スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

人間魚雷&第三部定理一三系

2018-01-12 19:15:27 | NOAH
 殺人医師が全日本プロレスで成功した理由のひとつとして,人間魚雷といわれたテリー・ゴディのパートバーの座を得たということは欠かせないと思います。
 ゴディは若くしてデビュー。超獣ザ・グレート・カブキも仕事をしていたテキサスのダラス地区でトップヒールとして頭角を現しました。そのときはマイケル・ヘイズおよびバディ・ロバーツとファビュラスフリーバーズというユニットを結成していました。ロバーツは試合もしましたが,どちらかといえばマネージャーという役割で,実質はゴディとヘイズのタッグチームだったといえます。全日本プロレスに初来日したときもその3人が一緒だったのではないかと思います。
 ただ,馬場はゴディは高く評価したようですが,ヘイズはお気に召さなかったようです。よって後にはゴディだけが単独で呼ばれるようになりました。テリー・ファンクが最初に全日本プロレスで引退したとき,ファンクスと戦うチームとして不沈艦のパートナーに選ばれたのがゴディでしたし,ブロディが新日本プロレスに移籍した後で一時的にハンセンのパートナーにも抜擢されています。ブロディが全日本復帰を果たした時期がそうで,世界最強タッグ決定リーグ戦ではハンセンがゴディと組み,ブロディとスーパーフライと対決するという大型カードも組まれています。こうしたことからも馬場のゴディに対する評価は一貫して高かったといえるでしょう。ジャンボ・鶴田を破って三冠チャンピオンになったこともありました。
 一方,ゴディの方も自分を高く評価し,全日本プロレスのファミリーとして取り扱ってくれた馬場に対しては恩義を感じていたようです。ゴディとウィリアムスはその全盛期にアメリカでスタイナーブラザースと試合をして勝っています。この当時,ゴディとウィリアムスが全日本プロレスのファミリーで,スタイナーブラザースは新日本プロレスでIWGPタッグを獲得するなどして大活躍していたトップチームでした。ゴディはその試合後の談話として,買った喜びを馬場に伝えたいという主旨のコメントを残しています。

 憐憫commiseratioに人びとの連帯や融和を高める効果がほかにも存在するのは,次の事情によります。
                                
 第三部諸感情の定義一八から分かるように,憐憫は悲しみtristitiaの一種です。悲しみは第三部諸感情の定義三から分かるように,より大なる完全性perfectioからより小なる完全性への移行transitioです。よって第三部定理七により,悲しみは人間の現実的本性actualem essentiamに反する感情affectusです。いい換えれば人間の働く力agendi potentiaを阻害する感情です。したがって人間の現実的本性は,悲しみを避けるように作用します。他面からいえば現実的に存在する人間のコナトゥスconatusは,悲しみを忌避する方向に働きます。このことを一般的に示しているのが第三部定理一三系です。
 「この帰結として,精神は自己の能力ならびに身体の能力を減少しあるいは阻害するものを表象することを厭うということになる」。
 帰結というのは第三部定理一三からです。また,この系Corollariumでスピノザは自己ということで自分の精神mensを示し,身体corpusについては自己ではないように記述しています。これはスピノザが人間の本性humana natura,natura humana,hominis naturaを人間の精神とみなすことと関連していると思われます。ですがここでの考察はそのこととは無関係なので,これについての説明は割愛します。また,この系には現実的本性とかコナトゥスといった語は見当たりませんが,スピノザがそれを念頭に置いていることは疑いようがありません。一般的に現実的に存在する人間の精神が,自身の働く力を阻害するものの表象imaginatioを厭うなら,それは一般的な人間の現実的本性になるからです。
 憐憫も悲しみですから,この系によって現実的に存在する人間にとっては厭われる感情です。ただ,この系が感情について述べているのではなく,表象について述べているということが重要です。というのは,憐憫は第三部定理二七の感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumによって生じる感情なので,憐憫を避けるためには,憐憫の対象となっている人間の悲しみを避けなければならず,この系に合わせていえば,悲しんでいる憐憫の対象となっている人を表象するimaginariことを厭うという意味になります。なので憐憫を感じた人間は,憐憫の対象となっている人間の悲しみを除去しようとする現実的本性を有していることになるのです。
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