スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

報知オールスターカップ&誤謬の犯しやすさ

2022-01-03 19:22:40 | 地方競馬
 川崎記念トライアルの第58回報知オールスターカップ。川島正太郎騎手が病気のためエルディクラージュは左海騎手に変更。笹川騎手は1日の7レースで落馬。今日の3レースの騎乗後に胸部に疼痛が出たためタイサイは達城騎手に変更。ラッキードリームは枠の中で立ち上がって負傷したため競走除外となって13頭。
                                        
 外から出たトランセンデンスを制してノーヴァレンダの逃げ。タイサイが2番手に上がり3番手にトランセンデンス。この後ろは4馬身ほど開いてハイランドピーク。5番手にゴールドホイヤーとフレッチャビアンカとエルディクラージュ。5馬身差でセイカメテオポリスとアングライフェンとロードゴラッソ。3馬身差でチェスナットコート。4馬身差でブラヴール。6馬身差の最後尾にブラックバゴという長い隊列で発走後の向正面を通過。例によって1周目の正面で隊列が短くなっていきました。ハイペース。
 2周目の向正面で早めに外から上昇してきたのがエルディクラージュ。ここでタイサイは一杯になり,エルディクラージュが2番手に。ハイランドピークとフレッチャビアンカ,ロードゴラッソという順で前を追いました。最終コーナーで逃げたノーヴァレンダは楽なのに対し,エルディクラージュは1馬身差で押しながらついていく形。しかし3番手まで追い上げてきたフレッチャビアンカとは4馬身くらいの差に。直線に入るとノーヴァレンダがエルディクラージュを引き離していき,鋭く逃げ切って優勝。積極的なレースをしたエルディクラージュが2馬身半差で2着。フレッチャビアンカは直線で一杯。その後ろから追ってきたロードゴラッソが2馬身半差で3着。
 優勝したノーヴァレンダは前走のA2以下戦からの連勝。南関東重賞は初制覇ですが2018年に全日本2歳優駿を勝っています。それ以降はずっと勝てていませんでしたが,重賞では3着に入っていて,南関東重賞なら力は上位。昨年の秋から南関東に転入し,初戦のオープンは2着でしたが,そこから連勝。年齢的に大きな上積みは見込めないでしょうが,南関東重賞ならまだチャンスがあるだろうと思います。父はダイワメジャー。母の父はクロフネ。母の10歳上の半姉に1996年に報知杯4歳牝馬特別を勝ったリトルオードリー。Nova Lendaはポルトガル語で新しい伝説。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手ハイセイコー記念以来の南関東重賞48勝目。第51回以来7年ぶりの報知オールスターカップ2勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞は19勝目。報知オールスターカップは初勝利。

 受動感情を明瞭判然と認識するcognoscereことを肯定するaffirmare意志作用volitioを有しているほど,実際に感情affectusを受動したときに,それを明瞭判然と認識する機会が多くなるのは明白でしょう。ゆえに常日頃からこうした意志作用を有している人ほど,自身の受動感情をそれだけ多く明瞭判然と認識しようと心掛けることになり,その分だけ自由の人homo liberとなる,つまりその限りにおいて受動感情が受動passioではなくなるようになるのです。僕が,麻雀というゲームのような場合にも成立するといいたかったのはこのようなことであり,このために,普段は受動感情のままに生活をしている人が,麻雀をプレイするときだけそこから逃れることは,絶対に不可能であるとはいいませんが,きわめて困難であるといったのです。つまり,自由の人である割合が多い人ほど,麻雀においてもプレイ中の受動感情を明瞭判然と認識することによって,その感情から逃れるケースが多くなるのに対し,奴隷servusである割合の高い人は,麻雀のプレイ中に受動感情を明瞭判然と認識することは困難なので,その分だけその受動感情に基づいてプレイしてしまうケースが増加することになるでしょう。そしてすでに示したように,麻雀のようなゲームにおける誤謬errorというのは,こうした受動感情の影響を受けることによって発生するケースが多いわけですから,自由の人である割合の高い人ほどゲームでも誤謬を犯すことは少なくなるのに対し,奴隷である割合が高い人ほど,この種の誤謬に陥ってプレイする確率が高くなるのです。
 こうした事情なのですから,それがデジタルに基づいてプレイするのか,それともオカルトに依拠してプレイするのかということとは,実は無関係であるということもまた明晰に理解できると思います。麻雀はデジタルに打つことを目指すといいながらも,普段は奴隷である割合が高いというケースは当然あり得ますし,逆に麻雀はオカルトに依拠してプレイするけれども,普段の生活では自由の人である割合が高いというケースもあり得るからです。この両者を比較するなら,誤謬を犯しやすいのは後者ではなく前者ということになるのです。
 それでは,オカルトの発生の契機の哲学的考察に入ります。
コメント
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