スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

活動&医師への言及

2020-08-29 19:01:35 | 哲学
 『愛するということThe Art of Loving』におけるスピノザの哲学に対するフロムの言及は,それ自体では適切なものです。しかしスピノザの哲学の観点からこの言及を読むときには,気を付けておかなければならない語句がふたつ含まれています。そのうちのひとつが活動です。
                                        
 フロムErich Seligmann Frommは活動というのをごく一般的な意味で用いています。確かに寸暇を惜しんで働き回る人間は,その原因の如何に関わらず活動的な人間であるとみなされます。これはフロムがそこで指摘している通りです。
 ところがスピノザの哲学で活動という場合には,このことは当て嵌まらないのです。スピノザが活動的という場合には,それは本来的には能動的である場合だけを意味しなければならないのであって,受動的な行為は活動的であるとはいわれてはなりません。いい換えれば,スピノザの哲学でXが活動するという場合に含まれる意味は,Xが働くagereということなのであって,Xが働きを受けている場合にはXは活動するとはいわれるべきではないのです。フロムのいい方に従えば,能動的な理由であれ受動的な理由であれ,あくせくと働き回る人は活動的であることになり,これは活動という語句を一般的に解すればおかしいことを何もいってはいないということになりますが,受動的な理由によって働き回っている人のことを,スピノザの哲学では活動的な人間であるというべきではないという点には気を付けておかなければなりません。
 厳密にいうとこれは,スピノザの哲学の問題というよりは,スピノザが哲学において使用するラテン語の語句を,どのような日本語に翻訳するのかということと関連している問題です。岩波文庫版の『エチカ』では,能動actioと訳される語句が活動と訳されている場合があります。これはスピノザがこの語で必ずしも能動だけを意味せずに使用している場合があるからです。この観点からはフロムの活動もスピノザの活動も同じですが,使われている語の意味からすれば,そこには違いがあるべきであるという点には留意してください。

 スぺイクHendrik van der Spyckの一家は総出で教会に出掛けたのですから,このときにこの家に残っていたのはスピノザとアムステルダムAmsterdamから来た医師のふたりだけだったことになります。
 一家が帰宅したとき,スピノザはすでに死んでいました。スぺイクが午後に教会に行くとき,スピノザはスープに舌鼓を打っていたのですから,スぺイクからみたら,確かにスピノザは急死したようにみえたことでしょう。スぺイクは,医師はこの日の夜の船でアムステルダムに出発したとし,二度とスピノザのことを顧みなかったといっています。スピノザの葬儀は,スぺイクが喪主のような立場で行われましたから,スピノザを顧みなかったというのは,この医師がこのときを最後にスぺイクの前に姿を現さなかったという意味であり,したがって葬儀にも参列しなかったということなのだろうと思います。もっともスピノザの葬儀には6台もの馬車が随行し,多数の名士が参列したとされていますから,スぺイクが参列者のすべてを把握していたかどうかは分かりません。ただ少なくともこの医師は,仮にスぺイクの知らないところで葬儀に参列していたのだとしても,スぺイクに挨拶をするということはなかったのでしょう。
 スぺイクは医師がこのような態度をとった理由として,アムステルダムに帰るときに,スピノザが机の上に置いておいたいくらかの金と銀の柄の小刀をポケットに入れて持っていったからだとしています。要するにスぺイクからみると,医師はネコババ行為に及んだため,もうスぺイクと顔を合わせることができなかったと認識しているわけです。ただスぺイクの証言はあまりに生々しすぎて,これが真実であったかどうかを疑わせる側面があります。たとえば,スピノザが置いておいた金銭と小刀がなくなっていたということに気が付いたというなら分からないでもないのですが,医師がそれをポケットに入れたということになれば,このネコババの犯行現場をスぺイクは目撃していたということになり,これは医師がスぺイクの目の前でそういう行為に及んだということを意味しなければならないことになりますから,著しく不自然であるということができるのではないでしょうか。
コメント
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