スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ALSOK杯王将戦&独学

2022-01-11 19:08:01 | 将棋
 9日と10日に掛川城二の丸茶室で指された第71期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は渡辺明王将が2勝,藤井聡太竜王が8勝。
 振駒で藤井竜王が先手となり相掛り。先手の引き飛車に後手の渡辺王将の浮き飛車という戦型でした。
 この将棋は131手目に先手が桂馬を跳ねる手があり,これを後手が見落としていたことで勝負が決まりました。ただこの手自体は絶妙手の類になると思います。
 この手が成立するのは先手の玉が5八にいるため,後手玉が上がってきた場合に詰みがあるからです。実戦はそのように進みました。後手が先手の玉を5八に追わないようにするためには,124手目より前までに遡らなければなりません。一方,☖5二王と逃げれば詰みません。その場合は先手は☗4九玉と早逃げして,☖7六馬☗3八玉と第1図のように進みます。
                                        
 このように玉を安全地帯に逃がすのは,桂馬を跳ねた局面でもある手段です。その場合は第2図になります。
                                        
 第1図でも第2図でも,先手が優勢なのには変わりないでしょう。ただ第2図は後手が入玉を目指す手段があるのに対し,第1図はそれがないので,第1図の方が先手は格段に勝ちやすくなっています。この比較から,桂馬を跳ねたのがいかに絶好のタイミングであったのかということが理解できるのではないでしょうか。
 藤井竜王が先勝。第二局は22日と23日に指される予定です。

 これは近藤は語っていないことですが,黎明期の麻雀のプロたちが構築していった理論の中には,現代の麻雀の理論の礎となったものもある筈です。現代でもオカルトに依拠するプレイヤーが存在する以上,現代の麻雀の理論とデジタルに基づくプレイを等置することはできないでしょうが,その中には,デジタルに基づく麻雀の基礎となったものもあったろうと僕は推測します。いかに各人が独自の方法で麻雀を学んでいくにしても,だれにでも成立するような真理veritasがそこに含まれないということは考えにくいからです。
 実際には麻雀というのは複数人でプレイするものですから,独自の研究といっても,複数人で見解opinioをすり合わせるというようなことはあったかもしれません。しかしこの当時の戦術というのは,先達から学ぶということはできなかったわけですから,そのほとんどが本来的な意味で独学であったといえます。ですからその独学の中には,もちろん論理的な裏付けができるものもあったでしょうが,そのような裏付けのない,オカルトに依拠したものも多くあったのは間違いありません。もちろんそのオカルトのすべてが,後の時代まで生き残るということはなかったでしょうが,その一部は現在まで継続しているのです。このことは,現在でもオカルトに依拠するプレイヤーが存在しているということが事実として物語っているといえるでしょう。
 こうした事情ですから,オカルトに依拠してプレイすることを全面的には否定しないと近藤はいうのです。すなわち,黎明期の麻雀の戦術にオカルトの要素が入ってくるのは当然のことですし,同時にその黎明期のプレイヤーが現役としてまだ存在している時代に,そうした思想が淘汰されるわけもないからです。ですから近藤がオカルトを全面的に否定しないといっているのは,そうしたプレイヤーが現に存在しているために,そういったプレイヤーに対して配慮をしているというだけでなく,きちんとした理由があってのことであると僕は解します。
 近藤は,自身もまた自分なりの法則性というのを模索していた時期があったと明かしています。そういう経験があったことも,近藤の見解に影響したでしょう。
コメント
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