スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞スパーキングサマーカップ&具体的な指令

2020-09-03 18:59:46 | 地方競馬
 船橋に所属する騎手が新型コロナウイルスに感染していることが判明したため,先週の月曜から水曜の川崎競馬は中止。感染した方々にお見舞い申しあげるとともに,大事に至らず順調に回復されることを祈念します。南関東のように,感染者数の多い地域の4つの競馬場が持ち回りで毎日のように開催している中で,ここまで感染者を出さずにきたのは関係者の一人ひとりが厳しく自身を律してきたためであり,その努力にも敬意を表します。
 今週の船橋競馬も中止になったため,中止になった川崎競馬の代替競馬が月曜から昨日まで開催され,8月26日に行われる予定だった第17回スパーキングカップは,名古屋からの遠征馬1頭を交えて,昨晩の実施となりました。
                                        
 ドウディは外によれて1馬身の不利。ハルディネロがハナを奪い,2番手に外からヒカリオーソ。内の3番手のブラックジョーまでの3頭で4番手以下を引き離していく形。5馬身差でトキノパイレーツとトロヴァオ。6番手にリッカルド。2馬身差でグレンツェントとジョーストリクトリ。9番手にミキノトランペット。10番手にアンサンブルライフ。4馬身差でドウディ。12番手にエスケイアリュール。5馬身差の最後尾にグランドサッシュ。前半の800mは49秒6のミドルペース。
 前の集団の差は徐々に詰まっていき,直線の入口では前8頭のうち,ジョーストリクトリを除く7頭まで圏内。ここからヒカリオーソ,ブラックジョー,トキノパイレーツは直線に入ってすぐに脱落。最内で逃げ粘るハルディネロをまず差したのがリッカルド。これを大外からグレンツェントが差し切って優勝。リッカルドが1馬身差で2着。リッカルドとグレンツェントの間から伸びたトロヴァオがクビ差で3着。ハルディネロは力尽きて1馬身差の4着。
 優勝したグレンツェント川崎マイラーズ以来の勝利で南関東重賞は2勝目。このレースは有力馬が五指に余る上,リーディング上位を含めた多くの騎手がこの3日間の川崎開催の騎乗申請を控えたため,13頭のうち11頭が乗り替りでいずれも初騎乗ということで,非常に難解な一戦というイメージをもっていました。ところが終わってみれば実績が上位で近走も堅実という馬で上位を独占という順当な結果に。川崎競馬場は長い直線と急なコーナーの組合せという特徴ある形状なのですが,ほかと比べると能力通りの結果となることは多く,ここもそうなりました。それでもコースに適性を有する馬というのはいるのであって,グレンツェントはそうなのでしょう。おそらく脚を使い過ぎずしかし余さずに動き出すポイントになる地点が,最後の直線の距離に対して程よいということなのだと思います。父はネオユニヴァース。Glanzendはドイツ語で輝く。
 騎乗した川崎の伊藤裕人騎手は昨年の優駿スプリント以来の南関東重賞2勝目。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞18勝目。スパーキングサマーカップは初勝利。

 ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間で交わされた文通が,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題にしたものだけであったとシュラーGeorg Hermann Schullerが思い込む状況は,実際に起こり得るし,そうなる可能性の方が高いように僕には思えます。
 ライプニッツからシュラーに下された指令は,ライプニッツ自身とスピノザとの間に何らかの関係があったということを秘匿するということでした。ですからまず第一にライプニッツが要求したのは,自身とスピノザとの間で交わされた書簡が,遺稿集Opera Posthumaに掲載されることを回避するということだったと思います。そこでもしもライプニッツがそのようにシュラーに依頼すれば,ライプニッツは,差出人がライプニッツになっている書簡と,もしそれが存在するなら宛先がライプニッツになっている書簡のすべてをシュラーは遺稿集に掲載されないようにするだろうと予測すると思われます。したがって具体的にどのような書簡が存在するのかということを,シュラーに伝えなければならない理由は低かったと想定できます。書簡七十書簡七十二は,実質的にはスピノザとチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausの間で交わされたやり取りなので,もしかしたらライプニッツはこの2通の書簡の存在も知っていたかもしれません。この場合にはおそらくライプニッツはこの2通についても遺稿集への掲載を見送るように依頼したかもしれません。ただこの2通についてはシュラー自身が存在も内容も知っていたのですから,ライプニッツからの要求がなくても,掲載されることはなかったといえます。
 ライプニッツからの指令がこのようなものであった場合は,シュラーは『神学・政治論』を主題とした文通だけがライプニッツとスピノザの間であったと思い込むであろうということは前に説明した通りです。シュラーは少なくとも書簡七十の基の手紙をチルンハウスから受け取るまでは,ライプニッツとスピノザの間で書簡のやり取りがあったということすら知らなかったからです。ですからそれを主題とした書簡だけを抜き取っておけば,シュラーは自身の役割は事足りると思った可能性が高くなります。よって書簡四十五書簡四十六が掲載されたことは,むしろこの推測を強化するように思えます。
コメント
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