11日に指された第13期女流王座戦五番勝負第四局。
加藤桃子女流四段の先手。やや変わった手順でしたが後手の里見香奈女流王座が相手にせずに普通に指したのでごきげん中飛車①-Aに合流しました。

この将棋はここでの対応がすべてでした。
実戦は単に☗3五角と逃げ☖6八金☗同角。そこで☖7八金と詰めろで打つ手が生じたので☗同銀☖6八龍で後手が大きなリードを奪いました。
第1図では☗6七同金☖同角成に☗3五角と逃げれば後手から攻めていく手順がないので☖3四馬と引くことになります。これならまだ互角の戦いが続いていました。
3勝1敗で里見女流王座が防衛。第3期,6期,7期,8期,11期,12期に続く三連覇で7期目の女流王座です。
『スピノザーナ15号』の吉田による工藤へのインタビューのまとめは,まず吉田の解説があって,その後にインタビューで工藤が語ったことがまとめられています。先にみていくのは,吉田による解説です。ただしこの部分は,工藤がスピノザの哲学のどこに注目しているのかという観点ではなく,ここでこのような考察をすることの正当性と関係します。
吉田によれば,工藤は2009年に目白大学人文学研究に寄稿をしています。工藤は2000年に目白大学の副学長になり,2009年には目白大学の名誉教授に就任していますから,ここに寄稿するのは自然なことです。前もっていっておいたように,工藤寿子によれば2005年の春にカトリックの洗礼を受け,著者紹介によれば2007年にカトリック教会にて受洗となっていますので,このふたつが同じことを意味するのであれ違うことを意味するのであれ,この寄稿は工藤がカトリックの洗礼を受けた後のものです。
この寄稿は「宗教としてのスピノザ哲学」という題名であったようです。その中で工藤は,スピノザはキリストが神Deusであると認めなかったけれど,それは哲学上の立場からの建前であって,心情としては,キリスト教徒が解するような神の子としてのイエスを考えていたのであって,この意味で隠れキリスト教徒であったという意味のことをいっています。このことから直ちに理解できるように,工藤はスピノザの哲学とカトリック,この文章に照合させていうなら,スピノザの哲学とキリスト教の間に明らかに一致点を発見することができると考えていたことになります。まずこの事実だけで,この部分の考察の前提が誤ってはいないということが分かるでしょう。そしてこの文章から察すると,スピノザの哲学の中に,キリスト教あるいはカトリックに寄っていくような一面があると工藤はみているのです。つまり工藤はどちらかといえば,キリスト教の教義の中にスピノザの哲学と一致する部分があるというようにみていたのではなくて,スピノザの哲学は,部分的にではあれキリスト教の教義を肯定していたスピノザという人間から出てきたものであるという見方をしていたことになります。
加藤桃子女流四段の先手。やや変わった手順でしたが後手の里見香奈女流王座が相手にせずに普通に指したのでごきげん中飛車①-Aに合流しました。

この将棋はここでの対応がすべてでした。
実戦は単に☗3五角と逃げ☖6八金☗同角。そこで☖7八金と詰めろで打つ手が生じたので☗同銀☖6八龍で後手が大きなリードを奪いました。
第1図では☗6七同金☖同角成に☗3五角と逃げれば後手から攻めていく手順がないので☖3四馬と引くことになります。これならまだ互角の戦いが続いていました。
3勝1敗で里見女流王座が防衛。第3期,6期,7期,8期,11期,12期に続く三連覇で7期目の女流王座です。
『スピノザーナ15号』の吉田による工藤へのインタビューのまとめは,まず吉田の解説があって,その後にインタビューで工藤が語ったことがまとめられています。先にみていくのは,吉田による解説です。ただしこの部分は,工藤がスピノザの哲学のどこに注目しているのかという観点ではなく,ここでこのような考察をすることの正当性と関係します。
吉田によれば,工藤は2009年に目白大学人文学研究に寄稿をしています。工藤は2000年に目白大学の副学長になり,2009年には目白大学の名誉教授に就任していますから,ここに寄稿するのは自然なことです。前もっていっておいたように,工藤寿子によれば2005年の春にカトリックの洗礼を受け,著者紹介によれば2007年にカトリック教会にて受洗となっていますので,このふたつが同じことを意味するのであれ違うことを意味するのであれ,この寄稿は工藤がカトリックの洗礼を受けた後のものです。
この寄稿は「宗教としてのスピノザ哲学」という題名であったようです。その中で工藤は,スピノザはキリストが神Deusであると認めなかったけれど,それは哲学上の立場からの建前であって,心情としては,キリスト教徒が解するような神の子としてのイエスを考えていたのであって,この意味で隠れキリスト教徒であったという意味のことをいっています。このことから直ちに理解できるように,工藤はスピノザの哲学とカトリック,この文章に照合させていうなら,スピノザの哲学とキリスト教の間に明らかに一致点を発見することができると考えていたことになります。まずこの事実だけで,この部分の考察の前提が誤ってはいないということが分かるでしょう。そしてこの文章から察すると,スピノザの哲学の中に,キリスト教あるいはカトリックに寄っていくような一面があると工藤はみているのです。つまり工藤はどちらかといえば,キリスト教の教義の中にスピノザの哲学と一致する部分があるというようにみていたのではなくて,スピノザの哲学は,部分的にではあれキリスト教の教義を肯定していたスピノザという人間から出てきたものであるという見方をしていたことになります。