スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

タイセイレジェンド&10秒

2021-11-27 19:20:23 | 名馬
 エーデルワイス賞を差し切って優勝したスピーディキックの父はタイセイレジェンドです。父はキングカメハメハ。母の父はメジロマックイーン。4代母がクレアーブリッジ
                                        
 デビューは2歳の8月。2戦目の未勝利戦で初勝利。この2戦が芝1800mだったこともあり,この後は芝の中長距離戦ばかりに出走。初めてのダート戦となった3歳6月に2勝目をあげました。ここからは主戦場をダートの中距離戦に。4歳の4月に3勝目をあげると次のレースも連勝してオープン馬に。当時は降級制度がありましたのですぐに降級。11月に1400m戦を勝ってオープンに復帰しました。ここからダートの短距離戦にシフト。
 5歳の2月にオープンで初勝利。6月に北海道スプリントカップで2着に入ると次のクラスターカップで重賞初制覇を達成しました。東京盃で2着になって向ったJBCスプリントをレコードタイムで制して大レース制覇を達成。
 6歳初戦は根岸ステークスで11着。フェブラリーステークスが14着。遠征したドバイゴールデンシャヒーンは12着とこの春は大敗続き。帰国して初戦となったクラスターカップで2着になるとオーバルスプリントも2着。東京盃を制して重賞3勝目。JBCスプリントエスポワールシチーの11着でした。
 翌年の初戦がクラスターカップで6着。東京盃は8着。JBCスプリントこそ3着でしたが兵庫ゴールドトロフィーは8着でした。
 8歳になっても現役続行。しかし黒船賞が6着,さきたま杯が8着,北海道スプリントカップが10着と,勝ち馬から1秒以上の敗戦続き。この後,大井に移籍してソウルへの遠征も含めて2戦しましたが勝ち星はあげられず,現役を退きました。
 通算成績から分かるように,大レースこそ勝ったものの,超一流には程遠い馬です。このクラスの馬が種牡馬になれたというだけで個人的には驚きを感じますので,重賞の勝ち馬が出たことには本当にびっくりしました。

 この場面でフェニックスが1索を手の中に残し,9萬を捨てて失点を回避した理由は,概ねここまで述べてきたことが積み重なっていたからと解して間違いないと僕は考えます。しかしこのときに,9萬を引いてきたフェニックスが1索を捨てるまでに要した時間は,およそ10秒ほどです。それは,ここまで僕が説明してきたことのすべてを十全に認識するcognoscere,第二種の認識cognitio secundi generisによって十全に認識するために十分な時間であるとは到底いえません。ということは,このとき,フェニックスのプレイヤーである近藤には,何らかの直観scientia intuitiva,すなわち第三種の認識cognitio tertii generisが働いたために,このプレイに至ったのだと解釈するのが適切でしょう。実際に近藤は著書の中のこの場面について,直感的にも1索は捨ててはいけないと思ったという意味のことを記述しています。近藤がいう直感というのは,第三種の認識のことにほかならないのですから,確かにこの場面では近藤の知性intellectusのうちに第三種の認識が生じたのです。
 ここから分かるように,このような場合でも直観は働くagereのです。近藤は,麻雀のふたつの性質のうち,自身が得点を獲得することに向う場合には直感は有効で,自身の失点を回避するためには直感はあまり有効ではないといっていますが,実際にはどういう場合に直観いい換えれば第三種の認識が有効であるかということは,麻雀のふたつの性質に還元することができるわけではありません。そうではなく,第三種の認識が働くための,あるいは第三種の認識で事物を認識する契機となるための,第二種の認識,近藤のいい方に倣えば理論による認識が,十分に蓄積されているか否かということに還元されるのです。要するにこの局が進捗していく最中に,近藤の知性のうちにはこの局に関する様ざまな論霊的な認識が蓄積されていき,その結果effectusとして第三種の認識が働くことによって,失点の回避というプレイが生まれたということです。
 そしてこれと同時に理解できるのは,このプレイは,近藤の知性のうちに働いたような直観が働かないのであれば,することができないプレイであるとは,必ずしもいえないということです。直観だけがこのプレイを産出するのではありません。
コメント
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