スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本発祥倉茂記念杯&飯田正人

2022-01-18 19:16:45 | 競輪
 大宮記念の決勝。並びは黒沢‐宿口‐平原‐武藤の埼玉,深谷‐和田の南関東,山田‐原口の九州で成田は単騎。
 武藤がスタートを取って黒沢の前受け。5番手に成田,6番手に山田,8番手に深谷で周回。残り2周のホームから深谷が上昇。誘導を斬った黒沢は深谷を前に出させないまま打鐘から突っ張り先行。深谷は引かざるを得なくなり,周回中と同じ並びの一列棒状になりましたが,5番手の成田と6番手の山田の間に差がついてしまいました。バックに入ると宿口が番手から発進。山田と深谷は不発に終わり,前の4人が抜け出しました。宿口との車間を開けていた平原が直線から踏み込んで優勝。直線の手前から踏み出した成田が大外から伸びて1車身半差で2着。平原マークの武藤は4分の3車輪差の3着までで番手捲りの宿口が4分の3車身差で4着。
                                        
 優勝した埼玉の平原康多選手は10月の寛仁親王杯以来の優勝。記念競輪は3月の大垣記念以来で記念競輪28勝目。大宮記念は2008年,2010年,2011年,2013年,2015年,2017年,2020年,2021年と優勝していて三連覇となる9勝目。このレースは自力がある4人でラインを組んだ埼玉勢が圧倒的に有利。前受けすることができた時点で,ラインから優勝者が出ることがほぼ確実に見込めました。山田と深谷は何としてもスタートを取らなければいけなかったと思います。着差からは余裕があったようですので,平原はもっと宿口との車間を開けてもよかったかもしれません。

 『脳内革命』が出版されたのは1995年です。近藤が麻雀のプロになったのは33歳のときで,近藤の生年は1963年ですから,それは1996年になります。もちろん近藤はプロになる以前から麻雀をプレイしていたわけですから,これだけで麻雀に関連する事柄を『脳内革命』と関連付けて腑に落ちたといっていることを後付けだということはできません。ただし近藤は,基本的に麻雀は理論に基づいてプレイしていて,直感を用いるようにしたのにはある契機がありました。それはプロとして近藤が師事していた,あるいは私淑していた,飯田正人の死です。飯田は最強の麻雀プロであった可能性がある人物です。
 近藤は飯田に師事していたので,飯田のプレイについて,なぜそのプレイをしたのかを何度か尋ねたことがあるのですが,飯田はまともに答えることができなかったので,尋ねることを諦めたという意味のことをいっています。ただしそれは,飯田のプレイを理解することを諦めたというのとはちょっと違います。なぜそのプレイが発生するのかを,当人に尋ねるのではなく,自分で考えるようにしたということです。
 これは近藤がプロになった後のことです。すなわち『脳内革命』が出版された後のことです。ですから右脳と左脳の働きの違いということは理解していたことになります。近藤は著書でそのように明言しているわけではありませんが,飯田は左脳ではなく右脳を駆使して麻雀をプレイしているのであり,それを左脳の働きによって説明することができないのであるというように解し,それを自身の左脳によって言語化することを試みたわけです。飯田のプレイが発生する理由を近藤が自分で考えるということを,『脳内革命』と関連付けて説明するなら,そういうことになるでしょう。
 飯田の死後に近藤は急速に力を発揮するようになり,プロの中でもトッププロといえる存在になりました。そのことと,近藤が左脳より右脳を駆使してプレイすることを心掛けるようになったことの間には,はっきりとした因果関係があると思われます。飯田が死んだことによって近藤は師匠の真似をするようになり,それが強くなる契機となったのです。
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