スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典安田記念&考えることと徳

2016-06-05 19:12:40 | 中央競馬
 香港から1頭が遠征してきた第66回安田記念。ルメール騎手が左足の人差し指を骨折したためフィエロは内田博幸騎手に変更。
 ロサギガンティアはほかより少し遅れての発馬。ロゴタイプがすぐにハナに立ちました。掛かっていたモーリスが単独の2番手に。ディサイファ,コンテントメント,リアルスティールの3頭が集団での追走でしたが,リアルスティールも掛かっていたのではないかと思います。クラレント,イスラボニータ,フィエロと続きました。前半の800mは47秒0のスローペース。
 おそらく前半にかなり行きたがっていたためでしょう,直線に入ってもモーリスは後ろから追ってくる馬を警戒してなかなか追い出しませんでした。進路も少し外の方に取ったので,逃げたロゴタイプとの差も開くことに。そして我慢している間にロゴタイプにさらに差を広げられ,直線半ばではロゴタイプがほぼセーフティリード。まんまと逃げ切ったロゴタイプの優勝。前半にロスがあった分だけ迫られましたがモーリスも1馬身4分の1差の2着は死守。一番外から脚を使ったフィエロがハナ差の3着。
 優勝したロゴタイプは2013年の皐月賞を勝って以来の勝利で大レース3勝目。その時点での完成度が高く,他面からいえばその後の成長力に乏しかったため,それ以降は善戦はしても勝ちきれないというレースを続けていました。今日はあまりにすべてがうまくいったという感じが残りますが,展開次第でまだ大レースでも勝てるだけの力はあるということを証明した形。能力以上に人気になるタイプなので,馬券的妙味は薄い馬というのが僕の評価です。逆にいえば今日のように人気を下げているときは買い時だともいえるでしょう。父は2003年の中山記念とマイラーズカップ,2005年のマイラーズカップ,2007年の中山記念を勝ったローエングリン。祖母は1993年のローズステークスを勝ったスターバレリーナ。母の半姉に2001年の中日新聞杯を勝ったグランパドドゥ。その産駒に2012年のアイビスサマーダッシュとキーンランドカップ,2013年の函館スプリントステークスを勝ったパドトロワ。母の半兄に2004年のマーチステークスと東海ステークスを勝ったアンドゥオール
 騎乗した田辺裕信騎手は一昨年のJBCクラシック以来の大レース4勝目で安田記念初勝利。管理している田中剛調教師はこの馬で皐月賞を勝って以来の大レース5勝目で安田記念初勝利。

 能動的感情によって受動的感情を抑制することが論理的には可能であったとしても,実際にそれをなすということが困難なことであるのは間違いありません。これもまた第五部定理四二備考でスピノザがいっていることのひとつに属するのであり,現実的にそれができる人間はきわめて稀であるといってもいいくらいだとは思います。とくに自分自身のことを反省的に考えてみたときに,僕はそれを強く感じます。
                                     
 しかし,たとえ自分の受動的感情を抑制するというところにまでは至ることができなかったとしても,なおそれについて「考えるconcipere」という営みは人間にとって大いに効用があるし,有用であるとも僕は思うのです。なぜなら,第四部定義八から分かるように,ある事柄を自分自身の現実的本性の必然性によって理解する僕たちの力は,僕たちの徳であるからです。しかるに第三部定理三が示しているのは,僕たちは十全な観念を有する限りで能動的であるということ,あるいは僕たちは事物を十全に認識する限りにおいて能動的であるということです。したがって理性的に事物を認識するということは,認識される事物の如何を問わず,僕たちにとって徳である,あるいは有徳的であるということになります。第四部定理二四は単に僕たちの精神による事物の認識に限定して,僕たちが有徳的であるとはどういうことであるのかを示した定理ではありませんが,僕たちが理性的に,すなわち共通概念を基礎として事物を認識するということは僕たちにとっての徳であるということを明らかに含んでいるといえるでしょう。
 ですから,たとえ僕たちがある悲しみを感じ,その悲しみを除去するだけの相反する感情を僕たちの現実的本性から産出することができず,よってその悲しみから逃れるということができなかったとしても,なおその悲しみについて考えるということは無意味であるということにはならないのです。もしも僕たちがその悲しみを十全に認識する,すなわち第一部公理四によってその悲しみを原因から認識するということに到達するなら,それは僕たちにとっての徳であるからです。もちろんそれは悲しみを考えるという場合に限定的ではありません。
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