スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

バラ色の未来③&解答の意味

2020-09-08 18:53:40 | 歌・小説
 では今よりも未来の方がよくなっていくと教えられたと歌われていました。だれにどのように教えられたのかが続けて歌われます。

                                   

     だれかが耳うちをしてる だれかが誘いをかけてる
     あなたも幸せになりたいでしょうと


 だれが教えているのかは分からないのです。あるいはだれもがそう教えているといえるのかもしれません。幸せになりたいだろうという誘いの耳うちは,歌い手にとって甘美に聞こえたことでしょう。

     だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
     未来はバラ色ですと言う


 あなたの手を取ったと歌われていますが,実際に手を取られたのは歌い手です。手を取って従うように促され,目を閉ざして何も見えないようにされ,ただ未来はバラ色だと教えられたのです。

 書簡六十四でいわれている全宇宙が,自然Naturaを意味するのでないとすれば,この解答は,延長の属性Extensionis attributumおよび思惟の属性Cogitationis attributumの間接無限様態について,合わせて答えたものではないことになります。いい換えれば,思惟の属性の間接無限様態について答えているか,延長の属性の間接無限様態について答えているのかのどちらかです。そしてどちらであるかといえば,それは延長の属性の間接無限様態について答えていると僕は解します。これにはいくつかの理由があります。
 まず,当該の文章の記述のされ方が,この解釈をいくらか後押しします。この書簡では直接無限様態が第一のもの,間接無限様態は第二のものと記述されています。そしてスピノザは,第一のものについて,まず思惟の属性においては無限知性intellectus infinitusであるといい,次に延長の属性については運動motusと静止quiesであるといっています。これに続く形で,第二のものについては全宇宙の姿facies totius Universiといっているのです。したがって文章としては,延長の属性について第二のものは全宇宙の姿であるといっているように解せます。ただしこれは確かに解釈を後押しはしますが,決定的であるとまではいえないでしょう。
 次に,ここで全宇宙の姿といわれている点が,これが延長の属性の間接無限様態を具体的に示していることの根拠になります。というのは,姿というのは明らかに何らかの形あるものについての言及であると解せるからです。したがって,延長の属性に属するものについては姿という語句を用いて説明してもおかしくありませんが,思惟の属性について姿という語句を用いるのはおかしいといわなければなりません。これはちょうど,ある物体corpusの姿といういい回しはそれほど不自然ではないけれど,ある観念ideaの姿というなら,これは著しく不自然な表現であるというのと同じ理由です。
 最後に,スピノザはこのことについて,第二部自然学②補助定理七備考を参照するように促しています。この部分は明らかに個物res singularis全般についてではなく,物体という延長の属性の個物に限定したことをいっています。そしてこの意味で,全自然がひとつの個体であるといっています。したがって,これは延長の属性の間接無限様態のことなのです。
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