スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

蒲生氏郷杯王座競輪&第二部定理四〇備考二

2021-09-12 19:24:04 | 競輪
 松阪記念の決勝。並びは宿口‐平原‐木暮の関東,郡司‐守沢の東日本,清水‐中本-園田の西国で浅井は単騎。
 平原がスタートを取って宿口が前受け。4番手に浅井,5番手に郡司,7番手に清水で周回。残り2周のホームの入口手前から清水が上昇。ホームで宿口を叩きました。清水ラインに続いたのが郡司。バックで動いて清水を叩いたところで打鐘。ここから宿口が反撃。郡司は突っ張り,宿口を前に出させませんでした。守沢の牽制を受けた宿口は,ホーム過ぎのコーナーで浮いてしまい不発。3番手になった清水がバックから発進しましたが,また守沢の牽制があり,郡司に並び掛けるところまでなかなかいけませんでした。この間に単騎の浅井が捲ってくるとそのスピードが抜群。直線に入るとすぐに先頭に出て,そのまま抜け出して優勝。直線の手前で浅井にスイッチするような形になった園田が2車身差の2着。守沢,清水,中本の3人による4分の3車身差の3着争いを制したのは内の守沢。外の中本が微差の4着で清水が4分の1車輪差で5着。大波乱の結果となりました
 優勝した三重の浅井康太選手は前回出走の松山のFⅠから連続優勝。記念競輪は昨年12月の別府記念以来の30勝目。松阪記念は2012年に優勝していて9年ぶりの2勝目。このレースは脚力では郡司と清水,展開からは平原という争い。その各々のラインが競り合う形になったので,単騎で脚を溜めた浅井の捲りが炸裂することになりました。浅井は現状は自力で勝負するときは,この展開が勝ちパターンになっているようです。力は依然としてありますので,車券の面からはどういうメンバーになっても軽視は禁物といえる存在です。

 商人に何か意味があるわけではありません。スピノザにとって,あるいはスピノザが生きていた時代において,こうした計算をするのは商人が代表的であったのでしょう。商人がなぜそのように計算をするのか,スピノザは備考Scholiumの中でいくつかの例を示しています。
                                   
 「これは彼が先生から何の証明もなしに聞いたことをまだ忘れずにいたためであるか,あるいは彼がごく簡単な数でそれをしばしば経験したためか,あるいはまたユークリッド第七巻の定理一九の証明すなわち比例数の共通の特質に基づいたかである」。
 このうち,先生から聞いたことを忘れずにいた場合と,しばしば経験した場合は,第一種の認識cognitio primi generisに属します。ユークリッド第七巻に負っている場合は,第二種の認識cognitio secundi generisに属します。どちらの場合でも正しい答えが出るのですが,各々の認識は異なります。他面からいえば,第一種の認識に頼っていても,正しい答えを出すことができる場合があるのです。第一種の認識は混乱した観念idea inadaequataで,第二種の認識は十全な観念idea adaequataですが,人間の精神mens humanaのうちには,Aの混乱した観念も生じ得ますし,Aの十全な観念も生じ得るからです。十全な観念でも混乱した観念でも,観念対象ideatumが一致すると,答えも一致するという場合もあるということです。
 スピノザは続けて次のようにいっています。
 「しかしごく簡単な数ではこうしたことは必要でない。例えば一,二,三の数が与えられた場合第四の比例数が六であることは誰にも分かるであろう。この場合は,第一数が第二数に対して有する関係そのものを直観の一瞥を見てとってそれから第四数自身を帰結するのであるから,はるかに明瞭である」。
 1:2が3:6であるということを,だれでも一瞥の下に理解することができるというのは,僕はいい過ぎではないかという気がします。ただ,確かにそのように理解することができる人がいることは間違いありませんので,この点について問題視することはしません。そしてもちろん,この認識が第三種の認識cognitio tertii generisに属します。
 僕がここでとくに注目したいのは,1と2の関係を理解して3に対する6という答えを出すことが,はるかに明瞭であるといいきっている点です。
コメント
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