スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

能動的な羨望&知性と観念

2020-09-12 19:14:55 | 哲学
 僕がいう羨望の性質についてはすべて説明することができました。そこで羨望についての最後の説明として,能動的な羨望というのがいかなるものであるのかということを示しておきます。
                                   
 まず論理的にいって,能動的な羨望というのはあることができます。僕が規定した羨望は,基本感情affectus primariiのうち欲望cupiditasの一種です。そして第三部定理五九がいっているのは,能動的な欲望は存在するということです。もちろんこの定理Propositioは,基本感情のうち欲望ないしは喜びlaetitiaの一種であれば,必ず能動的なものがあるという意味ではありません。たとえば希望spesというのは第三部諸感情の定義一二から分かるように,喜びの一種ですが,能動的な希望というのは存在しません。第三部諸感情の定義一三説明から分かるように希望と不安は表裏一体であり,希望が存在する場合には不安metusも同時に存在します。不安は第三部諸感情の定義一三により悲しみtristitiaの一種ですから能動的な不安は存在し得ません。よって能動的な希望というのも存在し得ないのです。
 では羨望は能動的であり得るのかといえば,僕はあり得ると考えます。第三部定理一から分かるように,僕たちは十全な観念idea adaequataを有する限りにおいては能動的です。したがって,僕たちが十全な観念を有することによって羨望を感じるということがあるのなら,僕たちは能動的に羨望を感じることになります。そして僕は,人間が何事かを十全に認識するcognoscereことによって,羨望を感じるということがあり得ると考えるのです。
 僕たちは理性ratioに従う限りでは物事を十全に認識します。そこで僕たちが自由の人homo liberのことを理性によって認識し,他面からいえばある人を自由の人であると理性によって認識し,その人の得ている徳virtusを自身は得ていないと認識するならば,この人はその自由の人のことを羨望するでしょう。このとき,羨望している当の人は,能動的にその自由の人を羨望していることになるのです。
 現実的にはこのようなことはきわめて稀であるということを僕は認めます。しかし能動的な羨望があるかないかというのなら,あるというのが僕の見解opinioになります。

 思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態については,無限知性intellectus infinitusであるとスピノザはいっています。したがって思惟の属性の間接無限様態は,無限知性という様態的変状modificatioに様態化した限りでの思惟の属性から生じる様態modiであることになります。いい換えればそれは,何らかの属性の直接無限様態という様態的変状に様態化した限りでのその属性の観念ideaから生じる様態ではないのです。確かにどんな属性の直接無限様態の観念も,神の観念idea Deiから発生しなければならないのですが,それは文字通りにその属性の直接無限様態の観念なのであって,無限知性とは異なるものです。このことからも,何らかの間接無限様態の観念が,あるいはすべての属性の間接無限様態の観念の集積が,思惟の属性の間接無限様態ではないということだけは明らかだと思います。
 無限知性という様態的変状に様態化した限りでの思惟の属性から生じる様態が,どのような様態であるのかということについては再三いっているように,僕は答えを持ち合わせていないのであって,要するに分かりません。ただ,こういうものではないということは論証することができるのであって,ある属性の間接無限様態の観念ではないとか,あらゆる属性の間接無限様態の観念の集積ではないということは,そのうちのひとつです。それと同様に,近藤がいっているような諸観念の総体ではないということも,僕は論証できると考えています。そしてこの論証Demonstratioもまたごく簡単なものです。
 スピノザの哲学において,知性というのは個々の観念を意味します。これはスピノザが第二部定理四九系を証明するときに前提としていることなので,少なくともスピノザの哲学の枠内では覆すことができません。つまり知性というのは観念の集積です。よってたとえば人間の知性のような有限なfinitum知性は,有限個の観念の集積であるということになります。これで考えれば分かるように,無限知性というのは無限に多くのinfinita観念の集積であるといわなければなりません。ただし,実際には無限知性は思惟の属性の直接無限様態であり,ある観念というのは思惟の属性の有限様態すなわち個物res singularisなので,本性naturaの上では無限知性が先立つといわなければなりません。
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