スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦コナミグループ杯&返信

2023-12-26 19:31:51 | 将棋
 21日に指された第49期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は広瀬章人九段が1勝,伊藤匠七段が1勝。
 振駒で伊藤七段の先手。3三金型の角換わり相腰掛銀。この将棋は中盤の戦いに入る前に千日手となりました。これは後手がうまくやったといえる結果でしょう。
 広瀬九段が先手となった指し直し局は矢倉。この将棋はずっと難しい将棋に思えたのですが,感想戦の内容からは先手が作戦勝ちをしていたということで両者が一致していたようです。先手は攻めていくのではなくて待ち,後手に攻めさせた方がよかったといっていましたが,実戦の進展でも先手が悪いというわけではなかったと思います。
                                        
 第1図で☗5六銀と上がりましたが,☖5五銀上が生じて一遍に後手の勝ちになりました。☗6七桂と打っておけば一気の寄せはなかった筈なので,まだ終盤戦が続いていたのではないでしょうか。
 敗者組の伊藤七段が勝ったので第二局が今日指されました。

 スピノザが送った書簡のすべてが遺稿集Opera Posthumaに掲載されたわけではありません。ただ,スピノザがアルベルトAlbert Burghには返事を送ったけれどもステノNicola Stenoには送らなかったということは,史実として確定させていいと僕は考えています。これは次の理由によります。
 アルベルトがスピノザに送った書簡六十七は,遺稿集に掲載されました。対してステノがスピノザに送った書簡六十七の二は,遺稿集には掲載されず,1921年になってようやくスピノザへの書簡として発見されたものです。前もっていっておいたように,アルベルトの書簡は理知性の欠片も感じさせないような罵詈雑言に終始しているのに対し,ステノの書簡はステノがスピノザの考え方を知り,それに対して反論を試みるという内容の,こういってよければ理知性を感じさせる書簡です。ですから書簡としての価値はステノからの手紙の方がずっとあるものです。それなのに遺稿集の編集者たちは,価値が高い方は掲載せずに価値の低い方を掲載するという措置を採りました。これがなぜかと考えれば,アルベルトに対してはスピノザが書簡七十六という返信を送っていて,この返信を遺稿集に掲載する価値があると編集者が考えたからでしょう。つまりスピノザの返信を掲載するために,その返信相手からの書簡を掲載したのです。ということは,もしもスピノザがステノに返信を送っていれば,遺稿集の編集者たちはきっとそれを遺稿集に掲載する価値があると考えたでしょう。そしてその場合にはステノからの書簡も掲載された筈なのです。スピノザは自身が送った書簡と自身が受け取った書簡のすべてを保管していたのですから,そのことは編集者たちにとって可能であったのは間違いないと思われます。しかしこのようにはならず,アルベルトからの書簡だけが掲載され,ステノからの書簡は掲載されませんでした。これはおそらく,スピノザがステノには返信を送らなかったために,それ自体が保管されるということもあり得なかったからです。ですからスピノザがステノに返信を送らなかったということは,かなりの確率で史実としてよいと僕は考えるのです。
 スピノザはたぶん返信したいとは思っていませんでした。
コメント
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