1983年にテリー・ファンクが引退したことにより,馬場は年末の世界最強タッグ決定リーグは,ドリー・ファンク・ジュニアと組んで出場。それまで馬場と組んでいたジャンボ・鶴田が天龍源一郎と組むようになりました。これは⑩にも出てきた,佐藤昭雄の改革とも関連した動きです。しかし鶴田のパートナーとしての天龍は,自分は鶴田の添え物でしかないと感じていたそうです。鶴田と天龍のチームは,天龍が相手の技を受けることによって鶴田が引き立つチームであると天龍は感じていたのですが,鶴田はそのようには思っていなかったようです。というか,天龍には鶴田がそのように思っているとはみえなかったそうです。
そのことばかりではなく,天龍はこの時代には鶴田のプロレススタイルを尊敬できなくなっていたといっています。それは相手に対する敬意が感じられず,むしろ相手を見下すような試合をしていたからです。この点についてはキラー・カーンも似たようなことをいっていますので,いずれもう少し詳しく説明することにしましょう。
ですからこの時代には天龍は,すでに鶴田とタッグを組むことには嫌気がさしていたようです。なので本来は天龍はそのタッグを解消する方向に進みたかったのだろうと想像されます。ところが状況がそれを許さなくなりました。ジャパンプロレスが全日本プロレスと提携したために,対抗戦時代に入ったからです。なので天龍は鶴田とのタッグを続け,長州力や谷津嘉章らと戦わざるを得ませんでした。この時代はそれほど長く続かなかったわけですが,それが終わった後すぐに天龍が鶴田に対して牙を剥いたのは,必然であったといえるでしょう。つまりそれは,全日本プロレスを盛り上げていくということだけを目的としていたわけではなく,天龍自身の意向や感情も含まれていたということなのです。
その結果,天龍は阿修羅・原とタッグを組んで,鶴田と戦うようになりました。この構図については馬場の了承があったのですが,なぜ馬場が了承したのかということについて,天龍は面白い考察をしています。そこにはそのころにデビューした輪島大士の存在が関係していたというものです。
近藤は,直感は得点を獲得する場合には有効だけれど,失点を回避するためにはさほど有効ではないという主旨のことをいっていました。しかし実際に直感の有効性を決めるのは,直観scientia intuitivaを導き出すための第二種の認識cognitio secundi generisの蓄積の有無に関わるのであり,そのことを僕は近藤が著書で取り上げている一局を例証することによって明らかにしました。この局での近藤は,明らかに第三種の認識cognitio tertii generisを駆使することによって失点を回避しているのです。そしてそれはあくまでもデジタルの一部,そうでなくともデジタルから導き出される失点の回避なのであって,オカルトに依拠したプレイであったわけではありません。そして近藤自身が直感はオカルトとは異なると強調しているように,近藤自身はプレイヤーとしてはオカルトに依拠するプレイヤーではなく,デジタルに基づいたプレイヤーであるということになるのです。
同時に近藤は,だからといってオカルトに依拠してプレイすることを全面的に否定するわけではないともいっています。つまりこの点でも僕の見解opinioと近藤の見解は一致します。もちろん近藤がこのように述べるのは,現実的にオカルトに依拠してプレイするプロが存在しているからであって,そういうプレイヤーに対して配慮をしているのだと解することもできるでしょう。しかし僕の読解では,そうではありません。あるいは少なくともそればかりではありません。なぜなら近藤はその根拠というのを示していて,かつその根拠が,僕が示したものとは異なっているからです。つまり近藤は僕とは別の論拠によってオカルトを全面的には否定しないといっているのであって,そしてその論拠は確かに近藤がそのようにいう論拠として成立しているのです。ここからはその論拠をみていきます。
日本での麻雀のプロの歴史というのは,それほど長いものではありません。プロの世界が誕生した頃やそれからすぐ後にプロになったプレイヤーが,今でも現役でプレイしているくらいの歴史です。その黎明期というのは,当然ながら麻雀の理論というのは成熟していませんでした。そのために当時のプレイヤーは,麻雀で勝つために自分なりの法則性を追求し続けていったのです。
そのことばかりではなく,天龍はこの時代には鶴田のプロレススタイルを尊敬できなくなっていたといっています。それは相手に対する敬意が感じられず,むしろ相手を見下すような試合をしていたからです。この点についてはキラー・カーンも似たようなことをいっていますので,いずれもう少し詳しく説明することにしましょう。
ですからこの時代には天龍は,すでに鶴田とタッグを組むことには嫌気がさしていたようです。なので本来は天龍はそのタッグを解消する方向に進みたかったのだろうと想像されます。ところが状況がそれを許さなくなりました。ジャパンプロレスが全日本プロレスと提携したために,対抗戦時代に入ったからです。なので天龍は鶴田とのタッグを続け,長州力や谷津嘉章らと戦わざるを得ませんでした。この時代はそれほど長く続かなかったわけですが,それが終わった後すぐに天龍が鶴田に対して牙を剥いたのは,必然であったといえるでしょう。つまりそれは,全日本プロレスを盛り上げていくということだけを目的としていたわけではなく,天龍自身の意向や感情も含まれていたということなのです。
その結果,天龍は阿修羅・原とタッグを組んで,鶴田と戦うようになりました。この構図については馬場の了承があったのですが,なぜ馬場が了承したのかということについて,天龍は面白い考察をしています。そこにはそのころにデビューした輪島大士の存在が関係していたというものです。
近藤は,直感は得点を獲得する場合には有効だけれど,失点を回避するためにはさほど有効ではないという主旨のことをいっていました。しかし実際に直感の有効性を決めるのは,直観scientia intuitivaを導き出すための第二種の認識cognitio secundi generisの蓄積の有無に関わるのであり,そのことを僕は近藤が著書で取り上げている一局を例証することによって明らかにしました。この局での近藤は,明らかに第三種の認識cognitio tertii generisを駆使することによって失点を回避しているのです。そしてそれはあくまでもデジタルの一部,そうでなくともデジタルから導き出される失点の回避なのであって,オカルトに依拠したプレイであったわけではありません。そして近藤自身が直感はオカルトとは異なると強調しているように,近藤自身はプレイヤーとしてはオカルトに依拠するプレイヤーではなく,デジタルに基づいたプレイヤーであるということになるのです。
同時に近藤は,だからといってオカルトに依拠してプレイすることを全面的に否定するわけではないともいっています。つまりこの点でも僕の見解opinioと近藤の見解は一致します。もちろん近藤がこのように述べるのは,現実的にオカルトに依拠してプレイするプロが存在しているからであって,そういうプレイヤーに対して配慮をしているのだと解することもできるでしょう。しかし僕の読解では,そうではありません。あるいは少なくともそればかりではありません。なぜなら近藤はその根拠というのを示していて,かつその根拠が,僕が示したものとは異なっているからです。つまり近藤は僕とは別の論拠によってオカルトを全面的には否定しないといっているのであって,そしてその論拠は確かに近藤がそのようにいう論拠として成立しているのです。ここからはその論拠をみていきます。
日本での麻雀のプロの歴史というのは,それほど長いものではありません。プロの世界が誕生した頃やそれからすぐ後にプロになったプレイヤーが,今でも現役でプレイしているくらいの歴史です。その黎明期というのは,当然ながら麻雀の理論というのは成熟していませんでした。そのために当時のプレイヤーは,麻雀で勝つために自分なりの法則性を追求し続けていったのです。