スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

秋華賞&契機

2024-10-13 19:00:36 | 中央競馬
 第29回秋華賞。丹内騎手が昨日の新潟の3レースで落馬し腹部を負傷したためコガネノソラは坂井瑠星騎手に変更。
 クイーンズウォークは発馬で躓き2馬身の不利。外の方からセキトバイーストが前に出ての逃げ。向正面に入るあたりでリードは4馬身。2番手にクリスマスパレード。2馬身差でタガノエルピーダ。4番手にラヴァンダ。5番手にコガネノソラ。6番手にアドマイヤベルとランスオブクイーン。8番手にチェルヴィニア。9番手にホーエリートとステレンボッシュ。11番手にミアネーロ。12番手にチルカーノとボンドガールとクイーンズウォーク。5馬身差の最後尾にラビットアイ。前半の1000mは57秒1の超ハイペース。
 超ハイペースになったのは逃げたセキトバイーストが飛ばしたためで,3コーナーでは8馬身のリード。2番手のクリスマスパレードと3番手のタガノエルピーダとの間も4馬身。直線の入口ではセキトバイーストのリードは3馬身くらいに。直線でもみるみる詰まっていき,前を行くクリスマスパレードとラヴァンダの間に進路をとったチェルヴィニアが先頭に。そのまま抜け出した優勝。大外から追い込んだボンドガールが1馬身4分の3差で2着。馬群の内目を縫うように捌いてきたステレンボッシュが半馬身差で3着。
 優勝したチェルヴィニアはここがオークス以来の実戦。大レース連勝で2勝目。このレースは桜花賞馬のステレンボッシュとオークス馬のチェルヴィニアの争い。それぞれに不安材料があり,チェルヴィニアは唯一の遠征競馬だった桜花賞が大敗だったことで,ステレンボッシュは不利な外枠に入ってしまったこと。ステレンボッシュはかなり厳しいレースになったので影響があったかもしれません。チェルヴィニアは桜花賞のときは久々の実戦で,態勢が整っていなかったための大敗だったのでしょう。遠征競馬にも不安がないことを証明し,3歳牝馬のトップに立ったとみていいと思います。母の父はキングカメハメハ。4代母がロイコンで祖母が2003年の京都牝馬ステークスを勝ったハッピーパス。母は2016年のフローラステークスを勝ったチェッキーノでひとつ上の半兄が昨年の新潟記念を勝ったノッキングポイント。Cerviniaはマッターホルン山麓の集落名。
                            
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はオークス以来の大レース制覇。第22回23回に続く6年ぶりの秋華賞3勝目。管理している木村哲也調教師はオークス以来の大レース11勝目。秋華賞は初勝利。

 さらに次のことにも留意しておかなければなりません。
 著者がだれであっても,この本は『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』という題名から分かるように,レンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijnが主題となっています。その中にスピノザが出てくるのは,ファン・ローンJoanis van Loonがそれを書く契機になったのがスピノザであったからだとされています。ローンとレンブラントは仲が良かったので,レンブラントが死んでしまったときにローンはひどく落ち込んでしまいました。鬱状態になったと解するのがよいでしょう。その頃のローンが仕えていたのがコンスタンティンConstantijin Huygensで,そのコンスタンティンがローンの状態を見かねて,スピノザにアドバイスしてもらうように諭しました。ローンは逡巡したのですが結局はスピノザと会うことにしました。そこでスピノザはローンに対し,自身に起こったことやそのときの気持ちを書いてみるようにという助言をしたのです。その助言によってローンは実際にそれを書いてみることにしました。ここから分かる設定は,ローンはそれを発売するつもりがあったわけではなく,自身の癒しのために書いたということです。なのでスピノザがこの中に登場してくることになり,同時にスピノザの知り合いで,ローンと面識があった人たちのことも書かれることになりました。
 この部分が創作であることを僕は否定しませんが,史実であったとしてもおかしくはありません。スピノザがホイヘンスChristiaan Huygensと親しかったことは史実から明らかですし,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではホイヘンスの弟とはもっと仲が良かったかもしれないとされています。コンスタンティンはその兄弟の父親ですから,スピノザと面識があったとしてもおかしくありません。とくにコンスタンティンの別荘はフォールブルフVoorburgの近郊にありましたから,スピノザがフォールブルフに住んでいた頃,コンスタンティンの一家が別荘に滞在しているときはスピノザがその別荘を訪れるという機会があったとしてもおかしくありません。つまりコンスタンティンとスピノザの間に面識があったという想定は不自然なものではありませんから,コンスタンティンがローンとスピノザを仲介して会わせたとしてもおかしくはないのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 書簡八十三&著者 | トップ | 農林水産大臣賞典マイルチャ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中央競馬」カテゴリの最新記事