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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

有馬記念&決断

2023-12-24 20:13:10 | 中央競馬
 グランプリの第68回有馬記念
                                       
 好発はスターズオンアース。内から追い抜いていったタイトルホルダーが先手を奪い,スターズオンアースは2番手に。3番手にプラダリア。4番手にシャフリヤールとハーパー。2馬身差でウインマリリン。2馬身差でアイアンバローズ。2馬身差でタスティエーラ。9番手にソールオリエンスとスルーセブンシーズ。11番手にディープボンド。12番手にヒートオンビート。13番手にライラック。14番手にホウオウエミーズとドウデュース。2馬身差の最後尾にジャスティンパレスという隊列。タイトルホルダーのリードは2周目の向正面に入るあたりで4馬身くらい。3コーナーにかけて6馬身差くらいまで広がりました。ミドルペース。
 スターズオンアースとプラダリアが並んで差を詰めていくと,外から絶好の手応えでドウデュースが捲り上げてきました。直線に入るとプラダリアは一杯。スターズオンアースとドウデュースが並んでタイトルホルダーに迫っていき,外のドウデュースが差し切って優勝。スターズオンアースが半馬身差の2着で逃げ粘ったタイトルホルダーが1馬身差で3着。追い込んできたものの届かなかったジャスティンパレスがアタマ差の4着でシャフリヤールがクビ差で5着。
 優勝したドウデュースは京都記念以来の勝利。大レースは昨年のダービー以来の3勝目。このレースはソールオリエンスとタスティエーラが有力と思っていたのですが,僕が思っていたほど走れませんでした。3歳馬のレベルがそれほど高くないのかもしれませんし,タイトルホルダーが離して逃げるような形のレースへの対応力が欠けていたからかもしれません。このあたりは来年以降に判明するでしょう。ドウデュースは京都記念を勝った後にドバイに遠征したのですが,出走するに至りませんでした。休養に入って秋に復帰してからは勝ち負けに参加できないレースが続いていたのですが,この馬はレースを使っていくことで復調するタイプなのかもしれません。なので久々で強敵が相手というケースでは割り引いた方がいいのかもしれません。父は第50回を勝ったハーツクライで父仔制覇。英語表記はDo Deuce。
 騎乗した武豊騎手大阪杯以来の大レース制覇。第35回,51回,62回に続き6年ぶりの有馬記念4勝目。管理している友道康夫調教師は昨年のチャンピオンズカップ以来の大レース20勝目。有馬記念は初勝利。

 工藤がスピノザの哲学の中にカトリックの教義と類似したものを見出したからといって,それだけでカトリックの洗礼を受けるということは,スピノザの研究者として大きな決断であったと思われます。それは,スピノザ自身とカトリック,これはローマカトリックですが,その関係が悪いものであったからです。
 スピノザはオランダで産まれました。最初はアムステルダムAmsterdamのユダヤ人共同体に住んでいたわけですから,キリスト教徒との関係はそれほど持っていなかったといえるでしょう。それほどというのは,スピノザの父は商人で,ユダヤ人商人はユダヤ人とだけ取引していたわけではなく,オランダ人とも取引していましたし,貿易などではオランダ人以外との取引もありました。またそうした商売のうちには,オランダ人と協力したものもあったと思われます。というのは,父が死んだ後はスピノザもそれを引き継いでいて,その頃の商人仲間にはオランダ人がいましたから,いくらユダヤ人共同体の中で暮らしていたからといって,キリスト教徒との関係が皆無であったとは考えられません。
 スピノザが家業を引き継いだ後の商人仲間の中にはキリスト教徒がいて,その中にはスピノザと生涯にわたって親しい交際を続けた人びともいます。とくにキリスト教のコレギアント派collegiantenといわれるグループの人びとはスピノザとの関係が良好であったとされています。ただコレギアント派というのはキリスト教の主流グループではありませんから,かれらとの関係からスピノザとキリスト教徒との関係を論じることはできません。オランダで主流だったのはプロテスタントのカルヴァン派といわれるグループで,カルヴァン派の牧師たちとスピノザとの関係はよいものではありませんでした。これは単に宗教上の理由だけで説明することはできず,政治的文脈も関わるのであって,基本的にカルヴァン派の牧師たちは王党派といわれる反動的な政治集団と結託していて,スピノザの立場は王党派と対立する議会派の立場にどちらかといえば近かったのです。カルヴァン派の牧師のすべてが反スピノザの立場だったとはいいませんが,スピノザとの関係は総じて悪かったといえます。
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