間をかけてゆっくりと。
そんな過ごし方が
これからの工房の楽しみ。

何か物を無くした時に
それに関連付いた大切に思っていたことも
ぽっかりと無くなってしまったように感じる。
なんてことも
あるのだろうと感じます。

きっと
ずっと
すっきりとしたい
と思いながら出来なかったことが
そのひとつのことで
関を切る。

あぁ。
そうだったのだな
と気づかせてくれる瞬間です。

ながさん
あと少しで冬が始まります。
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読みきれない本

2021年10月27日 | ヤスさん日記
本棚覗くと
読みきれないであろう本が並んでいて
読みたいと思って買ったのに
読みきれないのは
時間の管理の甘さなのか
それとも
書いすぎる量なのか。
でも
この本に関心を持っていたのだと
背表紙を見て
その時の自分を見返る
良い機会にはなります。

そんな理由で
本棚が埋まってゆくのも
悪くはない。

ただ
願わくば
少し様々なペースを落として
インプットの時間を取りたい。

そんなことを
思いながら
今年もあと2ヶ月。
11月は
銅鍋づくり体験ツアーだけに
少し
ゆっくりと本を読めるか
とも思いつつ。

ながさん
12月には1度予定を合わせて
東京会合しますか。
話しきれない話題も溜まる一方です。
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話しすぎて寝不足な朝

2021年10月26日 | ヤスさん日記
いつもの
男子四人で
止め処ない話。
気がつけば
夜中の居酒屋で
夫婦別姓について
3時間も話していました。
親しい間柄でも
多様な意見があって
時には
熱くなりすぎることもあって。

でも
それらも含めて
私たちは
私たちで在り続けられる
と思える仲間。

次に会った時には
その議論を醸成させていて
変化し新たな論になっているでしょう。

また次
を楽しみにできる仲間たち。
変化することが
常道であると
感じられる仲間たち。
でも
不安はない。
安心して居られる仲間たち。

そんなことを
感じる夜。
話しすぎて寝不足な時には
ただひたすら
銅板を叩き続けるのが良い。
叩きながら
振り返るのがよい。
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ユーモアが必要だと

2021年10月25日 | ヤスさん日記
ユーモアが
私には足りない。

関西の仲間に会うたびに
思います。
ユーモアとは
人々の潤滑油。

機転が効かない
私には
強めのリハビリが必要なようです。

心から楽しい
と思える時間を育めるように。
私には
どんなユーモアが発せられるのか。

ユーモアを持てる男に
なりたいものです。

強く思う今日この頃
です。
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大自然に抱かれて

2021年10月24日 | ヤスさん日記
街中とは違う
大きな自然に抱かれて
遠近感とゆうものが
その状況によって
こんなにも変わるものなのか
と思うような
迫力のある山々を観ました。

まだ紅葉には早い
電波も届かないような
そんな土地で。
大きな自然に抱かれる
心地よさとともに。

いつか
こんなところに住んでみようか
なんてことも思いますが
きっと
私は街中の職人を抜け出すこともないのでしょう。
ネオン街が
日々のエネルギーを補給してれたりするもので。

でも
時として
こうやって
大自然に抱かれる時間の大切さを
感じる時間となりました。

自然に抱かれて
いつか
この世を終えたら
あの山々を私の内々なるものが
駆け回るのでしょう。
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ありがたいカウンター

2021年10月23日 | ヤスさん日記
カウンター越し
ワインと共にお話をできる
ものづくりの先輩とは
ありがたいもので。
同世代には言えない
そんなことも
歳が離れていることで
話せることもあるものです。

美味しいひととき
安心できるひととき。
ちょっとした
距離感が
これらを保ってくれるのでしょう。

ありがたいことです。
ありがたいカウンター。

ものづくりの人間として
今の現状を把握し
これからを考える。
調子の良い時こそ
未来を慎重かつ大胆に描きたい。

この満月の周辺は
遠慮しないで未来を描くのに
よい時期のようですから。

ながさん
新潟はだいぶん寒くなりました。
この18日ほどの土用が明ければ立冬
新潟も本格的な寒さが始まります。
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ビッグバンとRNA

2021年10月22日 | ヤスさん日記
今年は
金木犀が香る
と言っても
例年のように
包まれるような香り
ではなく
仄かに風に乗ってくるような
そんな香りです。
どんな環境の変化があったのか。

先日
ビッグバンから
生命の誕生には
RNAウィルスが関連している
だから
今感染症にかかるのだ
とゆう壮大なお話を聞きました。

DNAではなく
RNAが何故人間に感染するのか
とゆうお話。

RNAウィルスは細胞を持たない
情報だけを持っている
不思議な存在。
その存在が生き延びるためには
細胞が必要で
その為に寄宿する。

でも
何故寄宿できるのか。

細胞が生まれる際に
RNAこそが鋳型となり
DNAをどんどんと生み出し
だからこそ
親和性がある。
とゆうお話。

壮大です。
壮大すぎて
それを確かめる術も壮大
なのでしょう。
けれども
その物語は
納得ゆけるようなレベルまで
煮詰められている
ような気がします。

もやもやとして正しい
わけではなく
ある程度
煮詰められていて正しい。
最後の一点にはならないとしても。

この壮大なお話に
その煮詰められていない正しさを
私は感じました。
ほんの数秒ではじまった
壮大なビッグバンとともに。
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