スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

動機&妥当な推測

2020-09-05 18:58:29 | 哲学
 活動というのは,スピノザが同じ語actioを,能動という意味でも用いるし,フロムErich Seligmann Frommが活動といっている意味で広く用いる場合があるので,その同じ語を別の日本語に訳す必要性が生じているということに起因している事象です。したがって,フロムの言及について注意するべきであるといっても,それはフロムのいっていることとスピノザの哲学でいわれていることの調和について注意するべきであるということではないのであって,活動という語は本来は能動だけを意味するべきであるのに,そうではない場合もあるということに注意さえすれば十分です。他面からいえば,スピノザの哲学を理解しようとする場合にだけ注意しておけばいいのです。『愛するということThe Art of Loving』における言及の中で,より注意が必要とされる語句は,動機です。
                                        
 フロムは,人間が活動的であるとみなされるときには,ふたつの意味合いがあるといっていて,それは活動する人間の動機が問われていないからであるという主旨のことをいっています。フロムがいうふたつの意味合いは,能動としての活動と,スピノザの哲学では本来的には不自然である受動的な活動です。要するにフロムは,これらふたつの活動の動機には明確な相違があるのであり,しかしその相違が強く意識されないがゆえに,どちらの場合であっても活動的であるとみなされると考えているわけです。このこと自体は間違っていませんし,少なくとも能動と受動の差異を重視している点で,フロムはスピノザの哲学に従っているといっていいでしょう。ですがこのときに動機という語句を用いると,スピノザの哲学のほかの重要な点を見誤る可能性があると僕は考えます。
 スピノザの哲学では基本的に動機という語は使用しないのが賢明であると僕は考えます。第一部公理三にあるように,原因causaが与えられれば必然的にnecessario結果effectusが生じるというのがスピノザの哲学を貫いている思考法です。このとき,動機というのは原因に該当するとみなされるのではないでしょうか。ですが,動機という語がスピノザが原因と結果という場合の原因には該当しないケースがあるのです。なのでスピノザの哲学では,一律に原因と結果を探求するべきで,動機については探求しない方がよいというのが僕の見解opinioです。

 チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがスピノザに対し,延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態と間接無限様態が具体的に何かを尋ねた手紙は書簡六十三です。これは1675年7月25日付で,チルンハウスはオランダにはいませんでしたから,シュラーによって仲介されています。つまりこの日付は,アムステルダムAmsterdamにいたシュラーが書簡を送った日付で,実際にチルンハウスがこの書簡の基となる書簡をシュラーに送ったのは,もう少し前だった筈です。また,チルンハウスとの文通の背後にはライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが存在する可能性があることを僕は否定はしませんが,この段階ではまだチルンハウスはパリには到着しておらず,したがってライプニッツとも知り合っていませんから,この疑問はチルンハウス自身による疑問であったことになります。そしてこの書簡では,このこと以外にも哲学と関連した質問がスピノザに対してなされています。ですから遺稿集Opera Posthumaにも掲載されました。
 シュラーもチルンハウスも,ライプニッツとは異なり,スピノザと自身の間に関係があったことを秘匿しておこうという気はありませんでした。ですからこの書簡を遺稿集に掲載することについては,何の問題も生じなかったといえます。とはいえ,もしこの書簡の送り主に,スピノザとの関係を隠しておきたいという気持ちがあり,その要望が遺稿集の編集者たちに伝えられていたと仮定するなら,おそらくこの書簡の取り扱いは,フッデJohann Huddeと関係した書簡の取り扱いと同じになったと僕は推測します。つまりこの書簡は掲載を見送られることになるのですが,この書簡に対する返信である書簡六十四は,だれに宛てたか分からない形にして掲載したでしょう。これはちょうど,書簡三十四,書簡三十五,書簡三十六の取り扱いと同じであり,かつ同じように哲学的に重大な内容が記述されているのですから,この推測はきわめて妥当であると考えます。
 ここから分かるのは,もしこの書簡以外に同じことを尋ねたり,あるいはそれに対してスピノザが解答している書簡があれば,それは必ずや遺稿集に掲載されたであろうということです。ここからも,この質問をしたのがチルンハウスだけであったことが導き出せます。
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